今年(2024年)の年末は好天が続いている。朝から布団を干して網戸を外して洗い、大根を1本抜いて葉を人参油揚げと炒め大根本体は柚子酢和えに皮はキンピラにした。爺の手料理は健在だ。夜になって合気道の会計業務をエクセルで一覧にまとめた。漸く22時から読書に入る。『世界文学を読みほどく』(池澤夏樹)は頗る刺激的である。「文学は実学である」は本当だと漸く気がついた。なんと不勉強な学生時代を過ごしてしまったのだろう。愕然とする。
<カート・ヴィネガット(1922ー)というアメリカの作家(代表作は『スローターハウス5(ファイヴブ)』(1969)の中に、『じんせいについて知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そうしてつけ加えた、『だけどもう、それだけじゃ足りないんだ』」という言葉がある。
『カラマーゾフの兄弟』という作品は、人間の情熱について、理性について、信仰について――この三つのことを三兄弟とそれぞれが体現しているのですがーー、およそありとあらゆる理屈が、議論が、思惑と主張が並んでいて、丁寧に最後まで読み終わると、「そうか、人間ていうのはこういうものなかのか」と、希望と絶望の両方がちゃんと伝わるような仕掛けになっている、すごい話です。それが十九世紀に書かれた。>
池澤さんの講義(第一回総論ー1)のっけから長い引用をしてしまった。これだけを読んでも「文学が実学」であるとわかる。たしか15歳のドストエフスキーが「人間と何か」を知りたい。そのために一生をかけても惜しくないと、誰かへの手紙の中で書いていた(有名な話だ)。ドストエフスキーは「人間とは何か」を求めて書いていったわけだ。でも、『だけどもう、それだけじゃ足りないんだ』」とアメリカの作家カート・ヴィネガットが言ったのだという。その通りだと思う。数年前に起こったやまゆり園での障害者刺殺事件などをみるとラスコールニコフを大幅に超えてしまっている。「人間とはなにか」を考えるのに、「カラマーゾフの兄弟」では足りない。先日読んだ『百年の孤独』をガルシア=マルケスは17歳の時に着想を得たと語っているが、彼もまた「人間とは何か」を知りたかったのに違いない。
池澤さんは埼玉大学の理工学部中退なんだっていうが、この学歴が面白い。池澤さんは作家の福永武彦の最初の奥さんとの息子で母親が北海道の人だったので母親に育てられたと履歴に書いてあった。今日はここまでにしておくが頭のよい人の書くことは実に面白くてわかりやすい。
さて、漸く朝日歌壇にたどり着いた。
<猫までも痩せてやつれたガザの街食われることなく生き延びている(五所川原市 戸沢大二郎)>⇒馬場あき子撰:
戸沢さんは常連の入選歌人だ。この歌って、ガザに行って観てきた風景なだろうか?「世相か歌」「反戦歌」はよいのだが、平和な日本に住んで感情移入してこういう歌を詠めるののだろうか?
<我が犬は夫婦喧嘩に耳を立て顔を埋めてひたすらそら寝(茅ヶ崎市 桐山和久)>⇒佐佐木幸綱撰;
この歌いいね。犬って感情があるのかな。
<小賢しい機能はないが壊れない昭和家電のごとく生きたい(滝沢市 田浦将)>⇒高野公彦撰:
<生卵ひとつ姉と喧嘩してかけた昭和のちゃぶ台ご飯(東京都 萩野谷雅樹)>⇒永田和宏撰:
自分では詠めないが、魂の歌が載っていない。
<コロッケを買いに並べば前の人で売り切れになるそんな人生(福井市 佐々木祐香子)>⇒永田和宏撰:
この歌って、ちょっと面白い。
次に、朝日俳壇を読む。
<にんげんに初めて触るる落葉かな(春日部市 池田桐人)>⇒小林貴子撰:
最後に今日の気になる本を書いておく。
(1)『81歳、現役女医の転ばぬ先の知恵』(天野恵子、世界文化社、1760円)
天野恵子先生の本だ。ご主人はたしか脳外科医であった。天野さんは循環器内科医ではなかったか?まだ現役で働いているのだね。娘さんも医師?