TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像―(57)塩川優一さんと「国際AIDS治療カンファレンス」 ~1987年2月13日(金)

(57)塩川優一さんと「国際AIDS治療カンファレンス」 ~1987年2月13日(金)

 

   「エイズ」が社会で注目を集めていた。そのため、エイズ関連のシンポジウム等が、医学関連の学会、研究会等で頻繁に開催されていた。可能な限りそれらを私は取材した。
 「国際AIDS治療カンファレンス」が、1987年2月13日(金)~14日(土)の2日間、大手町の経団連会館で開かれた。
■国際AIDS治療カンファレンス■
●1987年2月13日(金)~14日(土):

 「国際エイズ治療カンファレンス」を主催したのは、厚生省管轄下の「昭和61年度AIDSの感染・発症メカニズムの研究班(世話人代表=塩川優一順大名誉教授)」であった。カンファレンスには、梅内拓生(WHO西太平洋地域)、Robin Weiss(ロンドン 癌研)、Samuel Broder(米国 NIH)、満屋裕明(米国 NIH)、Larry Lasky (米国 Genetech社)、Barre-Sinoussi (仏 パスツール研)等、海外からの招待研究者を含めて130人余が参加した。
 取材にカメラマンのTYさんも一緒に行った。会議後の記者会見の模様の写真をトップに載せて、詳細な記事を作成し、医学界新聞・第1740号(1987年3月)に掲載。厚生省の「エイズ問題総合対策大綱決定」の記事を同じ号に併催した。この頃の医学界新聞は、エイズ情報の報道に力を入れすぎていたかもしれない。
エイズ治療薬AZTと満屋裕明先生■
 NIHの満屋裕明氏が、エイズ治療薬AZT(アジドチミジン)の開発について、この会議で発表した。AZTは、米国製薬会社バローズ・ウエルカム(現グラクソ・スミスクライン)社が、1964年に抗がん剤として開発したものだ。1985年に、満屋さんが抗HIV作用を発見した。学会当時、AZTはまだ臨床治験の段階であった。その後、1987年3月、AZTはエイズ特効薬として認知された。日本でのAZT発売開始は1987年11月だった。
 この時の出会いを契機として、満屋さんには、インタビューや原稿執筆等で、お世話になった。満屋さんは熊本大学医学部出身で、私より2歳くらい若い団塊の世代の方だ。この頃から10数年後に帰国され、満屋さんは、母校・熊本大学医学部教授になられた。
■リウマチ・膠原病が専門の塩川優一さん■
 「昭和61年度AIDSの感染・発症メカニズム」研究班の世話人代表を、塩川優一さん(順大名誉教授)が務めていた。塩川さんとはその時まで面識がなかったが、エイズ関連の研究会や記者会見等でお目にかかる機会が格段に増えた。その頃、エイズは未知の怖い病であり、患者もまた医療施設側も、エイズに対して戦々恐々としていた。都立駒込病院や順天堂医院が数少ないエイズを診られる病院として社会に開かれた時期だ。
 「エイズの感染・発症メカニズムの研究班」の世話人代表に塩川さんが就任された1961(昭和46)年は、日本リウマチ財団設立に向けて奔走されていた時期と重なる。
 「なぜリウマチが専門の塩川さんがエイズ研究班の世話役に就任したのだろうか?」と疑問に思った。それまでエイズの専門家はいなかったわけだから、功成り名遂げた塩川さんに役割が回ってきたのだろうと理解していた。当時の塩川さんは、60歳台の終わり(69歳?)頃で、矍鑠としておられた。今回の記述にあたり、塩川さんの略歴を調べてみた。
■菊兵団軍医のビルマ日記■
 塩川さんは、1918(大正7)年に神戸市に生まれ。1938(昭和13)年に東京帝国大学入学。ここで戦争が勃発。塩川さんは学徒出陣でビルマ戦線に従軍されて1000人に一人の率で帰還した。「学徒出陣の壮烈な体験」を、1992年、雑誌「日本医事新報」に、塩川さんは連載で寄稿された。後に連載は、『菊兵団 軍医のビルマ日記』(日本評論社)という本として、2002年に出版された。以上の足跡は、「日本リウマチ財団ニュース」No.137 (2016年7月号)を参考に記述した。
 1946(昭和21)年に戦地より帰国して東大医学部第二内科に入局。1955(昭和30)年に順天堂大学医学部助教授に就任。1964(昭和39)年に同教授に就任。1969(昭和49)年に同大学に膠原病内科を設立した。1979(昭和54)年に順天堂医院院長に就任。1987(昭和62)年に日本リウマチ財団が、厚生省の認可を得る。同財団の理事長に就任。2002(平成14)年に日本リウマチ財団理事長を辞任している。2016(平成28)年の4月28日に98歳を前にして逝去された。
(2019.3.20)


私の「医人」たちの肖像―[57〕塩川優一さんと「国際AIDS治療カンファレンス」~1987年2月13日)