TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

虫も殺さぬあるいは虫も殺せぬ!


 Gは群馬県多野郡吉井町入野村という田舎生まれだ。数年間に高崎市に合併されて今は高崎市になっている。近くに日本三碑があるのと隣の富岡市にある旧富岡製紙工場が世界遺産に登録された余波で脚光を浴びている。Gの生まれて育った戦後間もない頃の唯一の産業は養蚕であった。生家も養蚕で食っていた。あるな夏のこと蚕に桑を与える作業を手伝っている時に蚕にかなり大きな蟷螂が近寄ってきた。蚕を食おうとしたのだ。殺せ!、と父がすかさず命じた。少年のGは蟷螂を捕まえて庭先に捨てに行った。殺せなかったのだ。
 しかし、もっと幼い頃の餓鬼のGは思い起こせば虫をいろいろと殺した。蟻の巣をを見つけ巣穴に列をなして餌を運ぶ蟻の行列を眺めるのは楽しい。最後には巣穴を踏み躙って皆殺しだ。盛夏のころ油蝉を捕まえると片目だけを釘で潰して空に放つ。隻眼となった蝉は方向感覚がなくなり高く空高くと飛んで行きやがて太陽の光の中に消える。捉まえた雨蛙のお尻の穴に麦わらの軸を差し入れて空気を吹き込む。蛙のお腹はパンパンに膨らんで動けなくなる。幼児は無邪気などころか残酷なんだ。こうした虫殺しの幼児期を経て長じた私は生き物の「命「」に気がついた。「蟷螂も殺せぬ!」こころ優しいひ弱な少年に成長したのだ。
  
 「やがて死ぬ 景色は見えず 蝉の声」(芭蕉
  The voice of the cicada not be seen soon die scenery.

 昨今、いとも簡単に人を殺してしまう事件が多い。それも一人や二人というのではない。想像を絶する事件が現実に頻発している。このことには「虫も殺さぬ」よい子の幼児期が陰をおとしていないだろうか? 虫や小さな動物たちが犠牲になって命のことを教えてくれるのが自然なことではにだろうか?