TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像 ― (38 )桜井靖久さんと座談会「未来の病院・未来の手術」 ~1985年4月9日(火)

(38 ) 桜井靖久さんと座談会「未来の病院・未来の手術」 ~1985年4月9日(火)

 

 1985年4月9日(火)。「未来の病院・未来の手術」という座談会の収録に出席した。座談会は、東大の渥美和彦先生からの持ち込企画であった。レーザー医学に関する座談会を担当してからの縁で今回も私が担当した。

■座談会「未来の病院・未来の手術」■
●1985年4月9日:

 座談会「未来の病院・未来の手術」の出席者の陣容は、渥美和彦(東京大学教授・医用電子)、榊原欣作(名古屋大学教授・高気圧治療部)、桜井靖久(東京女子医科学教授・医用工学)、都築正和(東京学教授・中央手術部)であった。桜井靖久先生は東大の医用工学研究室(渥美教授)の助教授から女子医大教授に移られて10年目頃だった。都築先生は手術の上手い先生として有名だったと思う。そのお父さん(都築正男教授)も外科医で、結核の手術療法で優れた人だと聞いたことがある。

この日に収録した座談会は、医学界新聞・第1650号(1985年5月20日付)に掲載した。

桜井靖久さんと未来医学研究会■

 桜井さんは、1934年1月13日東京生まれ。1958年東大医学部を卒業して1959年から東大医学部第二外科(木本外科)に勤務。1965年に東京大学医用電子研究施設が新設された折に渥美教授と共に移籍し助手となる。1971~1973年同施設の助教授の後、1974年に東京女子医大教授に就任する。1976年から同大学医用工学研究施設長を務める。桜井さんは、1978(昭和53)年に未来医学研究会の設立に尽力。第1回(1978年)~第8回(1985年)まで未来医学研究会大会の会長を務めている。第41回未来医学研究会大会が、2018(平成30)年5月26日に開催されている。
 今回、インターネットで櫻井さんの履歴を検索した。2011年1月12日に76歳で逝去されたことを知った。雑誌『人工臓器』(2011年)40巻1号に、桜井さんへの何れも敬意に満ちた暖かい追悼文(井街宏、岡野光夫、片岡一則の各氏による)が載っていた。東大医用電子研究施設(渥美教授)では、1970~1980年代に人工心臓の研究が進められていた。この人工心臓の開発と人工心臓を装着した山羊の長期生存に喜ぶ若き桜井さんの姿が、紹介されていた。
(2019.2.23)
(私の「医人」たちの肖像―〔38〕桜井靖久さんと座談会「未来の病院・未来の手術」 ~1985年4月9日)