TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(90) 横田裕行さんと座談会「身体も診る―心も診る」 ~1990年10月1日(月)

(90)横田裕行さんと座談会「身体も診る―心も診る」~1990年10月1日(月)

 

 1990年10月1日。千駄木の日本医大救命救急センターに直出した。医学界新聞では、その頃、毎月1回だけ医学生・研修医向けの紙面を作成していた。その紙面構成の企画を、黒澤尚先生と横田裕行先生に相談するためであった。
■座談会「身体も診る―心も診る」■
1990101日(月):
 黒澤さんは精神科医であるが、当時は救命救急センターにも所属して、自殺者(未遂含む)の心の研究を行っており、「自殺予防研究」に力を入れていた。横田さんは、救命救急センターの山本保博先生(当時は助教授)の下の若手医師(当時は医局長)であり、山本先生の推薦で企画相談に乗っていただいた。
 この日の相談の結果、「身体も診る—心も診る(横田裕行・岩崎康孝・倉持譲・渡辺信夫)」という座談会を行った。司会進行を横田さんにお願いした。横田さんはシャープな若手救急医の印象だった。倉持 譲、渡辺信夫両先生は、日本医大救命救急センターの医局におられた若手救急医であった。心を診る立場から参加いただいた岩崎さんは、黒沢先生の後輩の精神科医であり、当時は30歳前後であったろう。医学界新聞・第1916号(「医学生・研修医版」)に、収録した座談会を掲載した。
 当時の日本医大救命救急センターの教授は、大塚敏文先生であり、その後任が山本保博先生だ。その次(現在)の教授が横田裕行先生である。救命救急センターという最先端の医療現場への取材への配慮をいただいた。白衣をお拝借し身に着けて、救命救急センターのベッドサイド現場を見学させて貰ったりもした。医学・医療分野の若手記者として得難い体験をした日々であった。
(2019.5.15)

(私の「医人」たちの肖像―〔90〕横田裕行さんと座談会「身体も診る-心も診る」~1990101日)