TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像― (32) Joseph Needhamさんと川喜田愛郎さんの対談「西中医学の歴史とその統合」~1984年10月9日

(32)Joseph Needhamさんと川喜田愛郎さん:対談「西中医学の歴史とその統合」~1984年10月9日

1984年10月9日(火)。英国人で中国科学史研家のジョゼフ・ニーダム (Joseph Needham )さんと川喜田愛郎さん(千葉大名誉教授・微生物学)の対談を、大手町のパレスホテルで収録した。パレスホテルは、皇居から近く格調も高いので、外国からのお客さんを含めての座談会にはよくこの会場を利用した。対談には、ニーダムさんの秘書役の中国人の女性・魯桂珍さんにも加わって頂いた。
■ジョゼフ・ニーダム vs. 川喜田愛郎対談■
1984年10月9日(火)■
 
この対談企画と準備は、先輩記者のSH君が行った。彼が人事異動で医学書籍部に異動になったので、この収録は新任のMM課長と同僚のAY君と私とで行った。通訳の意味で、その頃から英語同時通訳の勉強をしていたAM君にも参加してもらった。カメラマンのTYさんが撮影した記念写真が残っている。
 ニーダム博士は、秘書役の魯桂珍さんとニーダム博士の幾つかの著書の日本語翻訳をされていた日本人女性(牛山輝代さん)の二人を連れてこられた。魯桂珍さんは、後にニーダムさんと結婚された(1989~1991年)。牛山さんは国立音楽大学の英語教師(助教授・英語学)をしていた。妻のY子が音大で牛山先生に英語を習っていた。牛山さんは当時40歳くらいで細面の美しい知的な人であった。
 日本側の対談相手の川喜田先生は、既に千葉大学名誉教授になられていた。年齢は70歳前くらいであった。対談の事前に綿密に準備されてこられ、冒頭の挨拶は原稿を読まれるような形で緊張の面持ちでスタートしたのを覚えている。「西中医学の歴史とその統合」というタイトルで、医学界新聞・第1631号(1985年1月7日付)に座談会を掲載した。ここではさらりと触れたが、ジョゼフ・ニーダムさんは滅多に会える人ではない。この時は千歳一隅の機会だったろう。
■牛山輝代さんのこと
 牛山さんは英語の専門家である。英語教師をしながらニーダムさんの著作を日本に紹介した功労者であると思う。上記の「ニーダムvs.川喜田対談」を掲載した医学界新聞・第1631号に、何故ニーダムさんの本を訳されるようになったかを、牛山さんにエッセイ風に書いていただいた。
 「誰かが私を選んでくれた」というタイトルで、牛山さんは、ニーダムさんの隠れた一面を紹介してくれた。
 「ニーダム先生の場合は30歳代の後半になって初めて中国語そのものに触れられたのである。」
 もともとは生化学者であるニーダムさんは、ある時から科学史家に転身する。生化学者から科学史家への転身のきっかけは、1942~46年まで、英国大使館顧問として重慶に滞在された経験であったという。
 当日、ニーダムさんと魯桂珍さんから頂いたサインを、牛山さんのエッセイの下に、カット写真として挿入した。見本紙を牛山さんにお送りしたところ、丁寧なお礼のお葉書をいただいた。何とそのハガキが資料の間からでてきた。今回、インターネットで検索しところ、牛山輝代編訳 『ちくま学芸文庫 ニーダム・コレクション』(筑摩書房刊)という本が出てきた。牛山さんは1940年生まれだから、ご健在だと嬉しい。
(2019.2.7)(追記 2020.11.6)
(私の「医人」たちの肖像―〔32〕Joseph Needhamさんと川喜田愛郎さん:対談「西中医学の歴史とその統合」~1984年10月9日)