TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(52)大野 乾さんと鼎談「遺伝子・進化・人間」~1986年5月1日(木)

(52)大野 乾さんと鼎談「遺伝子・進化・人間」~1986年5月1日(木)

   

   1986年5月1日(木)。メーデーで会社は休日だったが、出勤して午後18時~20時まで本郷の料亭「百万石」で、座談会(鼎談)「遺伝子・進化・人間」の収録を行った。
 「遺伝子・進化・人間(大野 乾・村松正実・森脇和郎)のタイトルをつけて医学界新聞・第1717号(1986年9月29日付、)に、鼎談を掲載した。
■鼎談「遺伝子・進化・人間」■
●1986年5月1日:

 鼎談「遺伝子・進化・人間」は、1986年の新年号の座談会「日本の科学・日本の医学」に付属した巻頭カラーグラフ「生命の言語―DNAを見る」に関連して、村松正実先生(東大教授・生化学)からの持ち込み企画であった。一つの企画が連鎖して広がりを持ってくる編集の面白さを感じた。分子遺伝学の大野 乾先生は、米国City of Hope研究所におられ、米国科学アカデミー会員であった。大野さんの一時帰国の機会を捉えての座談会には、村松先生の推薦で森脇和郎先生(国立遺伝学研究所教授・細胞遺伝学)にも参加いただいた。
 掲載時のリードに次のように書いた。
 「人間が最もよく研究しているのは人間自身であるといわれる。たしかに、DNAという生物の共通言語が手に入ってから,ヒトに到る生命の研究は各段に進んでいる。しかし一方、宇宙誕生から天地長久のタイムテーブルから俯瞰すると、人類の歴史そのものが瞬時にすぎない。残された『謎』は大きい。本号では、分子遺伝学の泰斗大野乾博士を迎え、同氏の研究の軌跡を辿りながら、村松正美、森脇和郎両氏と話し合っていただいた。キーワードは、『遺伝子・進化・人間』。始原遺伝子の誕生から遺伝子の進化、junk DNA、生命の起源、種の誕生、そしてDNAの音楽まで話は尽きない。」
■DNAで音楽する■
 
口髭が見事な遺伝学者の大野さんのことは何方の紹介でお目にかかったのだろうか。既にこのシリーズで紹介した多田富雄さんも井川洋二さんも、大野さんのことを非常に高く評価していた。大野乾博士は、遺伝子の塩基配列を音符に変換することにより,ヒト染色体上のPGK遺伝子、その他を、実際の音楽に作曲している。また、逆にショパンの葬送行進曲などの塩基配列への変換も試みている。この時にhuman insulin receptor β-chain tyrosine kinase domainに基づいて作曲した楽譜を大野さんから頂いた。この楽譜を私の妻のY子に弾いて貰ったことがある。哀愁を帯びた音楽だった。前段で紹介した座談会のなかで、塩基配列からの作曲に関して興味深い部分を引用する。

村松:ところで、先生が主張されている「DNAの塩基配列の法則というのは、作曲の法則に非常に似ている」ということですけれども、これはどういうことからおもいつかれたのでしょうか。
大野:PGKの遺伝子の端列は繰り返しが非常にはっきりしているんですね。A, G, C, T, Gというのが1つのベースで変わって、何回も繰り返したり。あれを見ていると、なんか音譜と同じじゃないかということで・・・・。
村松:まず、パーンと、直感で感じられたのですか。
大野:はい。

遂に日本に戻らなかった大野さん
 この機会に大野さんの略歴をインターネットで調べた。ウキペディアには次のように記載されていた。1928年2月1日、日本統治時代の朝鮮・京畿道京城生まれ。2000年1月13日に逝去されている。
 「遺伝子重複説」や「X染色体上の遺伝子保存則(大野の法則)」の提唱でも知られる。「アメリカ合衆国生物学者」とも書かれていた。1949年、東京農工大学大学院獣医学研究科修了、獣医学博士。1952年カリフォルニア大学ロサンゼルス校研究員。1961年、理学博士(北海道大学)「哺乳類及び性染色体の二重性格と系統進化(英文)」。1960年代に米国City of Hope National Medical Center 研究員。以降、米国在住。最後まで日本には戻ってこなかったようだ。訃報に接したのはもう19年前のことだ。
(2019.3.15)


私の「医人」たちの肖像―〔52〕大野 乾さんと鼎談「遺伝子・進化・人間」~1986年5月1(木)