TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

鎌倉アルプス踏破と救急車で湘南鎌倉総合病院へ

 大過なくて幸いであった!
 本日は「三歩会」(散歩を通じて脳出血リハビリテーションを目的としている散歩の会)の鎌倉アルプスを歩いた。JR根岸線の江南台駅に午前10時集合であった。最寄り駅の小田急多摩線はるひ野駅を午前8時19分に出発した。途中、新百合ヶ丘ー藤沢ー大船と乗り継いで午前9時40分頃に港南台に着いた。港南台は今から40年くらい前に旧住宅公団が開発した新興住宅地である。開発して公募販売した頃に現地見学に来たことがある。当時は当然ながら何もない平原と小山と造成宅地であった。このコースの山歩きは二度目である。港南台駅を午前10時5分くらいに出た。港南台から南口から駅前の高島屋の店舗を潜り抜けて団地の中を通り山際から山道に入る。入り口のところにサッカーグランドがある。そこからは横浜とはいえん全くの山道である。生憎の天候で視界はよくなっかたが天気がよければ富士山が綺麗に見えるらしい。がびちょうのけたたましい鳴き声、うぐいすのまだ心もとない囀りをききながら林の中をあるいた。tきおり小雨も降りかかる。2時間くらいでようやく散策路にベンチを見つけた。濡れているので立ったままお握りで昼ごはんにした。既に昼は過ぎて1時近かった。30分くらいの小休止のあとで再び林の中を歩くと漸く鎌倉の転園についた。ここには1年半前くらいまでは「転園休憩所」があった。40年くらいのあいだ営業していたらしい。古き良き時代っだった。ところが実際は横浜市の認可を得ていない違法営業であったらしく撤退を余儀なくされたとのことである。惜しくて残念だ。その跡地で私たちが水分補給して休憩していると何やら猫のような動物がやってきた。みると猫ではなくタヌキ」のようだ。やせ衰えて背中からお仲間で毛が抜け落ちている。頭部だけが毛髪があり獣の面影がる。ひとを恐れず何やら食べものを欲しそうだ。仲間がお菓子をあげた。私も葡萄パンを持っていたので投げてやった。武佐ぼり食う。おそらくこの地に茶店があった頃に残飯あさりで命をつなぎ野生の狩の技を失ってしまったのだろう。もはや命運は付きそうだがあと一日の命は繋がったかもしれない。ここを抜けて鎌倉瑞泉寺の裏山から下山した。山道はところどころに岩肌がむき出しになっており滑りやすい。妻のY子にはかなり厳しい山道くだりであった。下山してからも八幡宮の参道まで2キロメートル、参道に入っても1キロK近くあり駅前に着いたのは16時頃であった。駅近のお目当ての「サンマーメン」の中華のお店は開店が17時30分とのことであった。仕方がないので、駅近の地下のサイゼリアに入った。そこでみんなでビールで乾杯した。飲み物や簡単なおつまみも290円だ。私は中ジョッキ22杯と赤ワインを飲んだ。1時間くらいでお目当ての「サンマーメン」のお店に移った。ここで瓶ビールと餃子をみんな食べた。私とMさんは日本酒1合も飲んだ。「サンマーメン」は「秋刀魚麺」ではなくて横浜発祥の「とろみ付きのモヤシ野菜麺」であった。さっぱりして美味しく完食した。ここで事件が起きた。お店に入ったのが17時35分ころで、ビールをのみながら餃子と「サンマーメン」を食べ終わっていたから18時45分くらいだった。私の目の前に座っていた中畠さんがTさん(Y子)がおかしいという。私も気がついて立って行って背中を支えて首に手をると意識がない。様子おおかしい。30秒あるいは1分位して目を開けた。大丈夫と声をかけると返事をした。すでにその時には、お店の方が199番通報してくれていた。5分~7分くらいして救急隊員がやってきた。救急隊飯員の声掛けにはY子も時分で応えた。私は3年半前の小脳出血の既往から状況について説明した。すぐに血圧を測ると。70-100とかでかなり低いらしい。救急隊員の判断で病院に行くことになった。荷物をまとめて私も救急車に同乗した。10分くらいで到着した。病院は湘南鎌倉総合病院であった。