TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(86) Mary Louise Robbinsさんと対談「うまい英語で地球が狭くなる―医学英語のすすめ」 ~1990年6月29日(金)

(86)Mary Louise Robbinsさんと対談「うまい英語で地球が狭くなる―医学英語のすすめ」1990年6月29日(金)

 

1990年6月29日(金)。ロビンスさん(Mary Louise Robbins)と植村研一さんの医学英語に関する対談を、午後18時~20時30分まで、東京・本郷の医学書院会議室で収録した。
■対談「上手い英語で地球が狭くなる―医学英語のすすめ」■
1990629日(金):
  インタビュアをお願いした植村研一先生は脳外科医である。1933(昭和8)年生まれ。1959(昭和34)に千葉大学医学部卒。対談の折に伺った履歴によると、横須賀の米軍海軍病院で1年間のインターン経験の後に渡米。米国で7年間、さらに半年の英国留学をされている。1968年に、米国の脳神経外科認定医となって帰国した。帰国後は10年間の千葉大脳神経外科勤務を経て、1978(昭和53)年に浜松医科大学脳神経外科教授に就任された。
 植村さんは、医学の世界で夙に英語が堪能で知られていた。脳神経外科学会の同時通訳班責任者の役割を果たしていた。既に紹介したことのある、クリストファー・パリス著『人間の死と脳幹死』の日本語翻訳は、植村さんの仕事だ。医学教育にも熱心な方で、医師国家試験に関連した座談会で、何回も医学界新聞に登場していただいた。
■定年後に日本に移住したロビンスさん■
 ロビンスさんとは、(財)国際医学情報センター(IMIC)の茂木富美子さんの紹介で知りあった。当時の肩書はジョージ・ワシントン大学名誉教授(微生物学)、IMICのテクニカルアドバイザーであった。
 ロビンスさんの履歴を改めてみると、1912年米国ミネソタ州生まれ。上記の対談時(1990年)、ロビンスさんは既に78歳であった。お目にかかった折には、痩身で矍鑠としており70歳くらいとお見受けした。1940年にジョージ・ワシントン大学ワシントンD.C.)微生物M.A.を取得した。1944~1978年の退官まで、同大学で講師を経て教授をしていた。1968年の初来日(国立予防衛生研究所及び九州大学招聘研究員)以来、日本の生活に魅せられ、定年後の生活を日本に移したと伺った。『Dr.ロビンスの上手な英語医学論文の書き方(Mary Louise Robbins 著・茂木富美子訳)』という単行本を、1989年にロビンスさんは執筆していた(医学書院刊)。
 冒頭に紹介した植村さんとの対談は英語で行い、掲載にあたりIMICの茂木富美子さんに、日本語に翻訳していただいた。「上手い英語で地球が狭くなる―医学英語のすすめ(植村研一、M. R. Robbins)」というタイトルで、医学界新聞・第1928号(1991年1月14日付)に、収録した対談を掲載した。
( 2019.5.4)


(私の「医人」たちの肖像―〔86 Mary Louise Robbinsさんと対談「うまい英語で地球が狭くなる―医学英語のすすめ」~1990629)