TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 合気道の日曜稽古と朝日歌壇、俳壇を読む ~「始まりは一年一組孫の春」

 本日は合気道の日曜日の稽古日であった。麻生スポーツセンターの武道場が取れないので麻生中学の柔道所をお借りしての稽古だ。12時20分過ぎに麻生中学に到着。この日は中学生たちが剣道の交換稽古を行っていた。日曜日だが他の中学校から交換稽古にきて合同の稽古が終了したばかりであった。他校の生徒たちは帰るに際し、剣道場の玄関に整列して大声で「お世話になりました。また来ます。」といような挨拶を交わしていた。真に清々しい気持ちになった。さらに、残った麻生中学の生徒さんたちが剣道場の板の間に畳を敷いて柔道場への模様替えを手伝ってくれた。これは剣道部顧問の教師の指示であった。こどもたちは嫌な顔一つせずに爺さんたちの合気道の稽古場を設立してくれたのだ。
 本日の稽古は双手取りからの各種の技の稽古を行った。双手取りから呼吸投げに入る動作に気づきがあった。受けに双手を取られた時には、取り(技をかける方)は身を相手に寄せて間合いを自分のものにして肘を支点にして腕を上にあげていくことで相手を捌き投げに移り倒すことができる。「身を寄せて間合いを自分のものにする」ところが要である。身を寄せないで腕を上げることは梃の原理からいっても不可能である。このことを身体で会得するしかないと感じた。本日の稽古は、ビジターのNさんを含めて8名のみであった。帰宅してから朝日歌壇、俳壇を読んだ。

<人間の形に白き布巻かれ遺体がガザの瓦礫に並ぶ(観音寺市 篠原俊則)>
ウクライナの攻撃やめぬプーチンがテロの死者には十字を切りをり(浜松市 松井 惠)>⇒永田和宏撰:
 このような歌を詠んで選ばれる不思議を思う。

<夜の森のさくら映れば切なかり廃炉は遠く桜木は老ゆ(下野市 若島安子)>馬場あき子撰; 

<羊の子な七十頭の生まれたり伊香保グリーン牧場の春(前橋市 荻原葉月)>⇒佐々木幸綱撰;
 荻原さんの歌も句も地元に即して好ましい。

<裏金の議員の処分を急ぎおり真相を闇に葬らんとし(観音寺市 篠原俊則)>⇒高野公彦撰; 

 篠原さん、もう一首も選ばれていた。
<店主泣き客も泣きつつ手を握る輪島の出張朝市の店(観音寺市 篠原俊則)>⇒馬場あき子撰;
 観音寺市の篠原さんは毎週のように当選している。だあ、個人詠はいいが世相詠はよくない、と私は思う。

 次に俳壇を読む。

<始まりは一年二組孫の春(筑紫野市 二宮正博)>⇒長谷川櫂選;
 こういう俳句でいいんだ。9年前に一年一組でった孫のJS君が高校生になった。身長も爺より大きくなった。「高校は面白いか?」とメールしたら、「うん、めっちゃ楽しい」と返信がきた。いうことはなく爺は楽しい。