TomyDaddyのブログ

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「私のC型肝炎物語」第7章:マヴィレット治療への挑戦ー(32) 服薬終了後247~254日:新年に,7年ぶりの海外旅行!

(32) 「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦― 服薬終了後247~254日:新年に、7年ぶりの海外旅行!

 

■3泊5日のバリ島―7年ぶりの海外旅行■

  • 2019年1月23日(水):

本日で、服薬終了後から248日を経過した。

2019年1月19日(土)に成田山新勝寺を参拝した。その夜は成田の東横インに宿泊した。翌20日(日)の午前10時過ぎにガルーダ航空便でバリ島に来た。2012年のシシリー島から、実に7年ぶりの海外旅行だ。20日からのバリ島旅行も順調に推移して本日は最終日だ。午前6時50分頃に起床した。バリ島ではNHKが見られる。恒例の朝ドラを見た。7時20分頃から8時30分頃までレストランでバイキング形式の朝食を摂る。そのあとY子とホテルの周囲を1時間位散策した。海辺のリゾートなので海岸ではソファーで寝そべる人もいる。バリ島はオーストラリアから近い(4時間位らしい)のでオーストラリアからの家族連れが多いようだ。部屋に戻ってシャワーを浴びてから帰国に備えてトランクに荷物を詰めた。昼は持参したカップ麺とビールで済ませた。その後メモつけをしてから12時45分頃から13時30分頃までベッドで休む。14時少し前にチェックアウトして荷物をフロントに預けてガイドさんの迎えを待った。14時20分頃にチャーターの車が来て14時20分頃に最終日の観光に出た。初めにバリ島の田舎町のヒンズー教寺院に連れて行ってもらうことにした。途中で、藤蔓よりさらに細い蔓で作る工芸品工房(アシタバという名称)に立ち寄った。記念に2Lサイズの写真立を購入した。175,000Rp(1500円位)だった。次に、銀製品工芸の店にも寄った。そのあと、10分くらいで寺院についた。各村には3つの大きな寺があるとのことだ。入場料は一人1万ルピ(100円位)だった。お金を払うとサルーンという腰巻布を貸してくれる。これを巻かないと聖なる寺院の境内には入れない仕来りになっている。サルーンはカラフルな大きな布で腰にまき付けるとバリ民族風に見える。ガイドのジュディさんに何枚も記念写真を撮って貰った。

1時間くらいでお寺を後にして30分くらい車で走ってから道路沿いの屋台風食堂に立ち寄った。食堂と言っても住居の庭先の空いた場所にテーブルを3個くらい置いただけである。奥の壁と民家の壁面の角にガスボンベとコンロが置いてある。そこで若い男性が立ったままで大きなシナ鍋でなにやら調理している。その前のテーブルではお店の主人と思しきこれも中年の男性が立ったままで焼きそばと炒飯の材料を包丁で刻んでいる。豪快でなんとも野性味のある料理風景である。少ししてリアカーのような屋台を曳いたお爺さんがやってきて道路沿いに屋台を設置した。プロパンガスボンベ、水タンクも持っていた。これが即席ラーメン屋となった。その隣には設置済みの屋台風のお店にカバーがかけてあった。暫くしてそこのお店の主人もやってきてカバーを剥ぐとスタンド式の薬屋さんが現れた。お腹が少し空いてきたのでチャーハン(ナシゴレン)とミーゴレン(焼きそば)を二人で注文して食べた。全部で75,000Rpだから600円位だ。さらに私だけは屋台のラーメンも食べてみた。まずくはないが日本の即席ラーメンの方が美味しい。屋台で小腹をおさめてからケチャダンスを見に移動した。

■ケチャダンスを見る■

ケチャダンスは18時30分から19時30分の1時間くらいだった。バリ島旅行2日目(21日)に雨風がつよくてウルワツ寺院での夕陽をみながらのケチャダンス見学を断念した。その代わりに屋根付きの舞台で演じるデンパサールでのケチャダンスを見学した。説明によると、デンバサールのケチャダンスの方が伝統ある古いものだという。ケチャダンスはヒンズー教の神話に基づいた筋のあるお話のようだ。50~100名近い男性が、上半身は裸で腰巻きだけの姿で輪になって座り、「チャ,チャ,チャ・・・・」という独特のリズムのお囃子を奏でる中で、神話に基づいたダンス物語が演じられるものだ。写真をたくさんとった。1時間余で終了して帰路に就く。

20時20分頃にはホテルに戻った。10分後の20時30分には旅行会社(バリ王)の担当者(アンソムさん)が車で迎えに来て空港に送ってくれた。21時過ぎには無事に空港内にチェックインした。空港内のフードコートでサンドイッチとビールとコーヒーを注文した。残金の現地通貨217,000Rpで足りると思っていたがレジで足りないという。仕方がないので不足分をクレディットカードで支払った。22時頃には出国の手続も住んで出発ゲートで待つ。G1登場口には大勢の客がいた。私たちは待合コーナーの座席に幸いにも座れた。座席が少ないために大勢の白人の客たち、特に若い女性が床に寝転んでいる。途中でマレーシア行きのゲートがG1からG6に変更になったとのアナウンスがあった。大勢の客たちが移動して行った。そのあとには水のペットボトルやお菓子袋が散乱していた。西洋人(オーストラリア人)は行儀が良くない。さらに待つこと1時間、出発のフライトは0時45分なのにゲートは開かず何のアナウンスもない。夜中の1時過ぎになって漸くG1ゲートから搭乗待合の中に入れたが、1階下のフロアーに移っただけで更にそこで30分~40待つ。1時20分頃に搭乗した。座席は通路側を選んだ。1時30分にフライトした。20~30分くらい経過してからオレンジジュースとパンがでた。私は全て食べたが、Y子は眠っていて食べなかった。朝5時頃に一度トイレに行った。その後再びうとうとしていた。午前7時30分頃に朝食が出た。私はオムレツとパン、Y子は珍しく和食を注文していた。出立は遅れたが、追い風のためか予定の午前8時40分(日本時間)に成田に着いた。

■東大病院受診日―肝も糖も何とかクリア■

  • 2019年1月29日(火):服薬後254日:

服薬終了後254日目を迎えた。本日は待っていた東大病院(DM内科)受診日である。前回(12月19日)から約40日が経過した。この間、年末の湯河原忘年会宿泊、年始のお節料理、そして1月19~24日のバリ旅行とお酒も飲んだ。食事もダイエットはせず十分に食べていた。体重は59~61キロと2キロくらいは増加していた。そのために、DM関連のグリコアルブミン(GA)が18.7から20.4へと増加していた。肝心の肝臓の数値の方は横ばいであった。AST、ALT、γGTPは27、22、27であった。AST、ALTは前回の30、22より下がっている。γGTPは25から27へと増加しているが、正常値以内である。血小板Pltは13.4から12.8へと降下している。血小板の数は中々元に戻らないらしい。HCVウイルスが消えたからといって線維化した肝臓組織は回復しないようだ。

とにもかくにもHCVウイルスは、昨年の3月21日頃に消えて10カ月が経過した。これから脂肪肝にならないようにお酒はほどほどにして、DMの克服に向けて歩くこと、筋肉を維持することだ。合気道の稽古と山歩きを今まで以上に重視していこう。

(2019.3.12)

(「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦― 〔32〕服薬終了後247~254日: 新年に、7年ぶりの海外旅行!)