TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

相模国の国分寺跡地を散歩した!

  海老名市にある国分寺跡を見に行った。偶然の賜物である。昨日、海老名野伊勢山公園に孫のJ君とRちゃんを連れて散歩に行った。私たちの次女Yの夫M君が海外(中国)に出張でに行き,Yも仕事で外出となった。土曜日は学校が休みなので祖父母の私たちが孫たちと過ごすことにした。午前10時過ぎには海老名に着いて孫2人を連れだして冒頭に記した伊勢山公に初めて行った。周囲200~300メートルくらいの小高い山の公園である。小さいながらも芍薬の花、桜の花、エゴの木や何やらがあり大木の下には青木やツツジの植え込みがある。登り口の散策路は丸木で土留めがなされており歩き易い。3~4分で登りつめるとコンクリートのテーブルとベンチが設えてあった。染井吉野も散り始めているのに風は肌に寒く感じた。陽当たりを求めて半日陰のベンチで持参したお弁当を楽しんだ。そのあとトイレを捜したら反対側の登り口まで戻らないと無いと判った。J君が近くに国分寺跡地がありその近くに「温故館」があり、その中にトイレもあるというので行ってみた。
■海老名国分寺跡地と温故館■
 果たして伊勢山公園を側面から下るとすぐに国分寺跡地が見えてきた。広さはせいぜい500坪くらいで余り広くはないが前面が芝生で中ほどに80センチの高さの100坪くらいの四角い基礎台が見えた。国分寺七重の塔の基礎跡だ。この跡地と道路を挟んで対面に「温故館」があった。ここでトイレを拝借してから展示室を見学をした。「温故館」は旧海老名の町役場の建物を移築して「温故館」という史跡記念館にしたものであった。2階建ての2階は資料館になっていた。古い農機具(鍬、脱穀機、等々)や臼と杵、鍋、釜など昔の生活用品等々が展示してあった。ブラウン管テレビ、黒電話、炭火アイロン等の生活調度も展示してあった。1階は事務室とこの近辺で出土した縄文式土器の数々が修復して展示してあった。
■海老名国分寺と七重の塔■
 東京の国分寺の地名と共に「国分寺」がお寺であることも知っていた。海老名に来るとき国道246号の交差点「国分」で一般道路に降りることから海老名にも国分寺があったこと、そのレプリカ(三分の一の大きさ)が海老名駅の南口広場に五重塔があることも知っていた。全国にある国分寺奈良時代聖武天皇の詔により建立されたものだという。相模国と同規模の国分寺は下総(千葉県)の国分寺であるという。国分寺の主要伽藍(建物)は奈良の法隆寺と同じ形式であったという。今回わかったことは、相模国と同規模の国分寺は下総(千葉県)市川の国分寺である。国分寺の伽藍のシンボルである塔は五重ではなく七重の塔頗る違いない。