TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像― (88) 吉田 修さんとインタビュー「第23回医学会総会展示の理念」そしてオスラー ~1990年9月10日(月)

(88)吉田 修さんとインタビュー「第23回医学会総会展示の理念」そしてオスラー ~1990年9月10日(月)

 

 京都大学の吉田 修教授(京都大学医学部・泌尿器科)にインタビューするため、京都に一人で出張した。

■京大吉田 修教授にインタビュー■
●1990年9月10日(月)
 
一日目は烏丸サンホテル、二日目は東山三条ホテルに宿泊した。京大病院のある聖護院川原町は旧制三高所縁の吉田山もすぐ近くだった。京大泌尿器科教授室は、京都大学の近衛北門から入った二階に所在した。その頃の私には近隣を散歩(観光)するという精神的余裕が微塵もなかった。後日談になるが定年退職後の2013年12月、京都を旅して初めて吉田山に登った。旧制三校跡地の山中にあるレストラン「茂庵」で食事し東山山麓比叡山を眺めることができた。
 吉田 修先生は、1991年に京都で開催される第23回医学会総会の展示委員長であった。当時の医学会総会は医学界で四年に一度の大イベントだった。その準備状況をお聞きして医学界新聞で紹介した。「第23回日本医学会総会展示の理念(吉田 修)として、医学界新聞・第1920号に、インタビュー記事を掲載した。
■吉田 修さんとオスラー博士■
 吉田 修さんは、日野原重明先生が主導していた「日本オスラー協会」にも入っておられた。医学界新聞・第2458号(2001年10月22日付)で、吉田 修さんに関する興味深い記事を見つけた。2001年秋に開かれた第19回日本オスラー協会総会で、「オスラー博士と日野原先生と私」と題して特別講演を行った。講演はオスラー博士の唯一の日本人の弟子であった佐伯理一郎医師(産婦人科医)のペンシルベニア大学卒業証書におけるサイン(Quliemus Osler)はラテン語であり、英語ではWilliam Oslerであることを、日野原さんに解明しもらったというエピソードである。オスラーの信奉者であった吉田さんは、医学教育者として今もご活躍されているようだ。
 吉田 修さんは、1935年3月1日生まれ。私より丁度一周り年長だ。1963年3月に京都大学医学部卒。1973年8月に38歳で京都大学医学部教授(泌尿器科学講座)。1997年に京都大学を退官。2001年10月~2008年3月まで、奈良県立医科大学学長を務めた。
■『平静の心』と私■
 
『平静の心―オスラー博士講演集』(新訂増補版、2003年、医学書院)を書棚から抜いてきた。「生き方(A Way of Life )」と題するオスラーの講演録を紐解くと医学には素人の私ですら心が洗われる。オスラーの言葉は、人間として普遍的で大切な何かを、読む者に与えてくれる―眠りにつくまえの30分の読書の奨め等々。いま読んでも裨益するところが大きい。
(2019.5.6)
(私の「医人」たちの肖像―〔88〕吉田 修さんとインタビュー「第23回医学会総会展示の理念」そしてオスラー~1990年9月10日)