「長いお別れ」で認知症のひとと家族を描いた作家の中島京子さん

 映画「長いお別れ」の原作者の作家中島京子さん(55歳)のことを新聞で読んだ。(2019年11月13日 朝日新聞夕刊)。
 この記事のタイトルは、「連続性とおかしさ 父との日々」というものだった。「連続性」という言葉に惹かれた。認知症の専門医であった長谷川和夫さん(聖マリアンナ医大名誉教授)が自ら認知症になったことはこのブログで紹介した。長谷川さんは、「認知症になっても、まったく別の人間になるのではなく連続している気がする。だから、身内のひとが認知症になったとしても周りの人は普通に接して欲しい。」という意味のことを書いていた。そのことと、中島京子さんの「連続性」は符合している。

 (更新予定)

 

私のC型肝炎物語」第1章:マヴィレット治療への挑戦―(41)マヴィレット終了後 1年と6カ月:血小板が増えてきた!

 「私のC型肝炎物語」第1章:マヴィレット治療への挑戦―

 (41) マヴィレット終了後 1年と6カ月:血小板が増えてきた!

 

  本日は27日ぶりの東大受診日である。糖尿病(DM)の受診であるが血液検査の結果は共通なので緊張して今日の受診を迎えた。6時に起きて、リンゴとゆで卵とパン1個で簡単な朝食とした。グリミクロンとブロプレスを服薬した。6時45分頃に家をでた。6時55分発ではるひ野をでた。栗平で通勤急行に乗り換えるつもりがうっかりして黒川でおりてしまった、結局、はるひ野7時7分発を待って乗り栗平で急行に乗り換えて新宿に向かった。新百合ヶ丘駅で斜前の若者が下りて座席に座れた。新宿には7時35分頃に着いて。大江戸線の新宿西口から本郷に向かい本郷三丁目には8時5分位についた。東大の受け付けは8時17分くらいで番号は87であった。初めは「ヤナ」と読んだが、次に「ハナ」と読み替えた。何でも験担ぎになる。直ぐに採血に行った。採血は8時25分くらいであった。DM内科の予約は9時だったが、採血が遅れたので受診も20分位は遅れると予測した。採血の後で1階の8番の会計に行った。そこで今年の受診の領収書を貰った。更にマヴィレットの服薬が終了した2018年6月以降受診の際の「診療明細書」を発行して貰った。次いで、「福祉課」に行って「神奈川県肝臓手帖」の記載についてお尋ねした。東大病院では把握していなくて、次回の受診の際に主治医(中川勇人先生)に相談することにした。その後、2階の待合廊下のソファーで暫しまった。予測通りに9時20分には中待ち会いに呼ばれた。

  糖尿病管理の指標であるHbA1cは前回の7.1から7.4に上昇していた。大幅な上昇ではないので、薬は現在のグリミクロンのままとなった。肝臓関連のAST, ALTは、25,19であった。前回(10月17日)はASTが31だった。今回は基準値以内なので安堵した。嬉しいことに血小板(PLT)が、15.5と少しだが上昇していた。基準値の下限が15.8なのでもう少しだ。

  本日の結果から次のように考えられる。私のC型肝炎ウイルスHCV)は排除されたと判断できる。糖尿病(DM)の管理が今後は更に重要である。本間先生に、「炭水化物の制限をした方が良いでしょうか?」とお尋ねした。無理して痩せるよりも、筋肉を保持しながら運動(歩行)で体力管理をすることの方が大切とのお応えであった。今後は、意識して歩いてかつ筋肉量を減らさないように体調管理をしていくことにする。

(2019.11.12)

(「私のC型肝炎物語」第1章:マヴィレット治療への挑戦 ㊶ 服薬終了後 1年6カ月―血小板が増えてきた!)

映画「閉鎖病棟」と原作者の帚木ほうせいのこと

 鶴瓶主演の閉鎖病棟イオンシネマで観てきた。この重い映画はずっしりと応えた。映画は主演の鶴瓶の好演が光った。あの何ともいえぬ笑顔は憎めない。その一方で言葉が少ないと人間の心の病みを表現することができる稀有な俳優でもある。

 原作は帚木ほうせいの小説「閉鎖病棟」だ。帚木ほうせいは九州大学医学部出身の精神科医である。経歴をみると1947(昭和22)年12月生まれなので私とより一つ齢下だ。なんと東京大学仏文科を卒業してTBSに入社した。2年勤務の後で九州大学医学部で医師なった。精神科医となり傍ら作家活動を続けている。1993(平成5)年『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞、1995年『閉鎖病棟』で山本周五郎賞、1997年『逃亡』で柴田錬三郎賞、2010年『水神』で新田次郎文学賞、2011年『ソルハ』で小学館児童出版文化賞、2012年『蠅の帝国』『蛍の航跡』の2部作で日本医療小説大賞、2013年『日御子』で歴史時代作家クラブ賞作品賞をそれぞれ受賞。『国銅』『風花病棟』『天に星 地に花』『受難』『守教』といった小説のほか、新書、選書、児童書などにも多くの著作がある。小説「閉鎖病棟」は1994年の作品である。

 本日は映画よりも原作者の帚木ほうせいのことを書きたい。天は二物を与えるのだなと思った。東大仏文科を出てTBSに入るのだって難しい道だ。それを2年で止めて直ぐに九州大学医学部に入るなんていうのも凄い能力の人なのだ。帚木ほうせいの小説は一つくらいは読んだことがあると思う。『閉鎖病棟』も読んで見たい。ひとはどのようにして作家になるのだろうか?
 
  

「朝日歌壇」を読んで!

 「歌が好きだが、歌が作れない。」
これが情けなくも僕の姿なのだが、ずっと歌詠みにはあこがれて来た。

 「牛飼いが歌読む時に世の中の新しき歌大いに起こる」(伊東左千夫)
この歌はたぶん中学か高校の国語の教科書にのっていたのだと思う。歌人の伊東は「牛飼」でもあったのだ。農家育ちで牛を飼っていたことのある少年の僕は百姓も歌を作っていいんだと思った記憶がある。

 今日の「歌壇」は佐々木幸綱、高野公彦、永田和宏、馬場あき子の四人の選者が各々10首ずつを選んでいる。
 「人間であるより公務員だった豪雨にホームレスを拒みて(水戸市 中原千絵子)」を永田さんがトップに選んでいた。この間の台風19号の際に実際に起きた事件を詠んだものだ。
 「賞味期限間近の品を買ってくる我によく似た娘となりぬ (鎌倉市 小倉昭夫)」
これもわかりやすい庶民の歌詠みだ。こんな簡単なようで詠めないんだなあ。

 今日の「歌壇」の直下に「うたをよむ 若者の自死と歌」というコラムを歌人の佐古良男さんが書いている。二人とも自死した岸上大作さんと萩原慎一郎さんの歌を紹介して次のように書いていた。
 「わたしには同じく短歌を愛する者として残念なことがある。それは、短歌という器が彼らにとって、死を思いとどまらせるだけの救いにならなかったことだ。・・・・自己鎮魂の文学として、短歌以上のものはないと確信する者にとっては、こんな悲しいことはないのである。」

  「我もまた 詠んでみたしと 老いてなお 手習いありか 鎮魂の詩」
                              (2019.11.10)

令和天皇即位の日に顔振峠を越えた!

 今年も西武線吾野駅から顔振峠を越えて黒山三瀧まで歩いた。折しもその日(11月9日)は令和天皇の即位を祝う「国民祭典」の祝賀式典が皇居前広場で開かれた。11月なのに暖かい穏やかな日であった。小春日和と言うらしい。

 朝の6時20分に起きて簡単にリンゴとパンで朝食を済ませて最寄りのはるひ野駅を7時14分発に乗った。小田急多摩線栗平で急行新宿行きに乗り換えた。そして登戸で南武線に、東府中駅武蔵野線に乗り換え新秋津まで行った。新秋津駅から西武池袋線秋津駅に歩いた。秋津駅で西部池袋線に乗り飯能駅まで行った。飯能で西部秩父行きに乗り吾野駅には9時15分についた。なんと5回乗換の2時間15分を要した。ど曜日の早朝の電車は空いておりどの列車にも座れて静かな小さな旅だった。

 吾野駅合気道の友人のTさん、その友人Kさんと合流した。三人で9時30分に吾野駅を出た。駅には里山歩きのパンフレットも地図も置いてない。去年と全く同じ道なのと経験豊富なKさんを先導に歩いた。駅から6~7分歩くと「借宿神社」というユニークな名前の神社があった。神社でお参りして顔振峠をめざして山道に進んだ。この道には車道と山道の両方があるらしい。敢えて山道を進んだ。台風19号の大雨の影響で山道は抉れており石がゴロゴロしているところもあった。私は履きなれた山靴を履いて行った。Tさんはチロリアンシューズ、Kさんはスニーカで二人とも足回りは軽い。途中雨で滑りやすくTさんが転んだ。事なきを得て1時間ほどで山懐の細道にでた。そこに営業してない茶屋があり、傍のベンチでKさんが湯を沸かしコーヒーを入れてくれた。持参した蜜柑を私が配り暫し休憩をした。さらに進むこと30分で11頃には顔振峠に着いた。「どこへ行きなさる?」峠の蕎麦屋の気さくなおばさんが今年も尋ねた。「黒山三瀧に行きます」と応えると、「台風のため進入禁止となっているけど山道は大丈夫ですよ」と教えてくれた。峠から三瀧方向は下り一筋である。途中に、杉の木が倒れて山道を塞いでいたりした。一歩一歩慎重に歩を進めて12時30分頃には黒山三瀧の入り口に到着した。
 (2019.11.9)

映画が繋ぐか老夫婦の絆?!

  昨日は川崎市の映画館アルテリオ映像館で「プライベート・ウォ―」を観て来た。今年私たちが見た映画のベスト3に入る良い映画であった。実在の戦場ジャーナリストである英国サンデー・タイムズの記者メリー・コルヴィンの物語である。メリーは2001年スリランカ内戦の取材に行きロケット砲により左目の視力を失う。それ以来、黒い眼帯が彼女のトレードマ―クとなる。戦場記者を天職と考えでPTSD(心的外傷ストレス障害)と闘いながら戦争取材を続け、2012年シリアで28000人の一般市民の過酷な状況を報じた直後に政府軍の砲弾を受けて命を落とした。ドキュメンタリー映画の巨匠というマシュー・ハイネマンが初めて撮った劇映画である。メリーを演じたのはロザムンド・パイクである。これは映画なのかと目を疑うシーンの連続である。映画ではあるが実際のシリア戦線の映像を用いているのではないだろうか? 

 さて、この映画をみたアルテリオ映像館は川崎市麻生区にあるミニシアター(200席くらい)である。今年もこの会場を中心に「新百合映画祭」が開かれた。ここで、一度は上映が中止と決まった「主戦場」が、最終日の11月4日(月)夜に上映された。

(以下、更新予定)

 

「予防接種」を考える!

 去年に続き今年もインフルエンザ予防接種を受けた。接種は川崎市麻生区栗木台のかわぐクリニックで受けて来た。川崎市で高齢者にインフルエンザ予防接種を奨めている。市の補助が出ているのだろう。接種費用は2300円だった。今回は「インフルエンザ637ーAデンカ」というワクチンだった。まずはインフルエンザに罹らないように外先から帰宅したら手洗いと嗽を励行しよう。

 今回利用したクリニックは小児外科であるので患者は子どもが多い。受診の際に受付に幾つかの幼児用ワクチンの案内リーフがあったので頂いてきた。それをみながら現在行われている幼児のワクチン接種についてまとめておく。
 (1)3カ月になったら4種混合ワクチン:百日ぜき、ジフテリア破傷風、ポリオの4種である。推奨されるスケジュールは生後3カ月から12カ月までに、20日以上、標準的には20日から56日までの間隔をおいて3回、3回目終了後6カ月あけて4回目を摂取する。ポリオは日本では発生していないが、近隣のパキスタンアフガニスタンんなどでは今でも流行している。それらの国からの日本へ入ってくることに備える。私は、幼児の時(多分2~3歳)のときに百日咳に罹患した、らと聞いた。幼くて記憶にはないのだが、大変苦しんだ、と成人してから親から聞いた。
 (2)日本脳炎ワクチン:日本脳炎ウイルスはコガタアカイエカが媒介する。通常は3歳で2回、4歳で1回接種し、9歳で4回目を接種する。
 (3)水痘ワクチン:生後12か月~15か月に達するまでに1回目、1回目の終了後6カ月~12か月の間隔で2回目を接種する。水痘はかつてはワクチンがなかった。幼児の誰しも一度は罹患していたと思う。いちど罹患すると、ウイルスが体内(神経節)に隠れていて大人になってから帯状疱疹として顕現することがある。
 (4)B型肝炎ワクチン:2016年4月1日以降に生まれた1歳未満の幼児が対象となる。接種回数は3回。生後2か月からの接種が勧められる。1回目の接種から27日以上おいて2回目を接種して、さらに1回目から139日以上を空けて3回目を接種する。B型肝炎ウイルスは分娩時に母親から感染する(垂直感染)と、それ以外の周囲の人との接触で感染する「水平感染」とがある。B型肝炎ウイルスは血液だけでなく体液などからもまれに感染することがある。B型肝炎ワクチンができたのは最近のことだ。定期接種になったのは2016年10月1日からだ。日本では、130~150満人がB型肝炎ウイルスのキャリアであるという。

 そのほか、幼児のかかり易い病気に、風疹やはしかがある。これらにもワクチンがあるのだろうか?