TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

漫画家の吾妻ひでおさんが逝った!

  漫画家の吾妻ひでおさんが2019年10月13日に亡くなったと新聞で読んだ。69歳だった。ほぼ同年代なんだ。吾妻さんの「失踪日記」が好きで本を買ってときどき読んでいた。本棚からみつけてまた少し読んだ。吾妻さんは食道がんで闘病中だった。「失踪日記」は「全部実話です」と表紙に書いているから多分、腐ったものも拾って食べていたんだろう。シケモクも拾って喫っている。「シケモク」という日本語を君は知っているかな? 灰皿に山となったたばこの吸い殻から比較的長くてまだ喫えそうなのを「シケモク」というんだ。とても若いころ(20歳少し過ぎ)に友人たちと安物のウイスキーのコカコーラで割ったのを飲みんながら煙草を吸った。夜も更けると煙草が亡くなって吸い殻の中から「シケモク」を集めて喫うのだ。今では死語となってしまったであろう「シケモク」という言葉を私は知っている。そんなことはどうでもいいのだが、吾妻さんが死んでしまった。吾妻さんは北海道出身だそうだ。上京して板井れんたろうさんのアシスタントを経て1969年に漫画家デビューした。20歳そこそこで漫画家になったのだから立派なもんだ。ギャグマンガ「ふたりと5人」や「やけくそ天使」などで人気があったらしい。「らしい」というのは実は私は「失踪日記」しか読んでいない。私生活でアルコール中毒になってしまった吾妻さん。きっとかなり優しい人に違いない。吾妻さんが死んで淋しい。わたしの愛読書として「失踪日記」を大事にしたい。吾妻さんさよなら、ありがとう!

出生前診断―絡み合った歴史(拓植あづみ)を読む

 先日(2019年10月20日)の朝日新聞に、拓植あづみさん(明治学院大学教授)が標記の論評を寄稿していた。新型出世前診断(NIPT)に絡めての論評である。関心あるテーマなのでメモをまとめながら紹介したい。

 ■出世前診断の歴史■
(1)1948年の優生保護法優生学的な目的で障害者に不妊手術や中絶を強いてきた。1949年には、経済的な理由で中絶を認める「経済条項」が加えられた。
(2)1960年代までに中絶手続が簡単になり年間中絶件数が年間100万件を越えた。
(3)上記に反発した反対派が経済条項を削除する改定案を1970年代初めに国会に提出した。改定案は審議未了で廃案になった。背景には、日本医師会に加えて優性保護法に反対していた障害者運動がある。改定案には胎児の病気や障害を理由に中絶を認める「胎児条項」が加えられていためである。
(4)度重なる出産、望まない出産を避けるための合法的な中絶を可能にするには「経済条項」が必須だった。
(5)「胎児条項」に反対する障害者と、「経済条項削除」に反対する女性たちがた対立することになった。
(6)ここで、障害をもつ女性が双方の立場を理解して発言し始め、女性たちは優生保護法が孕む問題に気がついた。
(7)1980年台になって、堕胎罪と優生保護法の廃止に加え、「産む/産まないは女が決める」が、「胎児の選別中絶は女性の権利に含まれない」と主張するようになった。
(8)1996年に、優生保護法優生学的な部分が削除されて「母体保護法」へと名称変更された(堕胎罪は存続している)。
(9)刑法には堕胎罪があるが、母体保護法で「身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」などの要件を満たせば適用外になるとされている。
(10)2013年に新型出生前診断(NIPT)の臨床研究が始まると、検査を受けるひとが増えていることがメディアで紹介されるようになった。
(11)国内では2013年に、日本産科婦人科学会など五団体が施設認定に厳しい条件を付けて了承した。現在、大学病院などやく90施設が認定されており、2018年9月までに約6万5千件が実施された。学会の指針には強制力はないので、認定を受けずに検査する民間クリニックが増えている。
(12)2019年3月に日産婦が実施施設の認定条件を緩和する指針案を公表したが、日本小児科学会などが反発している。

 以上、拓植さんの論評を纏めてみた。拓植さんは次のように結んでいる。
 「いま必要なのは、歴史を踏まえた上で、多様な個人を受け入れ、尊重する成熟した社会を築くための議論だ。分断でも、対立でも、沈黙でもない。」

 新型出生前診断は妊婦の血液に含まれる胎児のDNAから染色体の変化を調べるものだ。従来の検査にくらべ血液採取のみで済むので母体へ負担は少ない。受ける人は増えてくるだろう。もはや子を持つことが神の領域(授かりもの)ではなくなっている。医学・医療の進歩は私たちに新たな極めてエレガントな問題を提起した。拓植さんの寄稿は時宜を捉えた貴重な問題の纏めとして読んだ。

 

 

村上春樹の小説について語るときにぼくの語ること

 作家の村上春樹さんがイタリアの文学賞グリンザーネ賞を受賞して、イタリアの北部アルバの劇場で講演したという記事が朝日新聞(2019年10月21日、朝刊)に載っていた。授賞式で村上さんは、「洞窟の中の小さなかがり火」と題して講演した。自伝的なエッセーで書いていたが、村上春樹は早稲田を出てから企業に就職しないで中央線沿線の高円寺あたりでジャズ喫茶店をやっていた。大学時代は早稲田から近い椿山荘の近くの江戸川橋辺りに住んでいたらしい。
 チョット新聞からの引用になるが紹介する。

 <「リズムは文学においても不可欠」であり、店に立って昼夜聞いていた音楽が小説家になるための訓練になっていたと振り返った。>

 村上春樹の小説を読んでいて感心するのは、クラシックからジャズまで音楽への造詣がとても深いことである。それと村上の小説の主人公の若い男性は料理がとても上手である。殆どプロ級である。経営していたジャズ喫茶ではコーヒーとかだけでなくパスタなども自分で作って提供していたのだろう。村上は料理もプロなのである。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読むと、主人公の「私」は実に料理が上手なのである。食料をたくさんまとめ買いをして持ち返ってから冷凍保存、野菜室保存、等々の下準備の手際の良さには感心する。それと女性の扱いがとても上手である。上記で紹介した「ワンダーランド」の主人公(35歳)が、胃拡張の図書館のレファレンス係りの女の子(29歳)にご馳走をたらふく提供して、やがてセックスにも至る手順は自然でそつがない。初期のもう一つの作品『ノルエイの森』はタイトルから音楽だし、後半に出てくるセックス描写は見事であり感動ものである。

 <書きたいイメージや情景が浮かぶと、短い文章にして、いったん机の引き出しにしまう。こうした「衝動的に描きつけた使い道のない文章」は時間をかけて熟成され、長い物語へと発展していく。作家生活40年を経た今も、この創作方法は基本的にかわらないという。>

 この書き方についての件を読んで、「そうなのか」と納得した。村上春樹は「物語」を書いていたのだ。「小説」というより「物語」なのだ。例えば、『1Q84』を読んでいて、私はなにか荒唐無稽のお話なので納得がいかず、何を言いたいのだろうと釈然としなかった。『物語』なんだから荒唐無稽でよいのだしメルヘンでもよいわけだ。

 2012年頃にイタリアのシシリー島を10日間旅した。その折に街の本屋で村上春樹のイタリヤ語訳「1Q84」が店頭に平積みで売られていた。イタリアでも人気作家なのだろう。

 上記の記事を新聞でよんでから「文藝春秋」6月号(2019年)に、「猫を捨てる―父親について語るときにぼくの語ること」という自伝的なエッセイを寄稿していたのを読んだことを想いだした。書棚から文春を持ち出して本日のブログを書いた。ところで、大分まえに亡くなった立松和平さんも早稲田大学出身で村上春樹と同世代だ。二人の交流は多分なかったろうな?  

  (2019.10.21) 

医療講演会「肝臓が悪いと言われたら・・・脂肪肝・肝硬変・肝臓がん予防と最新治療」に参加した

 町田肝臓友の会の主催による医療講演会「肝臓が悪いと言われたら・・・脂肪肝・肝硬変・肝臓がん予防と最新治療」に今年も参加してきた。例年10月のこの時期に開催されるので今年の予定は町田肝臓友の会のホームページで調べて参加を予定していた。折も折に、「町田肝友会」から機関誌「かんぞう」」(開催案内)を送ってくださった。
 思えば2年前の2017年10月の講演会で加藤直也先生(千葉大教授)の講演で、C型肝炎の最新治療薬マヴィレットを知って、直後の東大受診で主治医と相談して2017年12月にマヴィレットの治療に挑戦した。この時から丁度2年が経過した。この2年間のめまぐるしい日々については「私のC型肝炎物語」に詳述してきた。その記録はこのブログで継続している。2017年12月にマヴィレット治療を決めてから医療費助成の申請等で時間を要して服薬までに3か月を要した。2018年3月1日から服薬を開始して12週後の2018年5月23日に終了した。服薬開始の4週間後にはウイルスRNA-HCV
PCR検査で「ケンシュツセズ」との結果がでた。以後、1年7カ月の間ウイルスは排除されている。しかし、肝臓の固さ(線維化)の指標である血小板(PLT)の数値は肝硬変に近い12~15位を推移している。このことがどうしても気になっていた。本日の講演会の最後に、質問用紙に明記して質問した。加藤先生のお応えはつぎのようであった。「PLTの数値は直ぐには改善されない。血圧と同じで変化する。増えることもあるが減ることもある。そんなに一喜一憂する必要はない。肝臓は年月をかけて線維化してので元に戻るにも年月がかかる。」これを聞いて少しではあるが心強く感じた。たとえウイルスが排除されても肝癌のリスクは確実に減るがゼロにはならない。これからが肝臓友の会に入って、肝臓のケアに関する情報を得ていくべきと言われた。
 
本日の加藤先生の講演内容はウイルス肝炎脂肪肝から肝がんの治療まで広範にわたった。今回はウイルス肝炎よりも、原発性胆汁性胆管炎、自己免疫性肝炎の治療の方に重点があった印象だった。

合気道の昇段(五段)推薦が先延ばしになった!

 合気道の稽古を40歳に始めた。爾来、32年が経過した。5年前にSE師範から4段を頂いた。本来なら4段は実技審査を受けて取得するものだが、私は齢65歳を超えていたので師範推薦で四だ段位を頂いた。今回、所属道場のTS師範から5段位を推薦するが受けるかの打診を受けた。昇段を目標に稽古をやってきたわけではないが、戴けるものは節目として有難く頂戴することにした。ところがこの度、TS師範が合気道本部事務局に推薦申請を行ったところ稽古日数が規定に達していないとの理由で先送りになったとのことだ。これはこれで甘受しよう。さらに中身の濃い稽古を重ねることにした。それとこれまで指導者としての意識を持ってこなかった。後進を指導する意識を持つことで自らの技に磨きがかかるのだろうと思った次第だ。

スーパー歌舞伎は超喜劇なんだ!

 スーパー歌舞伎Ⅱ新版「オグリ」を観て来た。1991年に初演された梅原猛原作「オグリ」の第2弾だという。歌舞伎というとチョット古いと思っていたが、現代風なアレンジと演出だ。若者たちの集まりである小栗党の面々はみんな何かしら落ちこぼれ、社会からのはみだし者の設定だ。小栗四郎は元女性の性同一障害のようだ。六郎は野球帽を被った小柄な坊やの仕立てだ。主人公の藤原正清こと小栗判官は眉目秀麗かつ武芸に優れた名家の生まれのようだ。第2幕で地獄に落ちた判官は閻魔大王とその妻と対決する。この閻魔大王が殆ど喜劇役者である。一旦毒殺され地獄に落ちた判官は閻魔大王により身体が徐々に腐ってゆく病を持ったまま娑婆(現生)に追い戻される。そこで幾多の苦難を負いながら土車をいろんな人に曳いてもらい熊野を目指す。最終的には熊野に辿りつき癒しの湯に入りよみがえる。これらドタバタの大スペクタルは本来は悲劇である筈なのだが、必ず何処かに喜劇的側面というか遊びが含まれている。観客は最終的にハッピーエンドが分っているので安心して観て居られる。「スーパー新歌舞伎」って「超喜劇」なんだと初めて知った。公演は午前11時からのマチネで三幕もので4時間に及んだ。途中二回の休憩(30分・20分)の間に観客はお弁当を食べていた。観客の殆どが中年以降の女性(婆さま)で爺様(私のように)が少しいた。新歌舞伎は上等な娯楽なんだと感じた。甚大な被害をもたらした台風19号の惨事の直後だが新歌舞伎を満喫した。

 (2019.10.18)

スーパー歌舞伎Ⅱ新版『オグリ』を観に行く!

 明日は新橋演舞場スーパー歌舞伎Ⅱ新版『オグリ』を観に行く。チケットは連れ合いのY子さんがインターアネットで入手してくれた。今年の1月に行ったバリ旅行もY子さんの発案である。私は本を読んでブログを書いているだけだから所謂ネクラであるのだろう。観る前にあらすじと感想を書くのも野暮と言うものだが明日の観劇の前に知識の整理を兼ねてこのブログで紹介する。

 スーパー歌舞伎Ⅱ新版『オグリ』は1991年に故梅原猛と市二代目猿翁が作りあげた伝説のスーパー歌劇だ。梅原猛さんは今年の1月12日に逝去された。歌舞伎の原作をつくったとは知っていたがスーパー歌舞伎の産みの親とは知らなかった。新版「オグリ」のあらすじは次のようだ。武芸学問に通じた美貌の若者藤原正清後に小栗判官=オグリは、世俗の法に縛られることを嫌って心のままに生きた。小栗に惹かれ集まった若者たちと共に小栗党と称した。ある日、小栗党は横山修理の娘の照手姫を輿入れ行列から奪い去る。やがて照手姫とオグリは惹かれあい夫婦となることを誓うのだが、修理は二人の仲を許さず、オグリたちは殺されて、照手姫は川に流される。閻魔大王の前にやってきたオグリは御立ち回りを振るうが捕らえられて、顔も手足も重い病に侵されて娑婆に追い戻される。生き返ったオグリは遊行上人の導きで善意の人が曳く土車に乗り、熊野を目指すことになる。その道で、照手姫と再会するが姫はオグリに気がつかない。果たして二人は再び会うことができるのであろうか?・・・・。キャストとしては、主役のオグリが市川猿之助中村隼人ダブルキャストです。明日は市川猿之助の日です。二人は同時に遊行上人役を務めるので、明日は中村隼人が遊行上人となります。

 先は、見てのお楽しみとなります。明日,観てから感想を書きます。