TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像― (110)島田 隆さんと座談会「遺伝治療の現状と将来」~1992年10月21日(水)

(110)島田 隆さんと座談会「遺伝子治療の現状と将来」~1992年10月21日(水)


 1992年10月21日(水)。二つの座談会を収録した。午後に文京区・本郷の会社で、(1)「遺伝子治療」、夕刻から東京・ステーションホテル会議室で、(2)「慢性疲労症候群」というテーマだった。これら二つの座談会は、1993年の新年号企画であった。
■座談会:遺伝子治療の現状と将来■
●1992年10月21日(水):
 世界で初めての遺伝子治療が米国で実施されたのは1990年だった。これはアデノシンデアミナーゼ(ADA)欠損症による重度免疫不全患者に対するものだった。一方、日本でも厚生省(当時)の厚生科学会議「遺伝子治療に関する専門委員会(高久史麿委員長)」が遺伝子治療に関する研究推進の必要性を認める「中間意見」を1992年にまとめていた。
 編集室の新人KH君が遺伝子治療に関する座談会の企画案を、高久史麿先生(国立病院医療センター院長)に相談して出席者の陣容をまとめた。出席者は司会の高久先生に、寺田雅昭先生(国立がんセンター研究所長)と島田 隆先生(日本医大教授・生化学)を、推薦いただいた。寺田さんには癌の遺伝子治療についての立場から参加いただいた。島田さんは、1981~1991年まで米国NIH(National Institute of Health)に在籍しており、米国で遺伝子治療の実際に関係していた。島田さんには、この座談会の折に初めてお目にかかった。
 座談会では以下のような三本柱で広範にお話しいただいた。
(1)世界の現状:アメリカを中心に研究が進む―遺伝病(ADA欠損症)を対象に世界初の遺伝子治療を開始、
(2)期待される癌の遺伝子治療―bystander effect による効果増強と単一遺伝子の修復によるがん抑制の可能性、
(3)日本で遺伝子治療を推進するために―ガイドラインの作成、中央の委員会設置、ベクター供給会社の確保、国民へのPR活動が急務。
 収録した座談会を医学界新聞・第2015号(1993年1月4日付)に掲載した。同じ号に遺伝子治療に関る2つの解説論文を寄稿いただいた。一つは、吉田孝人さん(浜松医科大学教授・微生物学)による「動きだした遺伝子治療ミシガン大学にて「家族性高コレステロール血症に対し」だった。二つ目は石井弘之さん(米国NIHの国立がん研究所)による「米国の先端研究―脳腫瘍の遺伝子治療」であった。
■「ヒトゲノム・プロジェクト」の完成と遺伝子治療の現在は■
 遺伝子治療の背景には、ヒトの全DNA塩基配列を解明しようとする「ヒトゲノム・プロジェクト」がある。「第5回科学技術予測」が、当時、科学技術庁により示されていた。これには、「2010年にDNAの全塩基配列決定」と予測されていた。「ヒトゲノム・プロジェクト」は予測よりも7年早く2003年には完成した。
 座談会の掲載時(1993年)から28年を経過した現在(2019年)、遺伝子治療はどこまで進んでいるのだろうか。
 記憶を辿り、標記を記述する機会に島田さんについてインターネットで検索した。島田さんは、1991年に米国から日本医大教授(生化学)に転じた。爾来、異染性白質ジストロフィー(MLD)と低フォスファターゼ症(HPP)の遺伝子治療の研究等を進めた。2014年の定年退官の折に行った記念講演「遺伝病の治療をめざして」の要旨を、「日本医科大学雑誌」10巻2号で見つけて拝読した。
(2019.6.3)


(私の医人たちの肖像―〔110〕島田 隆さんと座談会「遺伝治療の現状と将来」~1992年10月21日(水)