TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像― (48) 赤池 陽さんと座談会「ライフサイクルから見た女性のこころとからだ」 ~1986年3月7日(金)

(48)赤池 陽さんと座談会「女性のライフサイクルと心の成熟」~1986年3月7日(金)

 

 1986年3月7日(金曜日)。「女性のライフサイクルと心の成熟(D.G. Hertz・堀口 文・赤池 陽)」という座談会の紙面構成(レイアウト)を行った。
座談会「女性のライフスサイクルと心の成熟」■
●1986年3月7日(金):
 
『ライフサイクルからみた女性の心とからだ(D.G. Hertz、H. Molinski 共著、石川 中、赤池 陽 訳)』が、医学書院から1986年に出版された。この本で触れられたテーマは、女性の社会進出があたり前になった現在では、新しいものではない。当時としては未熟な領域であったと思う。
 上記本の著者の一人Hertz教授が来日した機会を捉えて、座談会「女性のライフサイクルと心の成熟」を刊行記念と宣伝を兼ねて、1986年の初めに行った。収録は東京・湯島のガーデンパレスだった。座談会は上記単行本の担当であった書籍部のTOさんからの持ち込み企画であった。聞き手(インタビュア)をお願いした堀口 文先生は、その当時、獨協医科大学産婦人科助教授であった。もう一人の赤池 陽先生はドイツで医学教育を受け医師になられた方であった。当時は文京・目白にあった東京大学病院目白分院の放射線科医師だった。
 「女性のライフサイクルと心の成熟」というタイトルで、収録したインタビューを、医学界新聞・第1692号(1986年3月24日)に掲載した。その直後に赤池 陽先生は急逝された。座談会の掲載紙を、ご自宅に郵送したところ、赤池先生のご家族からご逝去の知らせを受けた。余りのことにお悔やみの言葉のみで詳細を尋ねることは控えた。これを記述している今年(2013年)、偶然に赤池 陽先生のお亡くなりになる頃のことを知る機会があった。
■岡西雅子著『いきることは尊いこと―いのちをみつめた闘病と介護の日々』■

 岡西雅子さんが、『いきることは尊いこと―いのちをみつめた闘病と介護の日々』という本を医学書院から出版された。このタイトルを目にして、最初は興味を惹かれなかった。読み始めてみてその内容の重さに驚いた。岡西さんは、14歳のころから膠原病で自ら苦しみながら、老齢の父親を介護しており、その家庭医(主治医)が赤池 陽先生であった。日々の健康管理をして頂いていた主治医の赤池先生の方が、急性膵臓炎のため、1986年3月22日午後に逝去されたことが、記述されていた。
 座談会の折に初めてお目にかかった赤池先生は、穏やかな50歳代後半の紳士に見受けられた。私は27歳の時に大量飲酒のあとで急性膵臓炎になり七転八倒の苦しみを経験している。赤池先生は大酒のみには見えなかった。急性膵炎の発症にどのような経緯があったのか知る由もない。衝撃的な短い出会いと別れだった。
(2019.3.7)


(私の「医人」たちの肖像―〔48〕赤池 陽さんと座談会「ライフサイクルから見た女性のこころとからだ」~1986年3月7日)