TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(44 ) 北 徹さんとインタビュー「Brown & Goldstein両博士に聞く―科学することに大胆であれ」 ~1986年1月6日

(44)北 徹さんとインタビュー「Brown & Goldstein両博士に聞く―科学することに大胆であれ」~1986年1月6日

 

   座談会「日本の科学・日本の医学」を掲載した医学界新聞・第1561号(1986年1月6日付)に、北 徹さん(京大助手・第三内科)による「1985年ノーベル医学・生理学賞Goldstein、Brown両博士に聞く~科学することに大胆であれ」というインタビュー記事を併載した。さらに解説記事として、「LDL受容体とFHの病態・治療」という論文も掲載した。
■1985年ノーベル賞―Brown & Goldstein■
●1986年1月6日:

 1985年10月にノーベル生理学・医学賞がGoldstein、Brown 両博士に決まった。授賞の対象は、「コレステロール代謝の調節に関する発見」である。決定のニュースを見た直後に、私は井村裕夫先生(京大医学部教授・第三内科)に電話取材した。
 「今年のノーベル医学賞について何方かに解説の執筆をお願いしたいのですが誰が適任でしょうか?」とお尋ねした。
 「うち(京大)の北君がGoldsteinのところから帰ってきたばかりだから彼が適任です」と、即座に教えてくださった。
 「困ったときは井村さんに聞け」だった。漸く独り立ちして、医学記者としての感が出来てきていた。こうして入手したのが北先生によるインタビューとノーベル賞の解説記事であった。
 この時が北さんとの初めての出会いであったが、面と向かってはお会いしていない。三年後、1988年1月25日(月)、上京された北さんに初めてお会いした。この折に、循環器の臨床に戻られていた北さんに、「動脈硬化の新しい捉え方」のテーマでインタビューして、記事を作成した(医学界新聞・第1794号)。
 次のことを、その時に本人から伺った。北さんは、京大の第三内科に入局して基礎医学を学ぶために沼正作先生の医化学教室に入った。そこには優秀な研究者である中西忠重先生らが既におられた。「とても伍していけない」と思った。そこで、帰国後は臨床医に戻るつもりで米国テキサス大学分子遺伝学教室に、1980年から留学した。帰国して数年後、1988年(昭和63年)に京大医学部・老年医学講座教授になられた。その後、2002年(平成14年)に京大医学部循環器分野教授に就任された。北先生が内科学の教授になられたときに、「ネズミの頭を叩いていたのが臨床をやれるのか?」という蔭口が囁かれたと側聞した。
 今回のブログ作成を契機に、その後のご経歴をインターネットで調べた。2005年に京都大学理事・副学長。2008年に神戸市立病院院長を経て、2015年から神戸市医療監を務めている。白髪ながらお元気そうな写真も掲載されていた。1947年京都生まれと知った。私と同年代だった。記憶に残る私の「医人」のお一人として取り上げた。
(2019.3.2)
(私の「医人」たちの肖像―〔44〕北 徹さんとインタビュー「Brown & Goldstein両博士に聞く―科学することに大胆であれ」~1986年1月6日)