TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「私のC型肝炎物語」第7章:マヴィレット治療への挑戦―(16)マヴィレット服薬開始8週目:服薬は順調だが過る不安感!

(16) 「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦― マヴィレット服薬開始8週目: 服薬は順調だが過る不安感!

 

■服薬第8週目■

  • 2018年4月19日(木)~4月25日(水):

(50) 4月19日(木):6時45分に起床。いつもの朝食。服薬は8時2分。そのあと風呂掃除を行った。天気がよいのでY子と京王線の長沼公園へ行くことにした。Y子が倒れた2015年の5月頃に一度行ったことがあり良いところだ。若葉台まで歩いて行き京王線を調布で本線に乗り換えて京王高尾山口行きに乗り換えるつもりで京王線の下りホームにエレベータで移動した。暫く待って京王高尾山口行きに乗り換えて座ったとたんに構内放送があり、人身事故のため下り方向が運転見合わせ中になってしまった。

小山内裏公園へ行く■

急遽、京王相模原線に戻って、橋本行きに乗り小山内裏公園に行き先を変更した。京王相模原線多摩境駅に11時50分位に着いた。小山内裏公園に、東口のA1出口から歩いて5分位で行けると駅に書いてあった。この駅は多摩ニュータウンの中でも開発が遅れた地域であろう。駅の周りから高層のマンションが林立している。東口から自転車置き場の間を抜けてライオンズマンションの反対側に山道への入り口があった。山道に入りスロープを少し上がると藤棚があった。そこはドッグラン広場である。藤棚を超えて5分位のあいだ登ってゆくと山一つ全体が小山内裏公園となっており、尾根には舗装した遊歩道(自転車もよい)があった。この公園は平成16年頃に整備が完成したとのことである。尾根の散歩道はかつて日本陸軍の戦車の試運転道路であったとのことである。既に12時30分を超えていた。少し進んだ山道脇のベンチでコンビニ弁当を食べる。弁当とお握りを若葉台京王ストアで購入して持参したので良かった。公園にはサンクチュアリ(聖域)が柵で囲まれて作られていて中に入ることができない。動物、植物、昆虫たちが自然の中で保護されている。15時頃までのんびりと散歩したので歩数は13,000歩くらいになっていた。再び多摩境駅に戻って帰りは永山駅で小田急線に乗り換えて16時45分位にははるひ野駅に戻ってきた。帰宅して17時30分頃から私は18時過ぎまで休んだ。夕食は残り物の豚肉の糀焼きで済ませた。いつものように木刀振り100回も行った。

本日はマヴィレットの服薬50日目であった。体調に変わりはない。昨日は合気道の後で体重を測ったら少し減って58キロだが体脂肪率は15%に増えていた。夕食時にお茶割焼酎を50㏄くらい飲んだ。

(51) 4月20日(金):本日は7時20分に起床。朝食は7時50分~8時15分。服薬は8時18分。天気が良かったので階段の掃除をした。ロールペーパーをかけ掃除機の後で拭き掃除まで念入りに行った。そのあと玄関横の植物のフレームを撤去した。本日は気温が26度くらいになるとのことでタイムリーな作業であった。妻のY子は英語の会の友人のTさん、SさんとJ先生を囲んで新百合ヶ丘のレストラン「赤坂離宮」で会食の予定だ。11時少し前にY子が出発した。私は5月26日にK君(甥)の1年祭に群馬に行く件で群馬に電話した。K君は昨年の6月6日に47歳の若さで亡くなった。私が大学2年(21歳?)のときに生まれたのだ。初めての甥(兄の長男)だったので群馬の実家に帰省した折に一緒に散歩したのを今でも覚えている。

昼食は13時から14時頃にインスタントラーメン、鶏のから揚げ、リンゴ半分を食した。14~15時の間に休んでいると、日立ビルシステムから電話あった。15時から予定したエレベータのメンテ工事が少し遅れるとの連絡であった。結局、15時45分頃に工事が始まった直後にY子が帰宅した。三女のRたちは家族で4月28日からバリ島に行くという連絡をしてきた。そのために明日(21日)の午後にトランクを取りに行きたいという。しかし、明日の午後は私が合気道の稽古、Y子は「ブレーメンの音楽隊」の観劇なので不在で都合が悪い。結果的に今回は借りに来ないことで決着した。

■服薬は順調だが過る不安感!■

本日はマヴィレットの51日目であった。特に体調の変化はない。この「私のC型肝炎物語」を書いている中で、進行中のマヴィレットに加えて失敗に終わった「ハーボニー服薬」、「MSD治験服薬」のこともメモと日記から記述し直している。また12年前(2006年)の「PEGインターフェロン治療」のことも記録を振り返ってみた。インターフェロンフリー(飲み薬)の場合はどれも、特にマヴィレットは一切の副作用的なものが感じられない。これで治ってくれることを期待するのみであるが油断はできない。ハーボニー服薬の時も4週間目には、「HCVRNAケンシュツセズ」の結果がでていたのだ。そのことを考えると心は休まらない。

(52) 4月21日(土):本日は7時10分に起床。朝食は7時50分~8時6分。服薬は8時8分。天気が良かったのでトイレ掃除を行った。本日は午後が合気道の稽古なので朝のうちに「現代ロシア語文法」を少し読んだ。10時40分頃にY子と一緒に出発して11時には新百合ヶ丘に着いた。11時から11時45分くらいの間に私はパン3個、Y子は1個で昼食を済ませた。11時45分頃に別れて私はスポーツセンターへ行く。12時5分頃に第2武道場に一番に到着した。念入りにストレッチをして稽古に備えた。本日の稽古は横面打ちからの各種技の稽古をした。身体は重くはないが全体的に眠気がしていた。

15時に稽古を終了して更衣室で着替えているとJ君から電話がかかってきた。「ブレーメンの音楽隊」の観劇は1時間くらいで終了し、J君たちはエルミロード2階カフェーでチョコパフェを食べていた。カフェーで合流したが、追加注文には時間がかかると言うので諦めて外に出た。15時45分頃にはJ君たちと別れて帰宅の途に就いた。16時過ぎには自宅に戻る。一休みの後で夕食の準備をする。ロース豚焼肉に、キャベツ、のらぼう菜を添えたものを主菜にした。夕食時に缶ビール一缶を飲んだ。夜に風呂に入る際に体重を測ると59キロ、体脂肪11%であった。体調管理は上手くいっている。

本日でマヴィレット服薬は52日が経過した。身体の調子は悪くない。治療が上手くいっているのならば既に結果は出ていることになる。4月25日の受診時には採血がないので8週間経過後の結果が判明しないのが残念だ。さらに2週間後10週間目、5月9日(水)の採血結果を待たねばならない。

■お風呂掃除が心も洗う■

(53) 4月22日(日):6時50分に起床。朝食は7時30分~7時50分。服薬は7時57分。朝食の後で風呂掃除をした。朝に気持ちが落ち込むと念入りに掃除をする。掃除をすることで心の澱のようなものを洗い流せる気がする。そのあと10時30分頃から都民生協へ行く。都民生協で日曜日の恒例の特売「いろいろ卵」(128円)を三パックと野菜や食料の他に、弁当を買ってから稲城ふれあいの森へ向かった。稲城ふれあいの森の門扉の前には河津桜の名所がある。3月になって3回くらい足を運んだ。ふれあいの森は3月中頃から土日のみ開園なので今年は初めて来た。11時20分頃について初めは南周りの山道を歩いた。銀蘭が一株、金蘭はたくさん咲いていた。スロープの一番下は京王線の線路に藪を挟んで隣接している。13時過ぎに受付の近くのベンチで弁当を食べた。私はお弁当の他に梅おにぎりも食べた。食欲はおう盛である。食事の後で今度は北周りのキャンプ場の方におりて山あり谷ありの山道を30分くらい歩いた。それにしてもY子は良く歩けるようになった。外見は普通に歩いているように見える。だが本人は平衡感覚の乱れからこわごわと歩いているのだと言う。13時過ぎには帰路につく。若葉台のローソンで「白石加代子一人芝居」のチケットを購入して帰宅した。

一休みしてから夕方、よこやまの道入り口のところにある「半鐘蔓」の花を見に行った。まだ蕾のままであった。夕食は久しぶりに、黒川の食堂「吾妻」に食べに行った。私は豚の焼肉定食、Y子は天ぷらを食べた。吾妻のご主人は少し背中が丸くなったようだ。私よりも年長なのだが元気で格好のよい人だ。「吾妻のご主人、背中が丸くなったね」と言ったら、「他人のことは言えないわよ。あなたのほうが背中を丸めて熊みたいに歩いているわよ」と、Y子に言われてしまった。
 本日はマヴィレット服薬の53日目である。体調に変化はない。しかし、一昨年から昨年にかけての前回の「ハーボニー」の服薬経過をチェックしていたら、4週間目頃には、HCVは「ケンシュツセズ」になっていた。今回も4週時点では「ケンシュツセズ」であるが、これも予断を許さない。不安感が脳裏をよぎる。

■連れ合いも病院通いだ■

(54) 4月23日(月):7時5分に起床。朝食は7時10分~7時45分。服薬は7時46分。午前5時頃に三度目のトイレで起きた。そのあと再び眠ってしまったので、寝過ごしてしまった。今日は、横浜総合病院へY子が行く日なので朝食はいつもよりは簡単に済ませた。午前8時20分頃に車で出発して、病院の玄関でY子を下ろして8時55分には駐車場に車を入れることができた。少し遅れて病院に入るとY子は受付を済ませて既にMRI検査室前のベンチで待っていた。受付が早かったのでMRIの予約は9時30分であったが9時5分には呼ばれて早目の検査となった。MRI検査後すぐに脳神経センターの待合室で待機する。脳外の診察は10時30分~11時の枠内であったが、診察は11時を過ぎていた。MRIの結果もとくに問題はなく、次回予約は7月23日(月)となった。Y子は診察を待つ時間が耐え難くイライラしていた。気持ちはわかるが、病院で待たされるのは甘受するのが必至だが、それに耐えられない・・・。11時20分には会計を終了した。薬の処方が手間取り12時少し前にようやく終了した。病院を後にしてY子の希望で,町田市の高蔵寺シャクヤクを見に行った。素晴らしいシャクヤクや他の花々を楽しんだ。昼食は真光寺の小樽食堂で揚げ物を食べて帰宅した。

マヴィレット服薬52日目は順調に推移した。しかしY子のイライラはおさまることなくて辛いことも多い日々だ。これまでのように素早く動くことができないのがもどかしいのだろう。

(55) 4月24日(火):6時55分に起床。朝食は7時40分~8時05分。服薬は8時6分。朝の5時頃に三度目のトイレで起きた。再び少し微睡み、6時50分頃に目覚めて少しだけ腹筋運動をしてから起きた。朝食は何時ものように野菜サラダを中心に食べる。本日は妻のY子は「旧山の会」の友人らと横峯緑地を散歩してから、はるひ野駅裏のレストラン「アベーテ」でランチ会がある。私は若葉台の英語会に出席するので9時5分頃に出かけた。英語の会では、私はこのあいだ田んぼ道で見かけて写真を撮った「おおみずあお(蛾)」について英語でスピーチした。夕方にセレサと業務用スーパーで買い物をした。トマト苗2本(150円と100円)をセレサで購入した。夕食はのらぼう菜、トマトに焼き豚を中心に準備した。夕食前にPCでメモを記述しながらビール1缶を飲んだ。たった1缶で酔いを感じた。夕食時には焼酎50㏄位をお茶割で飲んだ。夕食はご飯をたくさん食べた。

本日はマヴィレット服薬55日目である。22時頃に風呂で体重を量ると59kgであった。2キログラムくらいは増加している。服薬を始めてから食欲がむしろ増進して御飯をよく食べる。糖尿病の数値がむしろ気にかかる。

■東大受診日―マヴィレット5回目処方■

(56) 4月25日(水):6時55分に起床。朝食は7時10分~7時40分。服薬は7時44分。朝5時頃にトイレで目覚める。次に起きたのは6時55分であった。朝食は、バナナ、ヨーグルト、コーヒー・他で何時もより簡単に済ませる。。

本日は東大病院受診日だ。準備が遅れて出発が8時になった。8時11分にはるひ野を出て本郷には9時23分頃についた。着く前に便意を感じ駅のトイレで大便をする。尾籠なはなしであるが良いうんちであった。結局、東大病院HCV内科受付は9時36分頃になった。中川先生のアポは9時20分~40分の枠であった。それでも10時5分位には中待合室に呼ばれた。診察は10時8分~10分とものの2分であった。本日は血液検査をしてないので数値の確認はない。マヴィレット5回目の処方を頂いた。終了後に、内科受付処理も簡単に済み、医療補助(月1万円)は前回に満了となっているので本日は支払いが無かった。10時7分頃には東大から竹内薬局へと急いだ。雨はまだ降っていた。薬も15分位の待ち時間で貰えて10時40分頃には帰路についた。自宅の最寄りはるひ野駅には11時55分頃には帰ってきた。帰ってから昼食に饂飩を食べた。

午後にはY子の友人のTさんが来てくれた。私は13~14時頃まで休んでから1階のPCのところで本を読んで過ごした。16時30分頃に合気道に出かけた。新百合ヶ丘駅には16時55分頃についた。18時10分~20時10分位まで合気道の稽古に参加した。本日はSE師範の指導日であった。師範の言葉で心に残ったことは、「全身を緩めて感じてください」、「ただ単に受けるのでなく反れないのですか?」がある。合気道は漫然と稽古するのではなくて、「相手を感じながら考えて、身体で感じながら」稽古をする。実に難しい技だ。

(2019.1.27)

(「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦―〔16〕 マヴィレット服薬開始8週目: 服薬は順調だが過る不安感!)