TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像― (85) 吉川敏一さんと連載「フリーラジカル―その人体への影響」 ~1990年4月12日

(85)吉川敏一さんと連載「フリーラジカル―その人体への影響」~1990年4月12日

 

 1990年4月12日。「フリーラジカルの原稿」を入手との記載が、手帖のメモにある。
 「フリーラジカル―その人体への影響」のテーマの連載を、1990年に医学界新聞で行った。企画に際し京都府医大の吉川敏一先生(内科・講師)に企画相談をして、連載の第1回と第9回を執筆して頂いた。
■連載「フリーラジカル―その人体への影響」■
1990412
 フリーラジカルが、人体のあらゆる臓器にマイナスの影響を与えるとの観点から、複数の方に執筆いただいた。連載「フリーラジカル」の執筆者は以下の陣容だった。
第1回:吉川敏一(1901号)
第2回:伊藤 誠(1902号
第3回:児玉昌彦(1903号)
第4回:松尾光芳(1904号)
第5回:木暮久也・山崎靖人(1905号)
第6回:葛谷恒彦(1908号)
第7回:青柳一正・成田光陽(1915号)、
第8回:小原清隆(1918号)、
第9回:吉川敏一(1919号)
 読者の反応がよければ単行本にもできるのではと期待していた。しかし、編集者として最終的な詰めが甘くて尻切れトンボで終わった。
 翌年1991年3月1日(金)、午後15時から、東京・平河町の日本都市センターホールにおいて、第18回日本集中治療学会におけるシンポジウムの一つ「MOFの病態と治療」を取材した。MOF(Multiple Organ Failure)は、多臓器不全のことだ。
 シンポジウム「MOFの病態と治療」の終了後に、シンポジストの一人の吉川敏一さんに会場のフロアーでお目にかかりお話をした。そのころ活性酸素フリーラジカルと疾患との関連が注目されていた。吉川さんはフリーラジカル研究の若手ホープであった。当日は、上記連載企画のお礼を申し上げた。残念ながら継続取材ができなかった。
■吉川敏一さん―その後■
 吉川敏一さんは、後に京都府医大教授(内科)となり、この回想記を執筆し始めた頃(2013年)には、京都府医大学学長になっている。
 1947年4月28日、京都府生まれ。私と同世代だ。1973年3月京都府医科大学大卒。2011年に京都府立医科大学消化器内科学教授を定年退官。2011年4月に京都府医科大学学長に就任した。2017年頃、その晩節に暗雲が立ち込めた。そのことについては、このブログの趣旨ではないので触れない。「フリーラジカルの医学」が、最終講義のテーマと知った(「京都府医大誌・120巻6号」)。フリーラジカルは、吉川さんのライフワークだったようだ。
(2019.4.26)
私の「医人」たちの肖像―〔85〕吉川敏一さんと連載「フリーラジカル―その人体への影響」~1990412日)