TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

新百合ヶ丘の「うめのはな」でES夫妻と会食した日に『宣告 下』(加賀乙彦)を読み継ぐ ~この本を読みながら、「生きること」に意味なってなくていいが「素面で生きる」

 ES夫妻とは五年くらい前から1年に一度だけ会食をしている。11時30分から13時30分位までゆっくりと昼食を楽しんだ。14時30分頃には帰宅して洗濯物を取り入れて畳んでしまった。午後15時20分頃に蓄電池設置を頼んだベルのYさんが来訪して「経済産業省」への蓄電池登録の書類の委任状に捺印した。そのあと『宣告 下』(加賀乙彦)を読み継いできた。 

 この本も佳境に入った。楠本他家雄の処刑の日が明日に決まったのだ。他家雄は処刑に備えて床屋で散髪して最後の入浴を許された。

 <彼は丹念に体を洗いだした。死化粧として清潔に洗う以外に何もできない。その場で見苦しくないように、また医学生たちに眺められた時恥をかかないように、隅から隅まで奇麗にしておきたい。>

 他家雄の入浴風景である。死を数時間後にひかえた時にも人はこのように平静に入浴ができるものなのだるか? わからない。この辺は著者の創作であろう。ともかく読み継ぐ。
 処刑日の前日、精神医の近木は他家雄に会いに行った。

 <「いやいや、立ち会いの医官ではないのです。ただそ場所に行くだけです」
 「はい」楠本は小さな焔のような微笑を絶やさなかった。「同じことです。先生は精神科ですから、わたしの精神を看取ってくださるわけで、こころから感謝いたしております」>

 最終章の「7」まで読んできた。「8」で終わるのだが今日はここまでにする。加賀さんはこの小説で何を描こうとして書いてきたのだろうか?