TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(95)黒沢 尚さんと連載「自殺未遂者研究ノート」~1991年3月2日(土)

(95)黒沢 尚さんと連載「自殺未遂者研究ノート」~1991年3月2日(土)

 

1991年3月2日(土)。第18回日本集中治療学会のシンポジウム「ICU-CCUにおける高齢化社会の問題点と対策」を、午前9~12時まで取材した。その頃、高齢化社会を迎えてケアの重要性がますます増していた。一方、ナース不足も深刻であった。激務からくるナースの「燃え尽き症候群」が話題となっていた。
深刻なナース不足■
●1991年3月2日(土):
 
「ナースのメンタルヘルス」のテーマで、創刊したばかりの医学界新聞・看護版における企画について、上記のシンポジストの一人の黒沢 尚先生(日本医大助教授・救命救急センター、精神科)に昼食時に話を伺った。会場は東京・平河町の都市センターホールだった。このホールはいろいろな医学関係の学会がよく開催され、頻繁に訪れた。ホテル都市センターは、作家の森村誠一さんが、若い頃にホテルマンとして働いていたと聞いた。平河町には、出版社の文藝春秋社がすぐ近くにある。そのためか森村誠一さんはホテル勤務時代に作家たちと接触が多くあり、影響を受けて文筆家を志したと、何かのエッセイで書いていた。
■連載:「自殺未遂者研究ノート」■
 黒沢 尚さんとは東京文京区・千駄木の日本医大救命救急センターの山本保博先生を通じて知己をえた。都内屈指の第三次救命救急センターである日本医大病院には、多くの自殺未遂者が搬送収容される。センターでは、自殺未遂者の身体的治療に携わる医師だけでなく、救命されたあとの「再生」への医療としての「精神的ケア」が重要である。そのため、センターには精神科の医師が常駐していた。黒沢さんは救命救急センター所属の精神科医だった。
 「自殺未遂者研究ノート」という連載を、医学界新聞・第1660号(1985年7月29日)~第1671号(1985年10月21日)まで11回にわたり、寄稿をしていただいた。
 連載の初回で黒沢さんは、自殺未遂者を、以下のように定義していた。(1)本人が収容転機を自殺の目的で行ったと認めるもの、または遺書のあるもの。(2)家族も自殺であると認めるもの。(3)救命救急センターより転院時に生存しているもの。
1984年の自殺者は24,956人■
 「1984(昭和59)年における自殺の概要」(警察庁保安部)資料によると、1984年の自殺者は24,596人(男 16,508、女 8,088)であった。当時の自殺者数は交通事故死者と匹敵する数であったと思う。
 黒沢さんは、「総合病院精神医学研究会」の事務局の役割を、その頃、担っておられた。研究会は「総合病院精神医学会」へと発展した。
平成(1989)元年から30年~自殺者の推移■
 この時から4年後、1989年1月7日(私の42歳の誕生日)に昭和天皇崩御され、平成となった。さらに30年後の2019年4月30日、平成から令和に移行した。平成30年4月30日(火)の朝日新聞夕刊で、「数字で30年を振り返ると」という興味深い記事が掲載された。
 「平成時代の30年余を数字で振り返ると、訪日外国人は10倍以上に膨らみ、交通事故死は過去最少に、自殺者は今も2万人を超え、生きづらさを感じる人たちがいる。」と書かれている。
 厚生労働省によると、1989(平成元)年に22436人だった自殺者は、1998年に3万人台に増加した。「自殺対策白書」ではバブル崩壊による影響とする説が有力である。ピークは2003年で、統計が残る1978年以降で最多の34,427人を記録している。近年は9年連続で減少して2018年は2万840人だった。
(2019.5.12)
(私の「医人」たちの肖像―〔95〕黒沢 尚さんと連載「自殺未遂者研究ノート」~1991年3月2日)