TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

本が出てくる『テムキン てんかん病医史抄ー古代より現代神経学の夜明けまで』と『霊界ースウェデンボルグの―死後の静と最後の審判』

 今日の夕食は白菜鍋にした。味付けのためにポン酢を探した。食料棚の隣に古い書棚があるのでついに目を移したら探していた本が目についた。

 ヒューゴ・オードナー著、今村光一訳『スウェデンボルグの「霊界」』である。厚い本だ。読んでみる。

 

続く

知の巨人としての中井久夫『家族の深淵』を読んでいるー面白い、中井さんは詩人なんだ

 参ったね、この本には『家族の深淵』(中井久夫)。知の巨人というと、立花隆さんであり、養老孟司さんで」あって間違いはないと思う。だけど、中井久夫さんの『家族の深淵』の後半を読んでいたら、この人はただものではない、「知の巨人」なんだと気が付いた。精神科医であり、ギリシャ語の詩の翻訳をなさっている。大江健三郎が、オーデンの詩を読んで、自分の小説のタイトルに使っている。精神科医の中井さんがギリシャの詩を翻訳している。ギリシャ語のしなんて私は読んだこともない。中井さんとギリシャの詩との接点はどこにあったのだろう。京大の法学部に入ったのはどうしてなのか?そして、医学部に転じたのはなんとなくわかるが、ギリシャ語はどこで学んだのか?参ってしまった。この人はすごい人なのだ。

 夕方から中井久夫さんの『家族の深淵』を読んでいる。
 「医学部というところ」
 「諸国物産絵図」
  「歩行者の思考ー土居健郎『日常語の精神医学』
 「日本に天才はいるか」
 「一医師の死」
 「医心地」
 「きのこの匂いについて」

 「ハンガリーへの旅からー1992年6月」

 以上の、タイトルの項目を読んだ。まっったく、書籍のタイトル「家族の深淵」とは縁も所縁もない内容である。ずるいよ、これって。だが、今日読んだところの方が面白い。感想を書く、『きのこの匂いについて』がよい。
 きのこって、「菌」なのだ。細菌なのだ。もっっと小さくなるとウイルスとなる。「きのこの匂い」というのがよい。私の実家は、「椎農家」であった。椎茸を栽培して、その上がり(売上)で私の学費を送金してもらったので、茸には頭が上がらない。

 さて、神戸の岩石の上に住んだ中井さんは茸の匂いを感じない。書いている。

<私はここに移り住んで三年目になるのだが、京都、東京、名古屋のそれぞれ三年目と比べると、家に三年分の馴染みが出来ていないことに気づく。・・・・・・・・・

・・・・・:・:・・・

 菌臭は、単一の匂いではないと思う。カビや茸の種類は多いし、変な物質を作り出すことにかけては第一の生物だから、実にいろいろな物質が混じりあっているのだろう。私は、今までにとおってきたさまざまの、それぞれの独特のなつかしい匂いの中にほとんどすべて何らかの菌臭の混じるのをを感じる。幼い日の母の郷里の古い離れ座敷の匂いに、小さい神社に、森の中の池に。日陰ばかりではない。草いきれにむせる夏の休墾地に、登山の途中に谷から上がってくる風に。あるいは夜のかわべりに、湖のしずかな渚に。>

 中井さんて、ほんとうに詩人なんだと知った。

 「きのこの匂いについて」は、森毅編『キノコの不思議』、光文社、1986年9月30日)に書いたものだ。

『キノコの不思議』(大地の贈りものを100%楽しむ。森 毅編、光文社文庫
 あの、椎茸の森産業なんだろうか?

 

大いに気になる本『日常語の精神医学』(土居健郎、医学書院、1994年、4100円)のこと

『家族の深淵』(中井久夫みすず書房、1995年)を読んでいる。ところが、こういうエッセイ集のタイトルには騙されてはいけないと知った。「家族の深淵」は冒頭の短いエッセイのタイトルであり、これが本のタイトルになっているのだが、この本は「家族の深淵」で網羅するというか貫くものは一つもないと知った。

 それで、途中から最後のほうの「医学部というところ」を今日は読んだ。面白い。中井さんは、京都大学の法学部に入って途中から医学部に転じたのだった。冒頭にこうあった。

<四十年の昔、他の学部から医学部に転部したら、理学部の友人が、解剖学や内科学の教科書を手に取って、アスファルトの道を炎天下に長時間歩くようなものだな、医学ではこれが学問か、面白いか、そんなゼミもなく必須科ばかりのところが大学といえるかよと言った。
 当時の医学部は、確かに、大学というよりも士官学校に似ていた。・・・・>

 もしかしたら、いまでも医学部の基礎教育は、いまでも実学士官学校のようなのかもしれない。そいう意味で、アメリカのように一般教養の大学を経て実学として専門教育を受けたほうがいいのかもしれない。

 次に、「諸国物産絵図」を読んだ。このところも、中井さんが学んだ阪大医学部、東大分院を例にあげて、カルテの書き方様式一つとっても全く違うときうこと、変わった教授がいたことを書いているので、思い出の記録のようものだ。・

 その次に、「歩行者の思考ー土居健郎『日常語の精神医学』ー」を読んだ。
 

続く

今日も朝日歌壇と俳壇を読むー相変わらずウクライナのうたが詠まれるね

 19日(2023年)、日曜日は合気道の日曜日の稽古であった。相半身正面打ちからの各種の技の稽古をした。美しい稽古、楽しい稽古を目指したが実現はそこそこであった。
 本日¥も、朝日歌壇と朝日俳壇を読んだ。歌壇では、今回も観音寺市の篠原さん、奈良の山添さん母娘、富山の松田わこさんらの歌が載っていた。朝日歌壇の常連歌人の皆さんは健在で力つよく生きておられる。そこで、今回は、ほかの人の「普通うた」を拾ってみた。

<人を止め車を止めて老鹿は万葉の時間を歩いておりぬ(川崎市 新井美代子)>⇒馬場あきこ選:
 「万葉の時間を・・・」というのが、いいね。奈良の鹿は野生の鹿だきくと驚く。角切はひとがやっている。

<いつまでも上司のごとく命ずるな妻になじられ後ずさりする(東京都 松本秀男)>⇒ 松本さん、上司の時代は命じていたのかな?私の場合は、部下を持っても、「これやってくれる?」って依頼するしかできなかった。弱い上司だったんだね。

<やわららきことばでゆらすゆりかごのゆれるあかごのえがおのたのしさ(神戸市 鈴木まや)⇒高野公彦選:
 「鈴木さん、ぜんぶひらがなで詠み、「ゆ」のおとがみみにやさしい。」

<将来の夢など語る山小屋に夫でも彼でもない男たち(岩国市 石井久美子)>⇒永田和宏選:
 「石井さん、単なる男友達、山友達であった彼らとの懐かしい会話」と永田さんがコメントしていた。そういう想い出の歌なのかなあ?

 <全員が辞表を出すとふ選択肢取らぬか取れぬか学術会議(京都市 皐月直子)>⇒永田和宏選:
 まったく、皐月さんの歌には賛同するが、こんな歌をつくるのかな?「学術会議における菅首相時代の任命拒否の問題は、岸田内閣になっても終わっていない。なんか日本の政治家の精神の貧しさを感ずる。

 次に、俳壇に移る。
<少女の目少年の鼻ひな祭(千葉市 宮木治)>⇒高山れおな選:

 宮城さんの俳句は面白い。お雛様の顔って、「ツンとした鼻」が特徴であり、かわいいというより、懐かしい感じがするのはなぜだろう?

 

アクティブシニア講座サークルに参加したーひとは1人では生きられないのか

 認知症って何だろう。家内に言わせると私の状態はかなりヤバいのだという。ところが私自身はそうは思っていない。自分では認めないのが認知症の入り口であるという。この前、『人生のやめどきーしがらみを捨ててこれからを楽しむ」(上野千鶴子・樋口恵子対談)」を読んでいたらとても興味深い記述を見つけた。こういう件が、上野さんの発言にあった。

<聡明で知的な仕事をされた森崎和江さんは、息子さんによれば、「母は、森崎和江からおりて穏やかに過ごしております」となったのだという。>

 つまり、呆けるということは、それまでのその人から降りて別の生きかたになったということだ。やはり、認知症に自らなった「呆け老人」研究の先駆者であった、長谷川和夫さんは、自らが認知症になったことを公表して、「認知症になった自分とそれまでの自分は連続している」というように言っている。どちらもの本当のことだろう。私自身については、生活にだらしのないのが、ボケて来たからではなくて、前からそうだったのだ。つけた電気は消さない、開けた扉は閉めない。要するにいい加減なのである。
 ともあれ、アクティブシニア講座サークルに参加した理由は、認知症予防というか、家内以外の人と接して(合気道の仲間以外に)話すことが私の残りの人生をもしかしたら豊かにしてくれるからと思った次第だ。

 今年の1月から、全5回の連続した「アクティブシニア講座」開催を経て、今回の自主サークルの初会合となった。当初は,13名が参加していたが、受講後のサークル結成に参加したのは9名であった。男性5名、女性4名である。女性は、85歳、84歳と二名は60歳前かもしれない。男性5名は全員が70歳前後で、多分、76歳の私が最高齢かもしれない。
■アクティブシニア講座サークルの設立総会概要■
(1)日時:2023年3月18日(土)午前10時~11時20分 総会・会食(京町家)11時30分
(2)参加:講座サークル参加予定者9名+やまゆり 中山
(3)会の名称:「楽さん会」に決定、会費:2000円・年、
(3)例会の決定:隔月(3,5,7,9,11予定)、4月14日(金)野外予定
(4)会則、役員も決定:
   会長:SH(羽田)、会計:KT(玉木)、監査:AM(棟居)、副会長:YK(粕谷)
<感想>副会長の粕谷さんの司会でうまく進行した。会食にも参加した。まずは良いスタートだった。参加者はどなたも社会経験が豊富な方と知った。

 

 

 


   続く

『家族の深淵』(中井久夫)を読み進めている―小エッセイは「私」の記憶と記録だと知った

 『こんなとき私はどうしてきたか』を先に読むので中断しのだが、読み終えたので戻ってきた。そしたらこの「エッセイ集」は思い出の記なのだとわかった。

 中井さんは1934年奈良県生まれ。私より13歳年長と知った。2022年8月8日に88歳で肺炎のために亡くなった。精神科医斎藤環さん(筑波大学教授・精神科医)が「ケアの時代を予見したひと」という追悼文を毎日新聞に書いていた。この追悼文を探して読んでみたい。

 さて、『家族の深淵』はいろいろな媒体に書いてきたエッセイを集めたものだ。今日は以下のところを読んだ。

▶学園紛争とは何であったのか

 「学園紛争は何であったのか」ということは精神科医の間でひそかに論じられつづけてきた。

(興味深い件を以下に引いておく。)
<・・・・二回の大戦によってもっともひどく損傷されたのは、「父」である。であるとすれば、その子である「紛争世代」は「父なき世代」である。・・・・>

▶「マルクス感覚」の重要さ

 自己の存在を揺るがす重大事件を知った時には、その時に何をしていたかが細部まで鮮明な静止画像として視覚的に記憶される。

阪神淡路大震災は、1995年、平成7年、1月18日、午前5時46分に発生した。震源地は淡路島北部で、マグニチュード7.3の大地震だった。)

▶戦時中の阪神間小学生
 昭和十五年に入学した小学生が還暦を迎える。
(そういうときに書いている、思い出の記だ。)

 

 続く

川崎市健康診断の結果(新百合丘総合病院)についてー記録のために

 新百合ヶ丘総合病院で先に(2023年2月21日)受けた川崎市健康診断の結果が昨日届いた。
 2022年1月7日に満75歳になった。それまでは24歳の折に取得した出版健康保険組合における健康診断を毎年受けてきた。2021年10月に実施したのが最後であった。昨年(2022年)は健康診断を受けなかった。今回受けた「川崎市健康診断」は検査項目も少なくて型通りのものだった。記憶と記録のために記述しておきたい。
(1)身長が小さくなった。169センチだ。これまでは172センチと思っていた。姿勢が悪くなったのだろう。
(2)体重は58.8kgだった。これも三キロくらい少なくなった。
(3)血圧が少し高かった。147/91。
(4)LDL-コレステロールが少し高い。130。
(5)AST,ALT,γGTPは、24,15、25 で正常値に入っている。
(6)HbA1cは、7.2だった。少し高い。
(7)検便ー便潜血反応はなかった。一応安心だが、来年くらいには内視鏡検査か?
(8)尿検査で潜血が「 *±」となっている。前回東大病院では+だったので要注意。