TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『デッドライン(千葉雅也、2019年)』を読んでいるー面白い

 千葉雅也さんの『勉強の哲学(2017年)』を読み始めて中断した。この千葉さんが、小説をかいているというので、『デッドライン(2019年)』『オーバーヒート、2021年 )』と、次いでに『ライティングの哲学ー書けない悩みのための執筆論(千葉雅也、山内朋樹、読書猿、瀬下翔太)』を借りて来た。

 最初に、『デッドライン(2019年)を読み始めた。面白い。こういう生き方というもあったのだ。もちろん小説だけど実話を土台にしているのだろう。LGBTQに理解のある社会は望ましい。ここまでくれば、今から50年前に20代だった友人のTS君も、もっと自由に生きられたのだろう。とは言え、当時、50年前から彼もものの本で新宿2丁目の存在を知っていて訪ねて行っていたから、それなりに生きていたのかもしれない。

 さて、この小説は修士論文のデッドラインが迫る中で、闇の中の回遊する魚のように夜の街をさまよったりしている若い男の物語だ。主人公この頭のよい大学院生の「僕」は恵まれた「親ガチャ」に生まれついてもいる。この本を書くことで著者の千葉雅也さんは、ゲイであることを社会に宣言して自由を獲得していったのではないだろうか?まだ読んでいるさいちゅうだが、『勉強の哲学』よりもすらすら読める。読後はあとで。

気になる本『薬害「コロナワクチン後遺症」』(鳥集 徹著、ブックマン社、1540円)のこと

 新型コロナウイル感染拡大が止まらない。日本政府は新型コロナウイルスを第5類に移行する措置(5月1日からか?)を進めているようだ。そうなると、新型コロナウイルスはインフルエンザと同じ類の扱いになるのだろう。!
 一方で、私たちはまだマスクをして外出も控えめにひっそり生活している。私は、既に昨年の11月に新型コロナウイルスの第5回目のワクチン接種を済ませた。そろそろ、抗体の効果も薄れてくるのだろうか?
 ところで、新型コロナウイルスワクチンに関しては、アンチワクチンというか反対のキャンペーンの声も散見する。どちらが正しいのか?歴史が将来証明してくれるのだろうか?

 本日、標記の『薬害「コロナワクチン後遺症」』(鳥集 徹著、ブックマン社、1540円)の広告が朝日新聞朝刊(2023年2月1日)に出ていた。著者の、鳥集 徹さんは、医療ジャーナリストという人で、同志社大学文学部出身で56歳とのことだ。「アンチ新型コロナウイルスワクチン」とうような本を複数出している。何冊もだしているということは、売れて読まれているのだろう。朝日新聞が、広告とは言え、1面に載せ卯路言うことは信頼性を担保しているのか?興味深いことだ。記憶と記録のためにここに書いておき、手に取って読んでみたい。
<倦怠感、呼吸苦、胸痛、筋力低下、頭痛、帯状疱疹、・・・・。気鋭のジャーナリストがコロナワクチン接種後に体調に異変を来たした人達から、丁寧に経緯を訊いた。デマ、反ワクと切り捨てるのは、この本を読んでからにして欲しい。>

 上のようなのが、広告の文言だ。図書館で探して読んでみたい。反コロナワクチンの本は、かなりたくさん出ている。医師の中にも、コロナワクチンを否定してい人もいる。私は、新型コロナワクチンを上記のように5回接種した。mRNAワクチンは、文字通り本当は見切り発車の人体実験ワクチンであるのは事実だから先行きは不明だ

 気になる本の追加。
『精神病でありながら精神科医として生きたある女性医師の波乱の人生(久遠 悠著、パレードブックス、1320円)』

<私は双極性障害統合失調症の合併型、統合失調感情障害であろうと思っている。精神の変調の兆しが出始めたのは高校3年生の頃。波乱万丈の人生をこの年までよく生きてきたという思いは強く、もう十分だろうと考えている。>

 こんな医師がいるのかと驚いた。どういうことが書いてあるのだろう。

PFAS(ピーファス)ってなんだ?

 日本の冬の風景がおかしいぞ。椋鳥もヒヨドリも飛んでこない。庭先の南天ピラカンサの赤い実が年を越えて二月になったのにまだなっている。例年なら、年越し前の12月の寒い日に椋鳥が群れを成して飛んできてあっという間に食べつくし糞を辺り構わずにまき散らしていったものだ。それが今年は来ない。鳥インフルエンザの蔓延んで数十万羽の鶏が殺処分になったとのニュースもある。自然界でも野鳥のインフルエンザが蔓延しているのかもしれない・・・。

 「PFAS 国が対策強化へ健康への悪影響指摘」という大きな見出しの記事が朝日新聞朝刊(2023年1月31日)に載っていた。これは、プラスチックごみとは別にして、もしかしたら水俣病なんかと同様の自然汚染ではないのか? 興味を引いたので、概要をまとめておきたい。
の総称なんだという。生き物に蓄積し、悪影響を与える可能性がある。代表的なペルフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)とペルフルオロオクタン酸(PFOA)などは、2019年までにストックホルム条約会議で製造・使用が原則禁止された、んだという。>

 ところが、米軍基地や工場周辺など各地で、有機フッ素化合物(PFAS)の検出が続いている。PFASは水や油をはじく性質があり、フライパンなどのコーティングから泡消火剤まで、さまざまな用途で使われてきたのんだという。「テフロン加工」ってやつだろうか? しかし、20年ほど前から米国で発がん性の疑いが指摘されるなど海外では規制が厳しくなった。自然界では分解されにくく「永遠の化学物質」と呼ばれる。

 以下、新聞の報道を転記する。

<国内では、代表的な物質のPFOS(ピ―フォス)とPFOA(ピーフォア)について、国が2021年までに製造や使用を原則禁止した。20年に毎日

2リットルの水を飲んでも健康に影響が生じないレベルとして、水質管理の暫定目標値を定めた。現時点では有害性に関する科学的な知見が不十分なため、法的拘束力を伴う規制のもととなる環境基準値ではない。「知見の集積に努めるべき物質」との位置づけだ。>

 ということで、国内でも、暫定目標値を超えるPFOSなどの検出が相次いでいる。

<2021年度は。1133地点を調べ、13お府県81地点の地下水などで暫定目標を超えた。沖縄県では米軍嘉手納基地や普天間飛行場周辺から高濃度のPFOSなどの検出が続いている。神奈川県の米軍横須賀基地の排水処理場で昨年、高濃度のPFOSなどを検出した。東京都多摩地域や、宮城県名取市大阪市大分県でも地下水や井戸水から暫定目標値を超えるPFOS, PFOAが見つかっている。>(関根慎一、鈴木彩子さんの記事より)

<コメント>
 もしかしたら、大変な環境汚染ではないのか? 記憶と記録にしっかりと止めておきたい。第二の水俣病にだってなりかねない。

 

 

映画「人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界」を観てきた―こんなふうに生きる人もいるのだ

 映画「人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界」を観てきた。こんなふうに生きている人もいるのだと思った。人は生きたいように、やりたいように生きていっていいのだ。

 <1996年、ヒマラヤ・マカル―西壁。かつて、世界最難関の居壁に、たった一人で挑んだ若者がいた。伝説のクライマーの足跡を、貴重な未公開ソロ登攀映像とともに振り返る「渾身」のドキュメンタリ。>

 山野井泰史さんという登山家が奥多摩に住んでいて、熊に襲われて大けがをしたというテレビニュースを見たことがあった。凍傷で手足の指を何本も失っても、それでも山に挑戦し続けているんだと聞いた事があった。山野井さんは、1965年の東京生まれなので、私よりも18歳も若い人だ。

 2021年、登山界最高の栄誉と言われる「ピオレドール生涯功労賞」をアジア人として初受賞。この映画は、「単独・無酸素・未踏ルート」で挑み続けた彼の足跡を、貴重な未公開ソロ登攀映像や生涯のパートナーである妻・妙子への取材、関係者の証言などとともに振り返る「渾身」のドキュメンタリーだ。映画は、TBS DOCS(Documentary Films)だ。

 パートナーの妙子さんは、やはり登山家で9歳も年長の人だという。妙子さんのほうから、「一緒に住もうと」言って、奥多摩で暮らしていた。2021年頃に南伊豆に引っ越して、いまは南伊豆の岸壁で訓練をしている映像もあった。衝撃的な映像の数々を観た。生きるって多様で面白いんだな。

 映画のパンフレットに、「彼は何故、生きて還り続けっれたのか?」という文言があった。決して無理をし過ぎないが、挑戦を続けていたのだ、慎重に。

朝日歌壇と朝日俳壇を読む

 今年の「歌会始めの」題は何だったのだろう?すっかり、新聞もテレビの報道も聞きそびれた。それにしても、い一年の初めが皇室のひとたちが歌を作るという日本の習慣というか伝統はなんと雅やかなものだろうか。他の国にそんな伝統はないだろうと思う。
 さて、今週も歌壇と俳壇を読む。

原発は可能な限り低減と言ひしが今は増設を言ふ(前橋市 荻原葉月)>
<どしどしと踏み込んで行く防護服十一万羽を焼かねばならぬ(水戸市 檜山佳代子)>
<殺処分終えし鶏舎に静けさと白き轍のくきやかにあり(観音寺市 篠原俊則)>
⇦ 佐々木幸綱選

 ショッキングなニュースが多かったけれど、それを歌に読むと入選する。世相歌の定番だが、面白くはないな。

<改札を出てちょっと寄るためのたのしみのなじみの小さき書肆のきえたり(三浦市 秦 孝浩)>⇒ 高野公彦選:

<如何に生き如何に死ぬかの死に方で盛り上がるのが団塊世代筑紫野市 二宮正博)>⇒ 永田和宏選:

<桃色のベスト着せられしぶしぶと冬の小道を歩く老犬(仙台市 小野寺寿子)>⇒ 馬場あき子選

<コメント> なんか、辛い世の中であるな。鳥インフルエンザが蔓延しているんだろうか。今年は、ムクドリヒヨドリがやってこない。赤い実のピラカンサが年を超えても残っている。食べにくる鳥がいないのだ。

窓拭けば目白、四十雀そこに居て我ら生物多様性の友(相模原市 石井裕)>⇒ 高野公彦選:

 石井さんの相模原は、自然も鳥たちも豊かにくらしている。

 次は、俳句を読む。

<人生を彩る俳句山眠る(神戸市 森木道典)>⇒ 選者の大串さんが、「俳句は人生を豊かにする。俳句が生き甲斐という人もいる」とコメントしている。「山眠る」って冬の季語なんだよね。

『田舎教師』(田山花袋)を読み終えたー上州の空っ風がこころを吹き抜けた

 『田舎教師』(田山花袋)を読み終えた。上州の空っ風がこころを吹き抜けたような気持ちが読後に残った。日露戦争の戦勝の記念日に薄幸のひとりの青年がなくなった。『田舎教師』は田山花袋の若き日の姿で、のちに上京して作家になるという志を遂げるのかと勝手に思っていた。大違いであった。むしろ、『蒲団』で自然主義文学の旗手となった花袋が、書きあぐねながら歳月を経て書き上げた作品なのだった。もっと、早く若い日に読んでおけばよかった。読みながら、利根川の川風のふく風景、「そうだんべ・・」等々の懐かしい上州弁が散りばめられていたのが響いた。
 主人公・清三には、実際に羽生の近くで代用教員をつとめていた小林秀三という実在のモデルがいたのだった。

田山花袋の文壇的回想記『東京の三十年』(1917年6月、博文館)に、『田舎教師』の執筆についての詳しい記述がある。1904年(明治37年)3月から9月まで、花袋は博文館から施設第二群写真班主任として日露戦争に従軍していた。帰国後まもなく妻リサの兄で詩人の太田玉名が住職を務める羽生(現・埼玉県羽生市)の建福寺を訪ね、真新しい墓標を目にする。かつてこの寺に下宿していた、三田ヶ原弥勒小学校教員・小林秀三が、遼陽陥落の日に結核で世を去った、という。享年21歳だった。>

<玉名の手許には、彼(清三)の中学時代、小学校教師時代、死ぬ年1年の日記も残っていた。その日記に、「志を抱いて田舎に埋もれて行く多くの青年たちと、事業を成し得ずに亡びて行くさびしい多くの心とを」花袋は発見する。>

<日記を見てから、小林秀三君はもう単なる小林秀三君ではなかった。私の小林秀三君であった。」「かれの眼に映ったシーン、風景、感じ、すべてはそれは私のものであった。私は其処の垣の畔、寺の庭、霜解けの道、乗合馬車の中、到る処に小林君の生きて動いているのを見た」と書く。>

 小林秀三の「日記」をみた花袋のこころに動くものがあった。かくして、書きあぐねていた歳月を経て,世に問うたのが『田舎教師』であった。早世した小林秀三君は、花袋の筆の力によって生きなおしたのではなかったろうか。