TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「私のC型肝炎物語」 第1章: マヴィレット治療への挑戦―(12)開始4週間目:順調に継続!

(12) 「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦― 服薬開始4週間目:順調に継続!

 

今回の服薬と平衡して、2015年の4月7日から開始した「MSD社の治験体験」の記録をまとめている。今回もその時と余り変りはないように思える。治験の際には朝方の血圧が少し高いとの記録がある。あの時は服薬開始2週間後から劇的な効果があった。AST、ALTは直ぐに30以下に下がった。服薬終了の2週間後には「再燃」という結果だった。この時のトラウマがあるので未だ楽観はできない。本日現在、順調にマヴィレットの服薬ができていることをまずは「よし」として感謝しよう。

■服薬4週目開始■

  • 2018年3月22日(木)~3月28日(水):

(22) 3月22日(木):8時6分。本日は午前4時頃に三度目のトイレで起きた。次には6時50分頃に目覚めた。耳と手指のマッサージをしてから起床した。朝方、身体のだるさは感じられない。しかし左ひざの内側の筋肉が痛い。どうしたのだろう。朝食は何時もの定番の温野菜を中心にした。服薬は8時6分に合わせて飲んだ。本日から服薬4週間目になった。特に変化は感じられない。

(23) 3月23日(金):8時26分。昨夜は23時20分頃に床に就いた。午前3時頃に二度目のトイレに起きた。次に、「もう7時を過ぎたよ」と妻に声をかけられて目覚めた。7時25分頃に起きた。7時30分頃から定番の野菜中心の朝食を摂った。にんじん、玉ねぎ、白菜、ポテトの温野菜、ブロッコリー、豆、クルミ。バナナと麹を入れたヨーグルト、コーヒー。服薬は8時26分。身体の調子は良い。しかし朝方は気分が落ち込んで元気がでない。対処方法としてトイレ掃除、階段の掃除、玄関の掃除を1時間くらいかけて行った。身体を動かして身体が活性化してくると気持ちが落ち着いてくる。この後、洗面を済ませてからこの記録を書いている。午前11時10分頃に、ファミリーハウスのUさんとKさんが訪れてきた。「余丁町のおうち」について1時間くらい話し合う。

昼食後に14時頃からよこやまの道から諏訪が岳を経由してエドヒガン桜を見に行った。満開であった。帰宅して少し休み、16時30分頃から恒例の木刀振り100回を行う。そのあと、17時15分頃に車でレストラン「吾妻」へ夕食に行く。二人とも豚焼き肉定食を食べた。1300円で安くて美味しかった。

(24) 3月24日(土):8時16分。本日は、6時に2度目のトイレに目覚め微睡んでから7時5分頃に起きた。朝食はいつもとほぼ同じであった。本日で白菜の外葉を利用した温野菜はなくなった。

午前中はロボコン(掃除機)の掃除をした。そのほかは「ロシア語文法」の本を読んでいた。11時20分頃から、うどん・鶏肉から揚げ・薩摩芋の昼食を一人で先に食べた。11時50分頃に出発して12時4分はるひ野発で新百合ヶ丘へ行った。出かけるときには身体が重くて気持ちも落ち込んで元気が出ない。これで大丈夫だろうかと思う気持ちもあった。とにかくケガをしないで無事に帰宅しなくてはと思いながら出かける。午後にはMTさんが本日も来てくれるとのことであったのでその面では心おきなく出かけることができた。

合気道の稽古はSさんの指導で肩取り各種の技を稽古した。ほんの少し力をぬく稽古がわかってきた気がする。身体の方も右ひざの痛みの他は順調である。身体が軽い。マヴィレットが効いてきて肝機能が改善しているのかもしれない。それとお酒を飲んでいないのが奏功しているのかもしれない。

■奥高尾に二泊三日泊り■

(25) 3月25日(日):8時11分。起床は7時。昨夜もトイレに3回起きた。朝6時50分頃に目覚める。ベッドわきの雨戸を上げると太陽がさしていた。嬉しい。起きて7時10分に血圧を測る。121/77/65なので問題はないだろう。起きたときにすこし頭が重い気がした。朝食は定番の野菜料理を7時45分~8時20分に食べる。服薬は8時11分。本日は陣馬山高原の「夕焼け小焼け」の丘に泊まりに行くので準備が忙しい。準備完了してこの日録を記述している。

午前11時10分頃に出発する。都民生協で卵、菓子、弁当を買う。12時近くになってしまったので、生協のパン屋の前のテーブルで昼食を済ませた。そのあと車で出発。車のナビは多摩センター通りを指示したが、尾根幹道に入り進む。町田街道を進み相原を経て裏高尾から陣馬街道に入る。約一時間で目的地に到着した。駐車場に車を置いて「夕焼け小焼け」の敷地の中を1時間くらい散歩した。16時頃にチェックインした。一休みしてからお風呂を見に行く。見ると洗い場の風呂椅子が奥にあり座れそうにない。残念だがY子は大風呂に入るのを諦めた。私だけが3階の大風呂に入る。20分くらいの間ゆっくりと湯船に漬かっていたが眠くなってしまった。身体は洗わずに風呂から出る。17時55分に隣接した建物にある食事処「いろりばた」に夕食に行く。焼肉を頼んであったので、飲み物として札幌黒ラベル中瓶を付けた。コップで乾杯。Y子は1杯だけで私が残りを全部飲んだ。美味しかったがそれ程の感激はなかった。1時間で夕食を済ませ部屋に戻り1時間半くらいは眠ってしまった。21時過ぎに目覚めて洗面して再び22時には眠った。朝の6時にトイレで目覚めるまで8時間は熟睡した。良い気分転換と休養になった。

■夕焼け小焼けの作詞者―中村雨紅とは?■

(26) 3月26日(月):8時41分。昨夜は夕食時に久し振りにビールをコップに3杯くらい飲んだ。トイレに朝6時に起きるまで8時間は眠った。午前7時過ぎには起きて、朝ドラ「わろてんか」を見てから食事に行った。食事は8時17分位から30分位かけてゆっくりと純和食を楽しんだ。炭水化物を食べ過ぎと言いながらご飯をお代わりして2杯も食べた。服薬は8時41分だった。部屋に戻って一休みして荷物をまとめて9時45分頃にチェックアウトした。宿泊場所の「おおるりの家」の駐車場から車を奥のほうの第一駐車場に移して宮尾神社に参拝した。

駐車場の反対の山側の斜面に上り口があり、ふと見ると竹の杖がたくさん置いてあった。一本を拝借して使用した。山道を12~13分歩いて神社の山門についた。童謡「ゆうやけこやけ」の作詞者の中村雨紅がこの神社の宮司の三男として生まれたのだそうだ。中村雨紅は本名を高井宮吉と言い、宮尾神社の宮司であった高井丹吾の三男として生まれた。青山師範学校(後の東京学芸大学)を卒業して教師となり、子供たちの情操教育の一環として作詞を野口雨情に師事した。筆名は野口雨情の「雨」に色を表す「紅」からつけたという。姓の中村は別の神社の中村家の養子になったようだ。「ゆうやけこやけ」の里山を午前11時半頃に後にして、裏高尾の木下沢梅園に梅を見に行った。この梅園は数年前に高尾山から景信山へ縦走して下山した際に偶然に脇を通過して見て知っており何時か来てみたいと思っていた。数千本の素晴らしい梅園だった。12時40分頃には梅園をでて、片倉城跡公園に向かった。13時15分頃には公園の駐車場に着いたが満車であった。幸いに10分くらい待って駐車できた。1時間30分位のあいだ、カタクリの花を見ながら散歩し、さらに城跡の山の上までのぼって一周して散策を楽しんだ。16時30分頃には自宅に戻った。帰宅してからY子は片付けやパソコンをやっていた。私は1時間くらい仮眠をした。

昨日から本日と気分の転換ができたのと、食べたいものをたくさん食べた。体重は昨夜58キロであった。明日は東大病院受診日である。服薬開始後4週間が経過するので、ある程度の結果が出てくるであろう。

■4週間ぶりの東大病院(HCV内科)受診だ■

(27) 3月27日(火):6時48分。本日はマヴィレット服薬開始4週間目の受診日である。昨夜は目覚ましを午前6時にセットして就床した。5時55分に3回目のトイレで目覚めて起きてしまった。6時30分~40分位の間に朝食にした。ゆで卵1個、バナナ1本、トマト小1個、豆、クルミ、ヨーグルト、コーヒー。パンも1枚食べる。

7時15分位に家を出て、7時28分はるひ野駅発で出た。新百合ヶ丘で、7時40分発の綾瀬行きに乗って、国会議事堂で乗り換えて本郷三丁目には8時40分に到着した。東大の受付は8時53分で、9時過ぎには採血も終了した。比較的に検査室も空いているようであった。9時5分には内科受付を終了して、2階の待合ソファーで病院内のミニコミ誌「ロハスメディカル」をめくっていると、なんと9時45分頃には中待合室へ移動のベルが鳴った。中待合室に移動すると、すぐに浅岡先生から呼ばれた。何時もは、中待合でも10分以上待つのに、本日は最後の受診日でもあり最優先してくれたようだ。9時55分頃に、コンピュータのデータが出てきて血液検査結果をみた。AST、ALT、γ-GTPは26、17、30という結果であった。何れも正常値以内に入っている。血小板の数値は12.4で低いままである。この結果からマヴィレットが効いていると考えられる。

2年前の4月にMSD社の治験に参加した時の服薬4週間目と同じくらいの数値である。あの時は最後まで数値は低いままで保たれて、ウイルスの駆逐が成功したかと思った矢先に服薬終了後2週間後には再燃が確認されたのであった。それを思うと今回の推移も決して楽観はできない。しかしとにもかくにも希望が繋がったことを喜びたい。

「お世話になりました。先生は、国内におられますか?5月23日に服薬が終了するので夏頃には結果が出るでしょう。」と申し上げた。すると浅岡先生が「帝京大に行きます」と移動先を教えてくれた。「永いあいだお世話になりました。今回の結果は中川先生から伝わりますね?」というと、「心残りですが・・・。4月11日の検査を入れておきました・・・」とおっしゃった。インターネットで帝京大病院消化器内科をみると、既に水曜日と金曜日の午前中の外来に担当医師としてお名前が載っていた。午前10時前には診察が終了して二階の内科受付に書類を提出した。その後、1階の6番会計に行く。医療補助手帳のお蔭で、前回に既に1カ月の医療費1万円に到達しているので今回は無料であった。何も書類は来ないので本日分の医療費額は分らない。11時過ぎには、竜岡門近くの竹内調剤薬局に行く。10分くらい待って、マヴィレット14日分を出して頂けた。今回の結果を聞いて、久しぶりに少し明るい気持ちで帰路についた。「順調に治療が進んでいるようだ」と妻のY子にメールした。

■淡々と合気道の稽古を継続■

(28) 3月28日(水):起床は7時30分。朝食は8時~8時30分。服薬は8時38分。朝の6時頃に三度目のトイレで目覚めてそのまま起きようとしたが、少し早いのでベッドにいたら再び眠ってしまった。起きたのは7時30分頃であった。野菜中心に定番の朝食の後で服薬した。そのあと、布団干しをする。妻のY子はSさんが迎えに来てくれて、10時30分頃に二人で若葉台方面に散歩に行った。その間に私は野村證券の口座のチェックをした。そのあとで饂飩と鶏のから揚げで昼食を食べる。食後に布団をいれて片付けをしていると15時になってしまったので少し休む。16時頃に目覚めるとY子は帰宅していた。

午後17時前にはバナナとパンを食べてから合気道の稽古に行く。17時24分はるひ野駅発に乗り、新百合ヶ丘の銀行で記帳を済ませてスポーツセンターへ行く。本日はSE師範の指導日であった。片手取りの各種の捌きの稽古をした。師範は「自分の身体で感じて稽古をしなさい」と強調されていた。

(2019.1.16)

(「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦―〔12〕 開始4週間目~順調に継続!)