TomyDaddyのブログ

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「私のC型肝炎物語」第7章:マヴィレット治療への挑戦ー(19)服薬開始11週間目:合気道、山歩きでひたすら耐えた!

(19) 「私のC型肝炎物語」第7章:マヴィレット治療への挑戦― 服薬開始11週間目: 合気道、山歩きでひたすら耐えた!

 

■マヴィレット服薬11週目■

  • 2018年5月10日(木)~5月16日(水):

(71) 5月10日(木):起床7時15分。朝食7時40分~8時10分。服薬8時14分。朝からどんよりと曇っていた。朝食の後で簡単に風呂掃除をする。雨が今にも降りそうだったので車でY子と若葉台に行く。K’s電気の駐車場に車を止めて郵便局からフレスポ靴屋に行く。Y子のスニーカーを購入した(3798円)。その後ヤオコーで食料を買って12時10分頃には帰宅した。昼は饂飩と豚カツで済ませた。夕食のカレーを私が準備した。冷凍の鶏むね肉・ジャガイモ・ニンジン・タマネギ・ズッキーニ・エノキ茸を圧力鍋で痛めてから煮込んだ。夕食の準備の後でY子と散歩に出かけた。セレサモスで農協の通帳を記帳してから田圃道、よこやまの道に抜ける山道から右回りに陽だまり公園を通って帰宅した。

マヴィレット服薬71日目が経過した。

■狛江でOB会に参加する■

(72) 5月11日(金):起床7時30分。朝食7時55分~8時23分。服薬8時25分。朝食後にトイレ掃除と風呂掃除を行った。その後で階段のペーパー掃除と掃除機かけをする。本日はI書院のOB会を狛江で開催の日である。11時15分に家を出てはるひ野を11時24分発で出て新百合ヶ丘から快速急行で登戸へ行く。登戸で各停に乗り替えて11時50分頃には狛江についた。少し時間があったので北口のロータリへ行くと先輩のEOさんがベンチに座っていた。12時から狛江の「鮮の匠」(飲み屋)でのOB会に参加した。出席はO、I、H、Tの4名だけであった。私はビール中ジョッキ1杯とウーロン割1杯を飲んだ。料理は突き出しから始まり鯖の煮物に天ぷらに海鮮丼ぶりのコースであった。私とH氏は完食した。Iさんは殆ど摘みの類のみ食べて、海鮮丼のライスは全く召し上がっていなかった。炭水化物制限をしているらしい。OB会というのは古い友人の消息と誰それが亡くなったとかの話しばかりで大して面白いものではない。OB会の一次会は14時過ぎに終了した。

帰宅して一休みしてから「現代ロシア語文法」を少し読んだ。そのあと17時頃からY子とセレサモスから右回りに田んぼ道、横山の道へと小一時間の散歩をした。18時30分ころから夕食の準備をする。キャベツの千切りにトマト添え、焼き豚をフライパンで焼いて付けた。19時~20時頃に夕食。その折に焼酎を50ccくらい飲んだ。

本日はマヴィレット服薬73日である。身体に異常は感じない。駅の階段の上り下りも極力エレベータやエスカレーターを使用しないで歩くように心がけている。

■初の草戸山登山―5時間を踏破■

(73) 5月12(土):起床6時40分。朝食7時~7時35分。服薬7時37分。本日は5月の山歩き日であった。Y子がインターネットで長い時間かけてコースを選択した。駅から直接歩けて余りきつくないコースを選んだ。目的地は京王線高尾山口から草戸山を周回するコースで標高364メートル、歩行距離は8キロくらいで、往復5時間位を概算していた。8時30分に家を出た。はるひ野から小田急で永山へ行き永山で京王線に乗り換えて調布へ出る。調布で京王本線に乗り換えて高尾山口に着いたのは9 時43 分ころであった。本日の参加者はMM、TM、K、S、T(二人)の6人であった。高尾山口駅でトイレを済ませて10時5分ころに出発した。駅前で旧甲州街道を反対側に渡り割烹橋本の裏手から山道に入る。入り口が判りにくくて通り過ぎてしまい戻って道を尋ねて無事に登山道に入ることができた。インターネットで入手したコースマップを見ながら徐々に山道を登っていった。歩きづらくはないがかなり急な山道である。1時間位で四辻に着く。

前を歩いていたMMさんが電話で誰かと話していたと思ったら先方からMMさんの友人のTさんが突然姿を現した。今度はTさん先導で30分位進むと漸く草戸峠に着いた。既に12時30分ころであったので昼の弁当にした。12時40分ころから13時25分頃まで休憩する。草戸峠からさらに30分位登って行くと漸く草戸山の山頂に着いた。山頂は少し平坦の場所もあり休憩所もあった。Tさんが城山湖の近くに車を置いてきているらしいと分った。Tさん先導で山道を下って行くと小一時間で城山湖の畔に着いた。草戸山の下りはかなり急坂で危険な箇所もあった。「紐で結わえて支えるといいね」と言うと、Tさんが手持ちのロープ(布製)とカラビナ(器具)をリュックから外して貸してくれた。それをY子の胴回りに結わえて片一方を上にいる私が持って支えて、万一の転倒に備えながら下山した。城山湖人造湖水力発電を行っているとのことである。この辺りは境川という神奈川県の川の源流地点であるとの表示があった。城山湖畔を右回りに進んでゆくと20分位で運動施設、トイレ、駐車場もある広場に着いた。「城山湖散策駐車場」と言うらしい。ここからTさんが全員をワゴン車(八人乗り)に乗せてJR橋本駅まで送ってくれた。15分位で到着した。駅近の「日本海庄屋」という飲み屋で打ち上げ会を小一時間行った。私はビール中ジョッキ2杯を飲んだ。最初の1杯で酔いを感じた。15時~17時までは飲み物も摘みも400円だというので摘まみも6人分を採って楽しいひと時を過ごした。Y子も中ジョッキ1杯を美味しそうに飲んでいた。会計は合計で8775円であった。橋本でK、Tは京王線で帰路に着く。他の3人はJR横浜線で町田方向に向かった。京王線若葉台駅でKさんと別れた。私たちは、下車して歩いて帰宅した。家には17時20分頃に着いた。少し休んで夕食は残り物のカレーライスで済ませた。

本日はマヴィレット服薬の73日目であった。5時間位の山歩きでもそんなに疲労を感じない。Y子も元気で歩いて居た。ただ頭の中のフラフラ(目まい)は相変わらず消えないという。

■桜が丘公園を散策する■

(74) 5月13(日):起床6時55分。朝食7時50分~8時20分。服薬8時28分。昨夜は23時頃に床に就いた。山歩きで疲れているはずなのに1時間おきにトイレに4回も起きた。午前3時から6時まではよく眠れた。朝食後に風呂掃除をする。天気は曇っていてよくない。午後からは雨かもしれないので10時50分頃にカワチで買い物をして都民生協で弁当を購入して桜ケ丘公園へ行く。聖跡記念館の横の花を見てから夕陽の丘に移動してベンチでお弁当の昼食とした。少し休んでいたら小雨がパラついてきたので急いで駐車場に戻る。14時頃には帰宅した。夕方には恒例の木刀振り100回。夕食は鮪丼で軽くすませた。その時に焼酎を80㏄くらいお茶割にして飲んだ。少し酔いを感ずる。

本日はマヴィレット服薬74日である。体調の変化は感じない。しかし、心は疲労を訴えている。

(75) 5月14(月):起床:7時31分。朝食7時50分~8時20分。服薬8時20分。昨夜は午前1時、3時と2回トイレに起きた。目覚めたのは朝の7時30分頃であった。朝から気分が落ち込んでいる。マヴィレットはあと10日である。感謝しつつ日常の仕事をやるしかない。気持ちの落ち込みを克服するためには身体を動かして温めるしかない。朝から天気は良い。8時50分頃からトイレ掃除をする。階段と廊下の掃除機かけに加えて水拭きも行う。さらに寝室をロボコンに掃除してもらい、届かないところは掃除機をかけた。仏壇の灰の入れ替えも行う。さらに柱時計のねじ巻きもした。ここまで2時間近くを要した。身体も温まり軽く汗をかいて気持ちも晴れてきた。11時40分頃からY子と若葉台の都民生協へ行く。お弁当を購入して本日も桜ケ丘公園へ行く。昼食の後で聖跡記念館から山道を左におりて谷戸公園から赤い実の道からうぐいすの道を右回りに登ってきた。およそ1時間の山歩きを楽しんだ。14時30分頃には帰宅した。15時から1時間ほど休む。その後いつものように木刀振り(80回)してから夕食の盛り付けをした。本日はY子が春巻きを作ってくれた。美味しかった。本日の春巻きは揚げるのではなくて焼いたものであった。

夕食の片付けの後でマヴィレットの服薬記録をまとめた。また、2015年4月から6月にかけてのMSD社の治験服薬の記録もまとめた。治験の時も服薬4週~12週までは効果は劇的だった。「ウイルスはケンシュツセズ」であり、AST,ALTも20台で推移していた。ところが服薬終了後4週目で再燃している。その事実に不安が増してきた。

■男の料理教室に参加する■

(76) 5月15(火):起床6時40分。朝食7時10分~7時30分。服薬7時33分。本日は麻生老人福祉センターにおける男の料理教室の2回目である。私の所属する青組が当番なのでいつもより集合が15分早く9時15分だ。8時29分はるひ野発で新百合ヶ丘へ行く。本日のレシピは「鯵のソテーと新玉葱載せ」である。鯵は三枚におろした素材が準備されており作り方は簡単であった。青組は四人組だ。他の三方は私より年長(75歳くらい)に見えた。12時10分位に終了して歩いて新百合ヶ丘に戻った。新百合ヶ丘で銀行回りを済ませ13時40分ころには帰宅した。一休みして夕方の16時30分頃からY子と散歩した。昨日と全く同じでセレサモスから田んぼ道に出て横山の道に入って右回りに一周して戻ってきた。帰宅してから木刀振りを100本行う。その後で夕食の用意をした。キャベツの千切り、マイタケのオリーブ炒め、鮭のムニエルを作った。レシピはY子が考えたものの仕上げなので発展性がない。19時~20時に夕食を済ませた。本日も焼酎のお茶割を60cc位飲んだ。

■MSD治験服薬の頃を想起して不安に■

夕食後に2015年6月末に実施した、MSD社の治験に参加した時の日録をまとめた。2015年6月27日(土)の母の逝去、7月2日(木)の告別式、7月3日(金)の妻Y子の小脳出血による救急搬送と突発事件が続いた。忘れもしない6月29日(月)が最終服薬日で、6月30日(火)が東大病院受診日であったのだ。

マヴィレット服薬75日目も無事に終了した。あと残すところ9日である。

(77) 5月16(水): 起床7時40分。朝食7時50分~8時20分。服薬8時24分。朝の3時30分頃にトイレに起きた。次に目覚めたのは7時30分過ぎであった。朝方から身体の怠さを感じていた。午後から夏日になるというので9時55分頃から散歩に出た。Y子と日陰を求めて陽だまり公園からよこやまのみちに入り、諏訪が岳に行った。私たちと同じく高齢の方々が歩いているのに遭遇した。散歩から11時前には帰ってきた。夕食は野菜カレーの準備をした。じゃが芋、人参、玉葱、マイタケ、豚肉をオリーブ油でいためた。カレー味付けはY子に任せて昼食のインスタント冷し中華も作った。午後には14時~14時30分頃まで一休みする。Y子が寝ている間に台所の床、レンジフード、ファン他の掃除を行った。16時15分頃から「現代ロシア語文法」を少し読んだ。その後で食パン、バナナ1本、コーヒーで軽く食べた。

■師範の稽古―合気道は身体の会話■

17時14分のはるひ野発で新百合ヶ丘へ行く。17時35分頃から18時15分まで第1武道場でストレッチしながら待機した。17時20分頃から第2武道場へ移った。18時40分頃から20時までSE師範の指導で稽古した。片手取りからの身体の力を抜く稽古をした。合気道とは身体のコミュニケーションの技であることがよく分かった。感応力である。早めに道場についてストレッチしながら意識を集中してゆく。そうすることで気持ちの乱れが減ってくる。稽古の後で漸く身体の統一がとれてくる。20時27分の新百合ヶ丘発で帰宅の途に着いた。

帰宅してノンアルコールビールに焼酎を100cc位加えて飲みながらカレーライスをたくさん食べた。夜にはY子が風呂に入っている間に本を読んだ。書棚から青蛾書房の「ガルシン全集・全1巻」(3500円)を抜き出した。この本は就職して1973年頃に購入して読んでいなかった。『赤い花』を読んだ。とても短い作品だ。ガルシン1855年1888年)は33歳の若さで自殺している。この小説はハリコフの精神病院に入院させられた実地体験からの記録である。翻訳者の中村融は中村白葉の婿養子であり共にロシア文学者であることも今回初めて知った。

本日はマヴィレット76日である。合気道の稽古に参加出来たことは身体の調子は悪くない証左であろう。体重は58Kg、体脂肪率13%で横ばいである。右ひざの痛みは薄れてきている。意識して歩いているのでげっそりとしてきていた膝周りの筋肉は回復している。

(2019.2.3)

(「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦―〔19〕 服薬開始11週目: 合気道、山歩きでひたすら耐えた!)