TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像― (73 ) 志方俊夫さんとインタビュー「姿を見せてきた非A非B型肝炎ウイルス」 ~1988年6月14日(火)

(73)志方俊夫さんとインタビュー「姿を見せてきた非A非B型肝炎ウイルス」~1988年6月14日(火)

 

 「非A非B肝炎―ウイルス発見―米社」という朝日新聞朝刊(1988年5月10日)の見出しが目にとびこんできた。

■非A非B型肝炎ウイルス発見―米カイロン社
●1988年5月10日:
 「米国の生命科学研究のカイロン社は、10日、輸血によって感染する非A非B肝炎のウイルスの発見と、その主要な抗原たんぱく遺伝子のクローニングに初めて成功したと発表。同社はさらに非A非B肝炎型肝炎ウイルスの抗体検査に利用できる免疫測定法の開発にも成功したとしており、今後、ワクチンの開発に着手する基礎ができたとしている。」
 発見された病原体は1本鎖RNAウイルスであった。「全面降伏です」と、非A非B肝炎型肝炎ウイルス探しのライバル、日本大学病理学教室の志方俊夫教授は語っていた(5月30日付「毎日新聞」science リポート)。「非A非B型肝炎ウイルス」(「C型肝炎ウイルス」)の発見の優先権は、カイロン社が一歩先んじた。しかし、志方研究グループと紙一重の差であったのではないだろうか。
■姿を見せて来きた「非A非B型肝炎ウイルス」■
●1988年6月14日(火):
 
上記のニュースに接して一カ月後、1988年6月14日(火)、池袋から板橋区加賀町の日本大学板橋病院(志方教授室)へ午前11時に出向いた。日本大学医学部(病理学)の志方俊夫先生に「非A非B型肝炎ウイルス」についてインタビューした。「姿を見せてきた非A非B型肝炎ウイルス―非A非B型肝炎ウイルスは輸血後と流行性の2種類」というタイトルで、医学界新聞・第1808号(1988年8月1日付)に、インタビュー記事を掲載した。
 輸血後の「非A非B型肝炎ウイルス」が後の「C型肝炎ウイルス」に、流行性肝炎の「非A非B肝炎ウイルス」が後の「E型肝炎ウイル」スという名称に夫々変更される過渡期であった。
■ウイルス病理学研究の牽引車■
 志方さんは当時のわが国のウイルス病理学の強力な牽引車であった。このブログ掲載にあたってインターネットで調べるとご健在である。私の印象は病(やまい)の理(ことわり)を緻密に追求する硬骨の研究者であった。その「硬骨漢」振りを示すエピソードがある。
 その頃に私の勤務していた医学書院では「医学大辞典」の刊行準備をしていた。「非A非B型肝炎ウイルス」の項目の執筆を志方さんに依頼した。志方さんは早期に原稿を執筆して出版社に渡した。しかし、原稿集めと編集作業が大幅に遅れて刊行までに10数年を要した。勢い原稿を早めに執筆した項目については日進月歩の医学であるから当然に古くなる。そこで最終校了前に出版社側は原稿の改稿を執筆者にお願いした。志方さんは頑として拒み大辞典の刊行に際して、「出版社の怠慢でこの原稿は旧態然となった」旨の但し書きを入れて刊行するように求めたという話だ。この話が事実なのかは確認していないが、筋の通った話だ。非A非B型肝炎ウイルス研究の進展の速度は目まぐるしく、ウイルス変異と同じように速かったというエピソードして捉えていただきたい。
(2019.2.4)


(私の「医人」たちの肖像―〔73〕志方俊夫さんとインタビュー「姿を見せてきた非A非B型肝炎ウイルス」~1988年6月14日