2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧
先週の水曜日(24日)に従来と異なる眼科医を受診した。前医で緑内障を指摘されてラタノプロスト点眼液を処方された。2回目の薬が切れたところで別の眼科を受診したのが先週だ。その受診でやはり視神経が薄くなっているので緑内障の恐れありと診断され本日は…
(2)「私のC型肝炎物語」 第6章:ハーボニーに挑戦― C型肝炎治療受給者証を取得 2015年8月にMSD社の治験によるHCV治療に失敗してⅭ型肝炎ウイルス再燃が明確になってから1年近くが経過していた。 ■夢の新薬「ハーボニー」■ その頃、新たなインターフェロ…
(14) Exton-Smithと講演「老化と栄養」~1981年10月15日(木) 1981年10月15日(木)~17日(土)。東京・平河町の都市センターホールと全共連ビルにおいて開催された第23回日本老年医学会を取材した。■必至の高齢化社会と老年医学■●1981年10月15日(木):…
(22)Richard Dollさんと講演「癌の疫学研究」~1983年10月11日(水) 1983年10月11日(水)。午後16時から、がん研究所(「通称「がん研」)に、ドール(Richard Doll)博士の講演会を取材に行った。 ドールさんは著名な疫学者である。癌発生の疫学的解明…
(2)第5回国際免疫学会議1983・京都 第5回国際免疫学会議における大きなトッピクスは、エイズ(AIDS)が日本における医学関連の会議で大々的に取り上げられる先駆けとなったことであろう。当時、エイズが英語でAIDS(Acquired Immunodeficiency Syndrome)…
(1)「私のC型肝炎物語」 第5章: MSD社の治験に参加― 二重盲検試験: 運命の電話 (承前) 第4章では、経過観察に終始した2006年~2015年、治療という面では空白の9年間を振り返った。この9年間は顧みれば私の仕事生活の総仕上げの時期でもあった。 完全退職…
(2) 「私のC型肝炎物語」 第3章: PEGインターフェロン治療― 久しぶりの入院だ! ■東大病院新病棟A11階に入院■ 午前8時に出社し、8時30分までデスクワークをした。秘書(K)さんと医学雑誌部の管理職宛に夏休み中に東大病院に入院にすることをメールで連…
(20)多田富雄さんと第5回国際免疫学会議・京都 ~1983年8月21日(日)~24日(水) 第5回国際免疫学会議が、山村雄一会長(大阪大学教授・第3内科)、多田富雄事務局長(東京大学教授・免疫学)のもとで、1983年8月21(日)~24日(水)、京都市の国際会議…
(1)エイズ登場1981~1983 ■エイズの登場■ 米国UCLAのマイケル・ゴッドリーブが後にエイズと呼ばれることになる6例の症例を初めて報告したのは1981年6月のことだ(ジョン・クルードソン、小野克彦訳『エイズ疑惑』より)。 翌年の1982年にエイズという…
(12) 日野原重明さん⑤と座談会「POSのDr. Weedを迎えて」〜1981年10月1日(金) 1981年10月1日(金曜日)、パレスホテルで行った座談会「Dr. Weedを迎えて」の収録に参加した。収録場所のパレスホテルは大手町の皇居に近い格調の高いホテルだ。その頃から…
(5)伊藤正男さんと藤原賞受賞 ~1981年7月10日(金) 1981年7月10日(金)。東京・霞が関の日本プレスセンターで開かれた伊藤正男さんの藤原賞受賞祝賀会を取材した。■藤原賞受賞講演会を聞く■●1981年7月10日(金): 「藤原賞受賞祝賀会開かれる―伊藤正…
東京都・町田市の市民公開講演会「肝臓がわるいと言われたら~どんな病気?治療法は?」に行く。講師は千葉大学附属病院 消化器内科の加藤直也教授。会場は小田急線町田駅から徒歩7分位の町田市健康福祉会館だ。昨年に続き今年も参加する。昨年のテーマは肝…
(6) 江橋節郎さんと「第8回国際薬理学会議」~1981年7月19日(日) 第8回国際薬理学会議( Eight International Congress of Pharmacology)が、江橋節郎会長(東大教授・薬理学)の元で、東京・新宿の京王プラザホテルにおいて、1981年7月19日(日)~24日…
(1)晴天の霹靂から8年後:2006年8月 東大病院消化器内科(小俣政男先生)で、1998年(平成10年)年12月からC型慢性肝炎の治療を開始した。治療とはいえ原因除去治療ではなく経過観察であった。肝臓庇護療法としてウルソを毎食後2錠の服用を続けていた。ウ…
老人呆け(Senile Dementia)が「認知症」に改められたのは2004年のことだった。当時の厚生省が決めたのだが、「チョット変だな」というのは医学に素人の私も感じていた。このことに関して興味深い専門家の解説記事を目にした。週刊医学界新聞に「漢字から見…
(9) 私の「医人」たちの肖像― 工藤進英さんと大腸内視鏡検査 2018年10月2日 大腸内視鏡検査を、2018年10月2日に受けた。その折に切除したポリープの組織検査結果を聞きに、10月16日に病院へ行ってきた。 ■ポリペクトミー■ 切除したポリープは良性の線維腫…
チェーホフの三人姉妹を急いで読んだ。明後日(10月17日)に新百合ヶ丘のアルテリオ小劇場で「三人姉妹」を観る。チェーホフと言えば、『かもめ』か『三人姉妹』というくらい超有名だ。
合気道は不思議な武道だ。合気道は試合をしない。普段は相手(二人あるいは多人数)との素手で相対稽古をする。短刀取り、木剣への捌き、杖取り等の武器を用いた稽古はある。普段稽古では基本的に武器を手に持たない。開祖植芝盛平(1883~1969)が日本伝統…
(2)「私のC型肝炎物語」第2章:晴天の霹靂:あなたはC型肝炎ウイルス(HCV)のキャリアです!―東大病院小俣内科を選んだ! 1998年8月11日に東京逓信病院で受けた人間ドッグで、私はC型肝炎ウイルスのキャリアであることが判明した。医師から専門医への…
(13)日野原重明さん⑥武見太郎さんと対談「科学・哲学・医学」~1981年10月 1982(昭和57)年の医学界新聞の新年第1号は、「日野原重明・武見太郎対談」とデスク会議で決まった。当時の編集室の陣容は、TS室長以下SH君、KI君と私の4名だった。■医師会のド…
座頭市の子守唄 佐伯 了 座頭市の勝新太郎が 今も奥さんのことを<珠緒ちゃん>と呼ぶのだと、何かで読んで ぼくはとても可笑しくて嬉しくなった その頃であった ぼくの二人の姉と一人の兄が同じ秋に結婚し 上の姉は式もあげずに十五歳の咲代子の義母となり そ…
(3) 日野原重明さん③と重い鞄を持つ人! ~1981年5月15日(金) 毎年、春に行われる勤務先の人事異動で、1981年5月から「週刊医学界新聞」担当者の一人に、私は配属された。1971年入社から十年が経過していた。洋書販売業務(営業畑)から編集職への移籍な…
(11)Bruce N. Amesさんと「エームス・テスト法」 ~1981年9月27日(日) 私の『医人』たちの肖像」は、私が医学書院に在職中(1971年~2011年)の四十年間に、実際に会い(講演を聞いただけも含む)印象に残った人たちを、「医人」と名付けてシリーズで紹…
(4 )Ⅽ型肝炎は慢性化して肝がんへ― 私の肝機能の推移:1986~1990年(5年間) C型肝炎ウイルスが米国で発見され、抗体検査でウイルスに感染しているかどうか検査できるようになったのは1988年のことだ。それまでは検査法がないため、診断も治療も難しかっ…
(5)「私のC型肝炎物語」 第1章: 非A非B型肝炎ウイルスからC型肝炎ウイウイルス(HCV)へ― エイズウイルス発見論争再燃: 1990年~1991年 Ⅽ型肝炎ウイルスとは離れるが、時代背景としてエイズ(AIDS)ウイルス発見についてここでもう一度触れておきたい。 ■…
平成9年9月18日に義父(TT)がこの世を去った。早いもので今年(平成30年)の9月18日(火)で満21年が経過した。確か三女のRTが高校1年生で友人とディスニーランドに遊びに行っており急いで帰るように連絡した。既に携帯電話(ピッチ簡易電話)を保持していた…
眼科を受診した。一月振りだ。3年くらい前に大学病院の眼科から地元の眼科医院を紹介されて通っている。基礎疾患に糖尿病があるので眼科でのフォローが必須となった。4年くらい前から毎日2回ほど白内障予防のためにカリーユニ点眼液を点眼してきた。2カ月く…
(145)日野原重明さんと「巨星墜つ!聖路加国際病院で献花する!」~2017年8月1日(火) 不滅だと思っていた日野原重明さんが亡くなった。 ■巨星墜つ!■●2017年7月18日(火): 2017年7月18日(火)。午前6時33分。日野原さんが、呼吸不全で死去。1911(明…
2018年のノーベル生理学・医学賞に本庶佑さんが漸く選ばれた! 漸くというのはもう10数年前から「今年こそ」と言われてきたからだ。今回の受賞理由は「PD-1」を発見しこれを元ににがん治療薬「オブシーボ」を開発したことによる。2015年の大村智博士の研…
大腸内視鏡検査を本日の午後に受ける。初めて受けたのは2005(平成17)年だ。契機は、毎年6月頃に実施の定期検診で便潜血反応を指摘され、大腸内視鏡検査を勧められたからだ。その時から2~3年毎に検査を受けている。今回は昨年の8月と連続だ。便潜血反応は…