TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(60)中尾喜久さんと「第22回医学会総会開会式」 ~1987年4月4日(土)

 (60)私の「医人」たちの肖像ー中尾喜久さんと「第22回医学会総会開会式」 ~1987年4月4日(土)

 

 第22回日本医学会総会開会式が、1987(昭和62)年4月4日(土)、東京・品川の新高輪プリンスホテルで開かれた。
■第22回日本医学会総会開会式■
●1987年4月4日(土)

 医学会総会の会頭が中尾喜久先生(当時は自治医大学長)、準備委員長が高久史麿先生(東大教授・第3内科)、複数の副会頭の一人が阿部正和先生(慈恵医大教授・第3内科、後の慈恵医大学長)であった。
 開会式への出席はマスコミ各社でも出席者数が限定されていた。医学界新聞からは、私とカメラマンのTYさんとが参加した。開会式の司会をNHKアナウンサーの宮崎 緑さんが務めていた。純白のスーツで身を固めておられた姿が清々しく印象に残っている。
■小柄だが重みのある中尾喜久さん■
 
医学会総会の会頭を務めた中尾さんは、東大教授(第3内科)を定年となり、総会の折は新設された自治医科大学学長だった。医学会総会の挨拶の口調はゆったりとした重々しい喋り方で、貫録を感じさせた。
 中尾さんは、大正元 (1912)年に生まれ、平成13(2001)年に89歳で逝去された。内科(血液病学)が専門。昭和12年東京帝大卒。昭和22年12月、東大第3内科(沖中教授)講師、38年5月、同助教授。昭和32年5月群馬大学教授(第2内科)を経て、昭和38年5月から東大教授(第3内科)、昭和48年3月定年退官。東大のあと初代自治医科大学学長となり、爾来、24年間(昭和47年2月~平成8年3月)、自治医大学長を務めている。
医学会総会はビッグイベント
 今から32年前の1987年当時は携帯電話もインターネットもなかった。4年毎に開始される医学会総会は、医学界だけでなく社会的なビッグイベントであった。

開会式の翌日4月5日(日)は、午前9時から御成門の東京プリンスホテル、午後はABC会館へ午後18時頃まで取材に行った。4月6日(月)は午前9時から東京プリンスホテルで取材活動。終了後医学界新聞のスタッフ(KI君ほか)とカメラマンのTYさんのスタジオのある江戸川橋で打ち上げ会を行った。夜中の午前2時30分に帰宅した。

 事後に「第22回医学会総会開催」として、医学界新聞・第1749号(1987年)に、取材記録を大きく紹介した。中尾さんと直接の面識は残念ながらなかったが、印象に残る「医人」のお一人なので、敢えてこのシリーズにとりあげた。
(2019.3.23)


(私の「医人」たちの肖像―〔60〕中尾喜久さんと「第22回医学会総会開会式」~1987年4月4日)