TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

残暑の厳しい13日の金曜日に読んだ本のこと~『悪魔(トルストイ)』を読んでみたい

昨日は15時30分過ぎに5泊6日の八ヶ岳の旅から帰って来た。留守中に雨があまり降らなかったようだ。庭の鉢植えの樹木が干からびていた。本日は何処にも出かけなかった。昼間は暑さのためか身体がだるくて本があまり読めなかった。幾つか読んだ本のことをかいておきたい。

(1)『戦争と平和論』(本多秋五)を読みついだ。
 第二章 波の合間

 四 善悪とは何ぞや―1806年
  この章の気になった個所を引用しておく。
 <降誕祭の三日目、ロスト家でrはニコライ等の送別会が催される。その夜、春の帰国以来、ニコライの無二の親友となっていたドーロホフが、ソーニャに結婚を申し込むという一事件がおこる。ニコライを愛しているソーニャはそれを拒絶する。それから、三日目、ニコライはドーロホフのインチキにひかかって、四万三千ルーブㇽという大金をカルタで負ける。同じ夜、ジェニーソフはナターシャに結婚を申し込んで断られる。ジェニーソフ、つづいてニコライは、ポーランドにいるもとの連帯に参加すべくモスクワを発って行く。これが、1806年の後半の部分である。>

 このあと、ピエールとドーロホフの決闘の場面に進む。ドーロホフはピエールの妻のエレンと懇ろになっている。それも、ドーロホフが誘惑したというのではなくてエレンが遊び女なのである。

 本多さんは「戦争と平和」の長い物語を整理し直して解説してくれている。作者のトルストイよりも物語の流れを詳しく解説している。挙句のはてに作者の物語の時系列の矛盾を指摘したりする。こういう指摘すらある。

 「波の合間」の部分は、構成がルーズであるばかりでなく、この部分に入って、作者の記憶の間違いや思い違いが、かなり頻繁に出ている。

 本田さんの指摘は物理的に不可能であることとか時系列がおかしいとかその通りであるのだが、作者のトルストイには届かない。いまなら編集者が整合性をとって作者に伝えるものなのだろう。それにしても本多さんの読み方は緻密である。

(2)『そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所』(松浦寿輝
 この単行本のタイトルにもなっている短篇は雑誌「新潮」11(2003年)に載ったもののようだ。タイトルがながくて魅力的なのだが読んでみて読後感はよくない。なんだこの小説は?という気がした。結局は。人間の「不条理」を描いたものだろう。松浦さんは自身の「詩」を解体しながら肉付けして一つの短篇を作ったのだ。

(3)『生きることと読むこと」(高史明)

(1)鮠の子(室生犀星
(2)「熊」のジョー二(スタインベック
(3)交尾(梶井基次郎
(4)うけとり(木山捷平
(5)妹の死(中 勘助)
(6)城中の霜(山本周五郎
(7)悪魔(トルストイ

 上記の太字にした(3)~(7)を読んでしまった。いずれも怖い話である。Ýトルストイの「悪魔」を稲城図書館に力ウエストした。在庫があったのであした借りて来る予定だ。『うけとり』(木山捷平)という小説も私にはよくわかる。怖ろしい人間のこころを描いている。