TomyDaddyのブログ

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「私のC型肝炎物語」 第7章:マヴィレット治療への挑戦―(22) 服薬終了後21日―ASTが下った!

(22) 「私のC型肝炎物語」第7章:マヴィレット治療への挑戦― 服薬終了後21日:ASTが下った!

 

  本日は服薬終了後最初の東大病院(HCV内科)受診日である。6時30分に目覚ましをセットして眠った。昨夜は午前1時と3時と2回トイレに起きた。目覚ましがなる前の6時20分に目覚めた。

  ■東大病院受診―服薬後3週間■

  • 2018年6月13(水曜日):

  超音波検査に備えて朝食をとらずに6時45分に家を出た。6時55分はるひ野駅発で出発する。栗平で準急新宿行きに乗り換えた。なんと7時38頃には新宿駅に着いた。大江戸線新宿西口で大江戸線に乗り継いで、本郷三丁目駅に8時前に着いた。東大病院には9時8分頃に到着した。9時10分からの総合受付開始まで少し待った。受付番号は46であった。採血は9時18分には終了した。そのあと9時25分頃に内科受付を済ませてすぐに生理検査受付に行った。超音波検査の予定は9時30分だった。早めの9時27分ころに呼ばれて、超音検査は10分くらいで終了した。反対側の入り口からファイブロスキャン(肝臓の固さを測る検査)もすぐにすんだ。地下のレストラン「三四郎」に行き、モーニングの朝食を食べた。食後は二階の内科のフロアーに移り、斎藤孝著『退屈力』を読みながら待機していた。

  ■祈る想い―ASTが下っている!■

  中川先生のアポは10時からであった。少し診察時間が遅れて、呼ばれたのは10時半頃であった。待機中は神に祈るような気持ちであった。診察室に入ると血液検査の結果がプリントされていた。「問題はないですネ!」という中川先生の声が比較的に明るい感じだったので安心した。血液検査の結果を見ると、AST、ALT、γGTPは28、21、24であった。前回はASTが32であり上限値を少しだが越えていたので心配していた。「前回は上限値30を越えていたので気になったが、今回はクリアしていますね」と中川先生も言われた。ウイルスHCV-RNAは3月13日(水)に続いて5月9日(水)も「ケンシュツセズ」を維持していた。本日の採血でもHCV-RNA検査に回す血液が試験管の1本が含まれていた。本日の超音波検査の映像には少し気になる小さな陰があったとのことだ。そのため次回の超音波検査が予定より少し早めの10月7日(水)になった。肝臓の線維化(固さ)を調べるフィブロスキャンでは固さが少しよくなっているとのことであった。血小板(Plt)は12.5なので前回よりは改善しているが正常値の30に比べるとまだとても少ない。

  次回の診察日は8月15日(水)に決まった。この日は最終服薬の5月23日(水)から12週間の経過日である。この日に概の結果が出ることになる。しかし6月28日(木)に出版健保の検診があり7月24日(火)に糖尿病の検診がある。その折の血液検査の結果でも判断はできるであろう。

  ■酒を飲みたいが・・・■

前回5月29日(火)から今回6月13日(水)までの15日間は完全にアルコール摂取を中止した。γGTPの数値24は近年では一番安定している。やはりアルコールは肝臓にとっては控えた方が良いのは明らかのようだ。次回6月28日(木)に向けて再度「潔い生活」の実行を心掛けることにした。ともあれ本日の受診前の祈りは神に受け入れて頂けた。11時前頃には全てが終了した。10時56分に東大構内から妻のY子に「クリアした」とメールした。本郷三丁目から新宿経由で12時過ぎには新百合ヶ丘駅に到着した。帰りにクリシマとカワチによって12時30分頃には帰宅した。帰ると妹のM子がクルミを届けに来ていた。昼食はクリシマのちらし寿司で済ませた。食後に14時~15時頃まで少し休んだ。17時25分頃にM子の帰宅する際の車に便乗して新百合ヶ丘に送ってもらった。17時35分頃にはスポーツセンターに着いて合気道の稽古に参加した。

  本日は長い1日であった。しかし何とか首の皮1枚が繋がった。祈るような気持ちで毎日を潔く生きていくことにしよう。

 (2019.2.14)

(「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦―〔22〕 服薬終了後21日: ASTが下った!)