TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(36) 山本保博さん①と連載「米国救急医療体験記」~1985年2月18日(月)

(36)山本保博さん①と連載「米国救急医療体験記」~1985年2月18日(月)

 

   1985年2月18日(月)。午前11時から文京区千駄木の日本医大に山本保博先生(救命救急センター助教授)を訪れた。山本さんが米国のMayo Clinicに短期留学するにあたり、「留学記」を医学界新聞に寄稿していただくことになり、私が担当になった。これが縁で、以降、山本さんにはインタビューや原稿執筆等で、数年間にわたり何回もお世話になった。

■Mayo Clinicとは■
●1985年2月18日(月):

   米国内陸部ミネソタ州の小都市ロチェスターは、内陸性の厳しい気象条件下にあり、竜巻が発生しやすく、救急医療が最大に求められている土地柄である。ロチェスターという田舎にありながら、Mayo Clinicは、ユニークかつ高度な臨床活動そして臨床教育を展開していることで当時から有名であった。

Mayo Clinicには神経病理部の教授として、岡崎春雄先生(大阪大出身)が、そのころ在籍しており、山本さんの下宿探しの援助をしてくれたとのことだった。Mayo Clinicに留学(訪問)する日本人は、その頃も今も多いようだ。Mayo Clinicに長い間勤務されていた丸田俊彦先生(精神科)から、「Mayoよもやま話」というテーマで、1982年頃に寄稿いただいたことがある。丸田さんは、長野県出身の方で機会があれば触れたい私の記憶に残る「医人」の一人だ。

■連載「米国救急医療体験記」

   この折の山本さんからの寄稿は、医学界新聞・第1638号(第1回、1985年2月25日付)~第11回(第1651号、1985年5月27日付)まで四カ月に及んだ。連載のタイトルは以下のようだった。
 (1)Mayo Clinic への助走、(2)全米からMayoへ集まる患者、(3)Mayoのグループ診療、(4)ICUは “I See You ”(5)ロチェスターの散歩、(6)Mayoの施設とそのシステム、(7)病院企業Mayoで働く人々、(8)Mayoの患者たち、(9)厳しい専門医への道、(10)医師生涯教育―日米比較、(11)来た、見た、触れたアメリカ医療。
 連載原稿の入手と紙面構成は、私にとって初めての経験だった。米国留学から帰国して間もない山本さんは、救急医療の合間に、留学時のノートのメモを見ながら原稿を執筆されていた。締め切り期日に原稿を頂戴に参上すると、「いま書いているよ」ということも屡々であった。
   「愉快なアメリカ、逞しいアメリカ」という言葉が、連載原稿の中にあった。筆者の山本さんも、編集者の私も若いころであった。「来た 見た 触れた アメリカ医療」と、最終回のタイトルを私が付けた。作家で冒険家でもあった開高健の『見た 揺れた 笑われた』に着想を得たつもりだった。
(2019.6.17)

私の「医人」たちの肖像―〔36〕山本保博さん①と連載「米国救急医療体験記」~1985年2月18日