TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の1984年のこと再び~オウムに触れて

 最近(2019年2月6日)の朝日新聞夕刊に「1984年(昭和59年)『オウム神仙の会』発足」という記事があり興味深く読んだ。平出義明さんという記者の署名入りの記事だ。
 松本元死刑囚は東京都内でヨガ教室を開き、それを母体にして1984年に「オウム神仙の会」が発足した。1984年と言う時代はみなが高級品やブランド品の購入に踊ったバブル景気の中だ。慣れない銀座の飲み屋に上司に連れられて行ったことがる。夜中の12時を過ぎるとタクシーが列をなしてはいるが空車は捉まえられなかった。外面の華やかさの裏で「生きる意味」や「癒し」を求めて精神世界が求められていた。「ハルマゲドン」という終末思想が喧伝されていたのもこの頃だ。
オウム真理教関連年表(新聞より一部転載)】
1984年  「オウム神仙の会」発足
1987年  「オウム真理教」に改称
1989年  坂本堤弁護士一家殺害
1990年  「真理党」結成、衆院選で全員落選
1994年   松本サリン事件 8人死亡
1995年  地下鉄サリン事件 13人死亡、松本元死刑囚ら逮捕
2006年  松本元死刑囚のの死刑確定
2018年  松本元死刑囚ら教団幹部13人の死刑執行
 
 上記の記事に触発されて私の1984年のことを振り返ってみたい。1984年3月25日(日)に埼玉県の狭山市から川崎市多摩区王禅寺に転居した。私は37歳と2カ月だった。次女Yの小学校入学に間に合わせるために3月中の引っ越しが必須だった。1981年6月に新職場に異動してから3年目であった。医学領域の業界紙「医学界新聞」の記者として多忙ながら充実した日々であった。その頃に勤務先でヨガクラブがあり、引っ越し疲れで腰痛を患った私は1984年入会した。週に1回午後6時から14~15名くらいの部員が外部から招いた講師の指導のもとでヨガの手ほどきを受けた。ヨガのポーズの訓練の最後に呼吸法と称して「オーム―ーー」と息が続く限りみんなで発生をした。このヨガの講師が「オウム」の派遣講師だったのかどうかは分からない。1年足らずで教え方がよくないからとの理由で今度は「綿本ヨガ」とかいう流派から講師を派遣してもらった。このヨガサークルは解散するまで7~8年は続いた。1984年~2011年まで私はバブル崩壊からその後の経済低迷期を医学系出版社の社員として口を糊してきた。オウム信者の多くが高学歴の研究者や医師だったりした。迷える若者たちの多くは同世代だった。忘れもしない地下鉄サリン事件の3月20日の朝。私は小田急代々木上原から千代田線で国会議事堂・大手町経由で本郷三丁目に向かうところだった。しかし、その朝は偶然に小田急線新宿行の列車で座れたので、地下鉄に入らずにJRを利用して、新宿・御茶ノ水経由で本郷三丁目に9時前に着いた。その日の夕刻18時から、雑誌「神経研究の進歩」の編集会議を予定通りに行った。大事件が起きているとの認識も報道も夕方まで全くなかった。まだ、携帯電話もスマホSNSもなっかた。それから20余年の情報伝達の模様は激変した。2018年7月、平成元号のうちにオウムの決着をつけるかのように麻原他オウム元幹部らの死刑が執行された。しかし、これでオウム事件が終わったわけではない。