TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

村上春樹の小説について語るときにぼくの語ること

 作家の村上春樹さんがイタリアの文学賞グリンザーネ賞を受賞して、イタリアの北部アルバの劇場で講演したという記事が朝日新聞(2019年10月21日、朝刊)に載っていた。授賞式で村上さんは、「洞窟の中の小さなかがり火」と題して講演した。自伝的なエッセーで書いていたが、村上春樹は早稲田を出てから企業に就職しないで中央線沿線の高円寺あたりでジャズ喫茶店をやっていた。大学時代は早稲田から近い椿山荘の近くの江戸川橋辺りに住んでいたらしい。
 チョット新聞からの引用になるが紹介する。

 <「リズムは文学においても不可欠」であり、店に立って昼夜聞いていた音楽が小説家になるための訓練になっていたと振り返った。>

 村上春樹の小説を読んでいて感心するのは、クラシックからジャズまで音楽への造詣がとても深いことである。それと村上の小説の主人公の若い男性は料理がとても上手である。殆どプロ級である。経営していたジャズ喫茶ではコーヒーとかだけでなくパスタなども自分で作って提供していたのだろう。村上は料理もプロなのである。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読むと、主人公の「私」は実に料理が上手なのである。食料をたくさんまとめ買いをして持ち返ってから冷凍保存、野菜室保存、等々の下準備の手際の良さには感心する。それと女性の扱いがとても上手である。上記で紹介した「ワンダーランド」の主人公(35歳)が、胃拡張の図書館のレファレンス係りの女の子(29歳)にご馳走をたらふく提供して、やがてセックスにも至る手順は自然でそつがない。初期のもう一つの作品『ノルエイの森』はタイトルから音楽だし、後半に出てくるセックス描写は見事であり感動ものである。

 <書きたいイメージや情景が浮かぶと、短い文章にして、いったん机の引き出しにしまう。こうした「衝動的に描きつけた使い道のない文章」は時間をかけて熟成され、長い物語へと発展していく。作家生活40年を経た今も、この創作方法は基本的にかわらないという。>

 この書き方についての件を読んで、「そうなのか」と納得した。村上春樹は「物語」を書いていたのだ。「小説」というより「物語」なのだ。例えば、『1Q84』を読んでいて、私はなにか荒唐無稽のお話なので納得がいかず、何を言いたいのだろうと釈然としなかった。『物語』なんだから荒唐無稽でよいのだしメルヘンでもよいわけだ。

 2012年頃にイタリアのシシリー島を10日間旅した。その折に街の本屋で村上春樹のイタリヤ語訳「1Q84」が店頭に平積みで売られていた。イタリアでも人気作家なのだろう。

 上記の記事を新聞でよんでから「文藝春秋」6月号(2019年)に、「猫を捨てる―父親について語るときにぼくの語ること」という自伝的なエッセイを寄稿していたのを読んだことを想いだした。書棚から文春を持ち出して本日のブログを書いた。ところで、大分まえに亡くなった立松和平さんも早稲田大学出身で村上春樹と同世代だ。二人の交流は多分なかったろうな?  

  (2019.10.21)