TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(56) 和田武雄さんとインタビュー「基礎医学と連携した臨床腫瘍学を」 ~1986年10月30日(木)

(56)和田武雄さんとインタビュー「基礎医学と連携した臨床腫瘍学を」~1986年10月30日(木)

 

   1986年10月30日(木)。「日本失語症学会(現・日本高次脳機能障害学会)」の取材に、午後13時から行った。夕刻に本郷の会社に戻って、18~20時まで和田武雄先生(札幌医科大学学長)へのインタビューを収録した。先輩記者のSH君の一ツ橋大学時代の恩師の出口裕弘さん(フランス文学者)から、札幌医大の和田武雄先生を紹介されて、今回のインタビューに結びついた。
■和田武雄さんに聞く■
●1986年10月30日(木):

 第45回日本癌学会が、10月20日(月)~23日(木)まで、札幌市の厚生年金会館、他で開かれて、取材に行ってきた。この日本癌学会総会会長が、和田武雄先生(札幌医大・第1内科教授)で、専門が癌の臨床であった。インタビュー内容は、成功裏に終了した「第45回日本癌会」を振り返って、癌研究の今後を展望するというものであった。「基礎医学と連携した臨床腫瘍学を―和田武雄氏に聞く」のタイトルで、医学界新聞・第1733号(1987年1月)に掲載した。
■物静かな腫瘍学の大家の風貌■
 和田さんにお会いしてみると、物静かな大家の風貌であった。北海道帝国大学医学部を、昭和15年に卒業。北大第2内科副手を経て、昭和25年に新設の札幌医大内科学助教授、27年同内科学教授に就任した。昭和56(1981)年~61(1986)年まで、札幌医科大学学長を務めた。和田先生の後任の札幌医大・第1内科教授が谷内昭先生で、「DDSの座談会」でお世話になった。その時に医局員の一人だった今井浩三先生が、谷内先生の後の第1内科教授になった。二人とも後に札幌医大学長になっている。札幌医大・第1内科は名門教室だったのだろう。
 和田さんとの出会いは、この時が初めてで最後であった。和田さんは大正3(1914)年に北海道札幌郡広島村(現・北広島市)に生まれ、平成11(1999)年1月30日に出張先のタイのチェンマイで逝去された。
森 有正と和田武雄さんとの交流■
 よい機会なので和田さんのことを、インターネットで調べた。「人生書房店主歳時記」というブログで、「和田武雄先生と森 有正」という興味深い記事を見つけた。これによると、和田さんが哲学者の森 有正(1911年~1976年)と知り合ったのは森 有正の晩年といえる1970年(昭和45年)であった。森有正は、薩摩出身の明治の政治家・森 有礼の孫でパリを拠点にしていた哲学者ではないか。森有正さんは、1970年当時、生活と思索の場となっていたフランスやヨーロッパを一時離れて帰国、東京三鷹国際基督教大学客員教授として、数カ月を夏の日本で過ごしていた。その年の7月末から9月に新学期が始まるまで、北海道で過ごそうとして札幌にやってきた。しかし、思いもかけず8月上旬に病を得て、札幌医大付属病院に入院することになった。そこで札幌医大内科教授の和田さんと出会うことになった。
 
「この出会いには、残された数少ない互いの交流に触れた短い文章や行動等からうかがうと、互いにキリスト教徒という親密感があったであろうことは想像に難くない」と記されている。一期一会。稀有ではあるが必然の出会いだったのだろう。
 昭和45(1970)年といえば、私の札幌での学生生活の最後の年であった。もしかしたら、和田さんや森 有正さんと、大通り公園辺りですれ違っていたかもしれない。
(2019.3.19)


(私の「医人」たちの肖像―〔56〕「基礎医学と連携した臨床腫瘍学を」~1986年10月30日)