TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(59)金澤一郎さんと座談会「神経科学の近未来」 ~1987年3月4日(水)

59)金澤一郎さんと座談会「神経科学の近未来」~1987年3月4日(水)

 

 1987年2月13日(金)。東京・平河町全共連ビルで開かれていた何かの研究会に出席されていた金澤一郎(当時、筑波大学助教授・神経内科)さんに会いに出かけた。そこで、「神経科学」に関する座談会の組み立てと出席者の相談をした。先輩編集者のSMさん(後に退社して起業された)と先輩記者SH君が一緒だった。この時が金澤さんとの最初の出会いであった。金澤さんは、まだ若い40歳台で、スポーツ刈りの短髪で精悍な風貌であった。神経内科医という私のイメージとは違った感じを持っていた。
■座談会「神経科学の近未来」■
●1987年3月4日(水):

 1987年3月4日(水曜日)。座談会「神経科学の近未来」を、東京・本郷の医学書院で、18時から20時30分まで収録した。座談会の組み立てと陣容は、司会をお願いした金澤さんの推薦で、彦坂興秀先生(当時は東邦大学医学部・助教授・生理学)と高坂新一先生(当時は慶応義塾大学医学部・講師・神経化学)に参加をお願した。座談会は、医学書籍部の編集者SMさんが編集した『神経科学レビュー』というシリーズ書籍の販売促進の一環企画であった。収録した座談会は、医学界新聞・第1753号(1987年)に掲載した。この座談会はその後の神経学の研究方向を鳥瞰する役割を十分に果たしたと今でも思う。後日バックナンバーを入手できれば、内容を振り返ってみたい。
(2019.3.22) 


私の「医人」たちの肖像―〔59〕金澤一郎さんと座談会「神経科学の近未来」~1987年3月4日)