TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

気になる本『老人をなめるな』(下重暁子さん)のこと

 あの下重さんがまた本を出した。もとはNHKのアナウンサーであるが、いまでは作家である。ペンクラブで活躍されている。「日本のタブーを一刀両断!」という宣伝文句がった。<年寄りは「死」を待つだけの存在じゃない。老人だって人間だ!>という言葉も踊っている。過激だね。でも、その通りだ。「なぜ日本は老人に住みずらくなったか」ということも書いてあるらしい。またまた、幻冬舎新書の新刊だ。990円。
 同じく、倉本聡さんと碓井広義さんが書いた『脚本力』、これも同じく幻冬舎新書、940円。幻冬舎は、売れる本を書かせるのが上手い。買ってまでは、読まないぞ。借りて読む。

 

中村健之介さんに死なれてしまった

 齢を重ねるということは、友人、知人、家族、大勢の人に死なれてしまうということだと知ってはいるが淋しさを禁じ得ない。老いるということはそういうことなのだ。「逆縁」という言葉がある。親よりも先にはしなないことがせめてもの親孝行ということになるだろう。69歳で父は逝った。母親は81歳だったと思う。二人ともに、死に目には会えなかった、親不孝の息子である。そのことが辛く淋しくもある。

 先日、9月25日に、北大に入学して、ロシア語を学んだ城田俊先生にお目にかかって、中村健之介さんのことを話題にしていた。1966年4月から城田先生にロシア語の基礎を学んだ。1年半後の1967年9月に、北大文学部ロシア文学科に進学(移行)した。そこでお目にかかったのが、中村健之介先生におめにかかった。東大の比較文学科の大学院を出て、北大文学部ロシア文学科に助手として赴任してきたばかりだった。私は20歳、中村さんは27歳だったと思う。城田俊さんは30歳だった。みんな若い時代だった。

山歩会を9月から再開―上野原から八重山能岳虎丸山

 近隣の丘歩きを「三歩会」と称して2017年頃から励行している。これは、小脳出血で倒れた連れ合いのY子さんをサポートするために、かつての山の仲間たちが付き合ってくれて5年以上も続いている。本来は3000メートル級の山も踏破してきた山男たちが300~500メートル級の丘あるきに随行してくれている。7月、8月は猛暑のために低山歩きはできないので「三歩会」は休会にした。その間、私たちは7月末には富山立山室堂の旅を、8月初めには信濃川上村の自然の家で暑さを凌いできた。
 本日、9月28日は三カ月ぶりの「三歩会」の再開であった。JR中央線の上野原駅からバスで10分くらいの大堀バス停から、八重山・能岳・虎丸山を目指すことにした。上野原駅南口から9時41分のバスに乗ることにした。逆算して、7時40分に家を出て、8時1分の小田急多摩線で、小田急永山京王永山に乗り換えた。そこからm京王多摩線で橋本に出た。橋本で京王線からJR横浜線に乗り換え八王子に出た。八王子から高尾まで行き、高尾で甲府行きに乗り換えた。9時34分に上野原に着いた。上野原で、参加者4名が集合した。今回は、男性2名(S&M)が急遽欠席、女性Nさんは前から別件で不参加だった。
 9時41分発のバスは、9時58分頃に大堀バス停に着いた。大堀バス停を10時にスタートして、八重山登山口の駐車場を目指して歩き出した。コスモスを初めとした秋の野草の花をみながらゆっくりと住宅地の歩道を上野原中学校を目指して歩いた。徒歩25分ほどで駐車場に着いた。今回のコースは、既に2020年5月に一度来ているので、記憶を呼び起こしながら歩いた。
八重山・能岳・虎丸山ハイキングコース概要■
(続く)

恩師の恩を知る

 恩師という言葉は今も生きているんだな。今日は、恩師の「恩」ということについて考えてみよう。

 先日、9月25日(日曜日)に、北大に入学した1966年4月~1967年3月までの1年間にロシア語の初級の手ほどきを受けた城田俊先生(北大⇒広島大⇒独協大)に招かれて鵠沼のご自宅を訪問してきた。お世話になったのは、ほんの2年位の間だけであった。
 1966年4月に私は北大文系(教養部)に入学した。その当時、北大文系に入学すると、英語の他に第二外国語の修学が必須であったが、その選択肢はドイツ語とフランス語のみであった。私は文学部・ロシア文学科への進学を希望していたので、ロシア語を学びたかった。第二外国語ではなく特別選択科目の中にロシア語文法があった。そこで、私はロシア語の特別講義を取得した。つまり、第三外国語ということで、毎週土曜日に充てられていたらしい。このロシア語講義の担当が、まだ若い城田俊講師であった。29歳であったのだと、本日初め伺った。城田さんは、1965年にソ連モスクワ大学)から帰国して、1年間母校の東京外国語大学に所属されていた。1年後に、北大のロシア語講師として赴任したばかりの新任教師であった。

 この時の2年後、1967年9月から文学部ロシア文学科に私は進学した。ここでは、城田さんがロシア語学の講座を担当しており、その講義を受けた。この講座は、初級文法ではなく、本格的なロシア言語学であった。ソシュールの理論から始まって、私にはとてもついて行けないような高度な講義であったと記憶している。古いノートが保存してあった。転記するとこうだ。

露語学(第一講義■⇒これが、城田さんの講義だった。
 ・仮法と命令法―現実か非現実かという見地から見ると非常に近いものである。

 ・人称というのは、「動作と発話」との関係

 ・ヤコブセンの研究(動詞について)

 ・動詞のカテゴリーについて
 Ⅰ 話の対象となる動作
 Ⅱ 話の対象となる事象(運動)の動作者
 ・相とは、話し手の対象となる動作と動作者との関係である

 次には、ロシア語の音声構成を調べてゆく

⇒上記のような講義であった。初級文法もマスターできていなかった、私にはとてもついていけない高度な講義であったと今からでも思う。
 こんな、不肖の学生のことを城田俊さんは覚えてくれていて、今回、招いてくれたのだ。わたしよりも11年年長で、現在は、86歳であると思う。

 

■恩師の恩を知る■
 2022年9月25日(日曜日)、昼過ぎの12時15分~18時頃まで、鵠沼のご自宅に招かれ懐旧談を、ワインとビールを飲みながら過ごした。このおりに、私は私のシリーズ<医・人・時―私の「医人」たちの肖像>」をプリントして製本して持参した。帰宅した翌日、いかのようなメールを頂戴した。過分すぎる。嬉しい限りだ。記憶と記録のためにさ再掲しておきたい。

 

「ご来遊賜り誠に有り難うございます。

医・人・時 読んでいます。人間学の最先端に関与しておられたのですね。すごい。最高の人たちに接して仕事をこなしていたとはうらやましい限りです。熱心に読んだ証拠に,校正の手伝い:13ページ、2行目にけるーにおける、180ページ後ろから2行目順天童―順天堂。あら拾いのつもりはありません。充実した日々を送っておられて様子、手に取るように見え,感慨を覚えました。ロシア文学の素養が文章に小気味よい味をきかせているのが嬉しかった。讃辞を送ります。」

(以上、記録として)

 

映画「百花」(川村元気)をイオン多摩センターで観てきた

 川村元気さんの映画「百花」をイオンシネマで観てきた。最初は、なんじゃこれって思っていたが、途中から引き込まれた。認知症になっていく母親を演じた原田美枝子さんの演技が抜群だった。認知症って、ああいう顔になって行くんだと知っている。原作は川村元気さんの小説だという。まだ43歳という若いプロデュ―サー兼監督だ。

 2006年に、一世を風靡した「電車男」を作ったのが。川村元気さんだったのだ。私はこの映画を見ていない。見てみたい。「告白」も読んでみたいし、映画もみたい。

 映画をみてから昨日の朝日新聞の記事を想い起した。足立正生監督(83歳)は「REVOLUTION+1」という映画を撮影期間8日間、700万円の製作費で作った。国葬に合わせた、本日ま9月26日~29日の4日間、東京、大阪、新潟、沖縄など全国13カ所で緊急上映するんだったが、鹿児島では「テロを擁護するのか」という抗議に屈したらしい。

朝日俳壇と歌壇を読んだ―歌にも俳句にも元気がないな今週は

<死んだふり愛嬌者の金亀虫(こがねむし)(豊橋市 小椋かつ子)>
<その上へその上へ垂れ萩の花(長野市 縣 展子)>⇒小林貴子選
 長野の縣さんの句は、どういう状況だろうか?上へ垂れというのが面白い。

 さて、歌壇に移る。

<「生き延びる事ができたらまた会おう」テレビ取材に微笑む兵士(五所川原市 戸沢大二郎)>⇒馬場あき子選、永田和宏共選:
 この歌は、ウクライナの兵士の姿を詠ったんだろうな。

<単身赴任の孤影を詠みしあの頃は幸せなりき健康なりき(和泉市 長尾幹也)>⇒佐佐木幸綱選:
 長尾さん、単身赴任を経験しているんだ。いつから病気になったんだろう。

<窓ガラスにはりつく守宮の吸盤が五弁の白い花のごとしも(春日井市 伊東紀美子)>⇒高野公彦選

<鳴くことでさびしさまぎらすひぐらしとさびしさ深めるひぐらしとがいる(館林市 阿部芳夫)>永田和宏選:
 ひぐらしの鳴き声は、「さびしさ深めるよね」、ほとんどが。

 今週の歌は、なんか元気がないな。秋なんだ。
<大根にも葱にも泥がついていた釣り銭のざるありし店先(観音寺市 篠原俊則)>
 篠原さん、ウクライナの歌より、日常の歌の方が良いよね。

酒(酒毒)に負けた―酒止めますか?人間やめますか?

 本日、9月24日(土)は、合気道の稽古日だった。15時から16時50分頃まで、たっぷりと汗をかいた。片取りからの各種の技の稽古をした。参加者は、最近では、最多の23人だった。

 終了後に、総勢9人で、蕎麦屋で打ち上げの飲み会をやった。9人で、日本酒2升を飲み干した。一人あたり、一合半だ。そのあと、秦野からきたHさんと北口のサイゼリアで二次会をやった。赤ワインの出カンタで2杯、ビールをグラスに1杯飲んだ。17時~19時くらいの二時間だった。その後をよく覚えていない。会計もHさんがしてくれたのだろう。財布のお金が2000円ほど減っていた。帰りには、予定通りカルディでお菓子(土産)を二袋購入した。最寄りのはるひ野駅地下のクリシマで牛乳も購入して持ち帰った。この行動はまともである。途中、足元がふらついて転んだ記憶がある。若い女性が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。なんとか立ち上がって帰宅した。雨は上がっていた。使用していた傘は持ち帰っていた。常用の帽子を落としてきたか、蕎麦屋に置いてきた。20時25分頃に帰宅して着替えて、パジャマも着ないでベッドに転がり込んで眠った。夜中前の11時頃にめざめて水を飲んで、正露丸を3粒含んでまた眠った。朝方、2回程はトイレで目覚めておきている。朝、7時には起床した。食欲はなくなっていた。野菜少し、ヨーグルトを少しだけ食べた。
 8時に風呂に入って頭髪と身体を洗った。少し休んで、9時35分頃に出かけた。本日は、町田の小田急デパート地下でビールとお惣菜を買って、11時45分までに本鵠沼まで行く予定だった。予定は遂行した。しかしである。昨日の夜の帰宅時の店頭で、左大腿部の打撲、左胸の切り傷(20センチ)が残っていた。このような酩酊をやっていたら、「人間やめますか?」「お酒止めますか?」となるのは必至だ。反省と記憶と記録のために記述した。