TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

三歩会の皐月の会で震湖に遊んだ

 皐月五月の三歩会は、小田急線の秦野駅ら震生湖まで歩いた。行程は、秦野駅から南方に住宅街を2~3キロくらいあるくと渋沢丘陵に着く。渋沢丘陵は秦野市の反対側に大山と丹沢山系を望む標高150メートくらいの尾根となっている。その反対には曽我丘陵が続き、その先には国府都、大磯の先に海が微かに見える。
 震生湖は、大正十二年(1923)9月10日に発生した関東大震災の折に、渋沢丘陵の一部が崩落して、その土砂が谷川を堰き止めてできた自然湖(沼)である。海抜は、150メートルで、面積は13000㎡だという。
 本日の三歩会は、小田急線秦野駅、午前10時集合であった。駅中の小田急OXスーパーでお弁当を入手して、湧水がおおいために清らかな疎水のながれる駅前広場をあとにして一路震生湖を目指した。当地を訪れるのは、今回で3度目であるので、ルートを変更して、やや遠回りとなる今泉台住宅を抜けて、丘陵に至るコースを歩いた。

妻に励まされ生きる の記事(朝日新聞朝刊)を読んで思うこと

 「男のひといき」という投稿コラムがあるらしい。この欄の、2022年3月13日に、千葉幸雄さんの投稿が載っていた。

 この投稿の要旨はこうだ。
〈脳内出血の影響で左半身まひの障害が残った男性から、妻に励まされることで救われたいという投稿があった。病に倒れ、一時は絶望的になたものの、「妻に褒められる事で力が沸いた」と逝いていた。〉

 千葉幸雄さん(73歳)は、音響機器の商社を60歳で退職した後に、栃木県那須町に埼玉県から、2009年に移り住んだ。別荘地の1戸建てを買って、畑を借りて畑仕事で野菜など作っていた。幸雄さんは、北海道、妻の静子さんは秋田県の出身だという。ところが、11年後の2020年、外出先の駐車場で脳出血で動けなくなった。意識が戻ったのは2ヶ月ごとのことだ。左半身の機能が失われた。トイレへの移動などできなくなってしまった。そんな幸雄さんを奥さんの静子さんが手紙で励ました。コロナ禍のせいで面会すら制限されていた。夫妻の意思疎通の手段が手紙だった。ある日の手紙に、静子さんが自分が詠んだ川柳を認めた。

 「寿命」改め「受命」と書いて ヨーイドン

 幸雄さんは「読んだ瞬間、目が覚めたような気がした。

 ここまで、新聞の記事を、引用しなが読んできて、わたしも目が覚める思いがした。
 「俺のこれまでの病気なんて大したことないな。C型ウイルス肝炎で23年ほど病と同居したが、その間に、わたしは仕事もして合気の稽古もして、外国に旅すらしてきた」
 これは、ほとんど健康な人とあまり変わりはないではないか。贅沢を言うなと言われてしまいそうだ。

 さて、幸雄さんは妻の静子さんに、手紙を書いた。

 「シズコ、今回は本当にありがとう。この恩は必ず返すつもりだよ。」

 幸雄さんは、静子さんの励ましに支えられた。人間はほめられることで、気分が良くなるだけでなく、すくわれることもあることがわかった。

 静子さんもいう。「夫が倒れたのは不運だったが不幸じゃない。大切な人を支えているという実感があり、私の生きがいにもなっています」前を向く。

 こういう夫婦の在り方もあるんだね。井上道夫さんが書いた記事だ。

 実は、私の妻は、2015年に、小脳出血で倒れた。爾来、7年が経過した。私なりに支えて来たつもりだが、何もしてくれなかったと責められている。その間、私も肝炎の治療をしていた。それとても、件の記事の千葉さんに比べると大したことないと感じた。

 

鬼形君の歌がまた朝日歌壇に載っていたぞ

<悲しきはうららの春の新聞の歌壇につらなる戦争の歌(安中市 鬼形輝雄)>⇒佐佐木幸綱選:「第一首、春の歌がならぶはずの季節の新聞歌壇に毎週つらなるように並ぶロシアのウクライナ侵攻の歌。まさに「悲しきは」である。」と、佐佐木さんがコメントしている。入選した、鬼形君は私の高崎高校の同級生である。ときどき入選している。上手く詠んだと感心した。

ウクライナが気になりますと語りたり洋上の堀江謙一さんが(上尾市 鈴木道明)>⇒高野公彦、佐佐木幸綱共選:

<犬の目はただ真っすぐで人であることが時々罪に思える(観音寺 篠原俊則)>⇒高野公彦選:
 篠原さんの歌が、今週も選ばれていた。

<核のあるこの世に生まれ核のあるままこの世をさらねばならぬ(観音寺市 篠原俊則)>⇒永田和宏選:

<さがしてもさがしてもみつからぬ眼鏡のゆおな寂しさがくる(瀬戸内市 児山たつ子)>⇒永田和宏選:

<どこまでも愛らしき瞳出でてくるマトリョーシカ春、淋しきロシア(三重県 尾崎淳子)>
<帰宅してスーツにシトラススプレーをかけておやすみスーツもわれも(富山市 松田梨子)>⇒上の二首は、馬場あき子選:
 富山の松田さん、もう社会人になったのだろうか?

 今週の歌は、社会詠と個人詠の両方が載っていた。いずれにせよ、歌詠みたちは歌によって強く生きていると思う。
<にげだした山羊たちの食むチューリップさしだしたるレタスに見むきもせずに(さいたま市 松田典子)>⇒佐佐木幸綱選:
 この歌が、ごく自然でなにげなく面白かった。

俳壇も読んでみた。

ゴヤのマハ十八世紀より裸(武蔵野市 相坂 康)

『暗夜行路』(志賀直哉)前編を読んだ

 <彼はしかし、女のふっくらとした重味のある乳房を柔らかく握って見て、いいようのない快感を感じた。それは何か値うちのあるものに触れている感じだった。軽く揺すると、気持ちのいい重さが掌(てのひら)に感ぜられる。それを何といい現わしていいかわからなかった。

 「豊年だ!豊年だ!」といった。
 そういいながら、彼は幾度となくそれを揺振った。何か知れなかった。が、とにかくそれは彼の空虚を満たしてくれる、何かしら唯一の貴重な物、その象徴として彼には感ぜられうのであった。>

 「前編」の最後のところを引用した。名文である。新鮮である。随分まえの小説とは思えないような気がする。
 ここまで、きて、主人公の時任謙作は小説家なのだった、と、知った。ここは主人公の時任謙作が、女中のお栄と結婚したいと兄に伝えて、それがキッカケで、彼が実は祖父と母の不義の子として生まれた出生の秘密を明かされた。謙作の世話をしてくれていたお栄は、実は既に亡くなっている祖父(実際は、父親)の妾だった人だ。謙作が、6歳くらいの時に、母が死んで、祖父(実は父親)に引き取られた時に、お栄は23,4で祖父の妾であった。だから、謙作よりも17、8歳くらいは年長になる。謙作が、28、9歳とすると、お栄は42,3歳くらいに なる。謙作は、お栄のことを女として意識して、結婚をしたいと思うようになったのだ。一つの屋根の下に暮していて、二階にいる謙作は一階のトイレに用足しに下りた際に、お栄の部屋の様子を窺ったりしていた。

 『暗夜行路』(上下)岩波文庫本(1938年)を読んでいる。この文庫本には、冒頭に「武者小路実篤兄捧ぐ」という献辞がついている。もう一つ、新潮社文庫本『暗夜行路』(1冊本)も借りて来たが、こちらには、「献辞」が」付いていない。どうしてなんだろう。

 『暗夜行路』は、志賀直哉のかなり自伝的な背景のもとに書かれている。新潮文庫本には、年譜がついている。これを読むと面白い。

 志賀直哉は、明治16年(1883年)に、宮城県(いまの石巻)に、志賀直温の次男として生まれた。12歳の時(1895年8月)に、母の銀が死亡している。その9月には、父は再婚した。それもあってか、直哉は祖父母に溺愛されて育った。学習院初等科を経て、1906年、23歳の時に、東京帝国大学英文学科に入学する。その年に、祖父が死亡した。明治40年(1907年)、8月、女中との結婚を決意するが、実現せず、父との不和が深まる。

 年譜に上記があった。裕福な家庭で育っている。学習院で二回く落第しういるので、東京帝国大学に入ったのが23歳である。そのの、翌年24歳で、女中と結婚したいと言い出すのだから、普通の庶民の感覚では、それはないのだ。この体験が、『暗夜行路』の時任謙作に反映されてるのだろう。

 ともあれ、前編はよんだので、これから後編にとりかかる。

町田イタリア歌劇団 テノールコンサート 土崎

 雨の中、町田へ行った。町田市民フォーラムに於ける 町田イタリア歌劇場の土坂 譲コンサートを聴いた。土崎さんは四十歳台のテノール歌手だ。特に歌に造詣が深いというのではない。妻のY子さんが行くというので同行した。人生には消費だけでなく浪費が必要なのだ。肉体を支える栄養素摂取だけでなく、薔薇の花を愛でることが欲しいのだ。これは、心の栄養素だろう。

『暗夜行路』(志賀直哉)を読んでいるのだが退屈してきた

 『暗夜行路』の、「序詞(主人公の追憶)」は、結構、興味深い。こういう書き出しだ。

<私が自分に祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、その後二月ほどたって、不意に祖父が私の前に現われて来た、その時であった。私の六歳の時であった。>

 こういう出だしである。主人公の時任謙作の実の父親の出現であった。私は、この小説の粗筋を既に知っているのだ。謙作は戸籍上の父親が、三年間の間ドイツに行っている間(留学)に、祖父と母親の不義(不倫)で生まれた子であった。父親がドイツに留学中に、事実を知らせると「許す」との返事がきた。その結果、謙作は二男として生まれ育ってきた。六歳の時に、産後の肥立ちが悪く、母親が死んでしまった。ということは、留学から帰った、戸籍上の父親は。謙作を実の子どもとして、六歳まで育てて来た。これは、もしかしたら地獄の家庭生活であったのではないか。謙作の「出生の秘密」を、他の多くの人は知っていたが、謙作本人は知らずに成人したのだった。
 こういう件がある。
<二、三日するとその老人はまたやって来た。その時私は初めてそれを祖父として父から紹介された。
 更に十日ほどすると、何故か私だけがその祖父の家に引き取られる事になった。そして私は根岸のお行の松に近い或る横丁の奥の小さい古家に引き取られて行った。其処には祖父の他にお栄という二十三、四の女がいた。>

 謙作の元の父の家は本郷なので、根岸は4~5キロしか離れていない。
 さて、この小説は、「序詞」に続いて、「第一」に入る。主人公の時任謙作は、既に成人しているが、大学卒業して間もないのか、三十歳くらいなのか今のところは、私にはわからない。なにやら小説を書いていて、何処かに勤めて働いているようにも見えない。友人たちが結構、頻繁にきたりして、飲み歩いたり、吉原に芸者遊びに行って、朝帰りを繰り返したりしている。祖父は既に亡くなっていて、お栄の他に女中さんもいて、結構、裕福そうに遊び暮らしているように見える。この項の、「一」から「八」までの話の展開をみると、どうも遊び暮らしているのみで、もう一つ面白みは湧いてこないのだ。この小説は「国民文学」とか、志賀直哉は「小説の神様」といわれており、結構、評価の高い作家だが、この筋書きに読者は、退屈はしなかったのだろうか。
(続く)

 

『小説の読み書き』(佐藤正午)を読みながら考える

 『暗夜行路』と『復活』を並べて交互に読んでいる。その合間に、町田康さんの『しらふで生きる」の三回目に取りかかっている。というより、節酒のエネルギーを町田さんの本から頂いている。

 <昨年(2003年)、「読者が選ぶ(私の好きな岩波文庫)」よ題したアンケートというか人気投票が行われ、その。結果ベスト五に夏目漱石の小説が三冊入った。四位に『吾輩は猫である』、二位に『坊ちゃん』、そして一位が、『こころ』>、ということなんだって。
 「こころ」は、多分、高校生くらいに読んでおり、昨年、たしか、高橋源一郎さんの「近代文学盛衰史」(だったろうか)に触発されて、読み返したのだった。たしか、主人公が、関西から東京に出てくるときに、偶然乗り合わせた女性と、名古屋か何処かで乗り継ぎのために一泊せざるをえなくなり同宿を余儀なくされた。別れ際に、「勇気のないひとね」のように女に言われてしまったのが学生の主人公だったのではないか。それは、ともかく、「こころ」の主人公は実は「先生」なのだ。

<私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。・・・・>

吾輩は猫である。名前はまだない。>

 「こころ」と「吾輩は猫である」の書き出しを引いた。佐藤さんが、この書き出しは同じパターンだと言っている。言われてみると、その通りなのである。そして、明治の時代の小説なのだが、いまでも新鮮に感じられ通用する。国民文学という証拠なんだろう。

 それにしても、それにしなくても、作家の書く文章はわかりやすいと感じる。