TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(42)河野友信さんと座談会「Anorexia Nervosa」~1985年6月21日(金)

(42)河野友信さんと座談会「Anorexia Nervosa」~1985年6月21日(金)

 

 第26回日本心身医学会が1985年6 月21日(金)午後~翌6月22日(土)、東京で開かれた。6月22日午後に行われたシンポジウム「Anorexia Nervosa(神経性食思不振症))を取材して、医学界新聞の記事にした。
 神経性食思不振症は、とくに若い女性の間でその頃に増えてきていることが指摘されていた。英国のファッションモデルのツイギーが日本にも紹介されてから二十年くらい経った頃だ。かつ、米国のポップス歌手カーペンターズの妹のカレン・カーペンター(Karen Carpenter)が、Anorexia Nervosに起因する心不全で死亡したことが記憶に新しく、この病への関心が日本でも高まっていた時期だった。

■座談会「Anorexia Nervosa」■
●1985年6月21日:

「神経性食思不振症(Anorexia Nervosa)―その原因・診断・治療(馬場謙一・河野友信・渡辺久子)」という座談会を収録して、医学界新聞・第1658号(1985年7月15日)で紹介した。この座談会は、医学書医学書籍部のTOさんからの紹介企画で、私が担当した。上記で触れた日本心身医学会シンポジウムの取材記事は、座談会の補足として掲載した。

 馬場先生はその頃は群馬大学教育学部)教授であった。専門は精神科医である。東大の独文科を出られてから慶応義塾大医学部を卒業されて医師になったという興味深い経歴の持ち主であった。渡辺先生は横浜市立市民病院の小児科の医師であった。神経性食思不振症は若い女性に多いことから治療経験の豊富な渡辺先生に参加いただいた。

■心身医学(心療内科)の先駆者の一人■

 河野先生は心療内科の医師で、その頃は都立駒込病院に勤務されていた。昭和40年に熊本大学医学部卒。研修後に九州大学精神身体医学教室(池見酉次郎教授)に入局して、大学院、助手を経て、昭和51年(1976)には東京都立駒込病院心身医療科長に就任した。座談会開催の1985年は駒込病院の時代だ。この時が河野先生との初めての出会いであった。
 河野さんとは不思議な縁がある。自宅が偶然に川崎市多摩区王禅寺の徒歩十分以内の近距離にあった。「心身医学」という心身医学会の雑誌を、当時、医学書院で発行しており、夕刻からの編集会議を済ませて、一緒にタクシーで帰宅したこともあった。また、札幌でのある学会(たぶん日本癌学会)の折にお目にかかり、夕食を共にした。その折に河野さんは、当時まだあった医師研修インターン北海道大学医学部で修められたことを知った。札幌市が私と同じく青春の地でもあったのだ。
 平成8年(1996年)に、横浜市の郊外である十日市場にある東洋英和女学院大学の教授(人間科学部)に就任した。一方で、東京・大手町で心療内科クリニックを開業されていた。その年の5月に急逝された。心身医学(心療内科)という専門の学問からくるものなのか、飾らない穏やかなお人柄が偲ばれる。私よりも10歳年長で67歳という早世が余りにも悔やまれる。
 (2019.2.21)

(私の「医人」たちの肖像―〔42〕河野友信さんと座談会「Anorexia Nervosa」~1985年6月21日)