TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 『外套』(ゴーゴリ、児島宏子訳、2009年、未知谷)を読み始めた

『外套』(ゴーゴリ、児島宏子訳、2009年、未知谷)を読み始めた。もう一冊『外套』(平井肇訳、岩浪文庫、1938年)も借りてきたが、児島訳を読み始めたのだ。児島訳は今の言葉による語りくちだ。
 一息に読み終えた。読みやすい訳文であった。なんで今まで読んでいなかったのか?あるいは学生時代に読むには詠んだのかもしれない。「未知谷」の『外套』をよんだことでいろいろな面白みが湧いてきた。「未知谷」という出版社は、飯島徹さんという元「青土社」の編集者が1995年(もう三十年も前だ)に起こした出版社なのだという。工藤正宏さんの三巻本を出すくらいだから奇特な出版社だろう。いずれにせよ、『外套』を読んだ。「訳者あとがき」が長くて面白い。

<ニコライ・ワシ―リェヴィチ・ゴーゴリ(1809~1852)は、彼がwすでに文壇に認められていた30歳頃、1840年に『外套』を書き始め、二年後に発表している。私は、ロシア語を学ぶ以前から翻訳でこの作品を読んでいたが、ユーリー・ノルシュテインと知り合い、彼が映画制作の中断の時期も含めて20年以上も、この作品をきり絵アニメーションとして完成させるべく取り組んでいることを知った。・・・>

 このあとがきを読みながら、つい先日、馬場朝子さんの本で、ユーリー・ノルシュテインと彼が『外套』のアニメ化に取り組んでいることをしたっことを想い起した。ゴーゴリは、小ロシアと言われたウクライナに1809年生まれなんだ。

<・・・チェーホフの短篇『大学生』(未知谷刊)を訳した時も、ボードレールの詩『ペトロの否認』(「悪の華」にはいってるらしい?)に再会して、キリストの時代から人間社会の基本が、よりよい方向にそれほど進んでいない事実に驚愕させられたが、今回も同様に、私この事実に悪夢のようにうなされている・・・・。ドストエフスキーが「われわれは皆ゴーゴリの『外套』の中から生まれた」と」言ったそうだが、この言明に彼の慧眼さが如実に現れている。というのもロシア文学の特質であるヒューマニズムの根源がここにあるからだ。・・・・>

 「あとがき」でこういうことを書く訳者の児島さんはどう言う人だろう。『大学生』(チェーホフ)も読んでみたくなった。
 続く