TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

PARCO劇場「桜文」を見てきたぞ

 渋谷のPARCO劇場で「桜文」を見てきた。現代の演劇を観るなんて久し振りだ。随分前に、調べると、2018年12月に、新国立劇場で、宇崎竜童、亜木燿子の「曽根崎心中」以来だろう。

 「桜文」は、秋之桜子作、寺十吾(じつなしさとる)の演出だ。パンフレットから、記憶と記録のために書いておくと、こういい話だ。

<古き良き日本を舞台に,幽玄でエロティックで、情感あふれる物語をユニークな感性で、機微に触れた情感たっぷりな演出で耽美な悲恋の物語が描きだされます。>

 ま、こういう話だが、演出が現代の映像技術を駆使して大胆であった。時代は明治後期ということだが、吉原の郭の様子なんぞは(見たことももちろん行ったこともないから)しらないのだが、明治と言うよりも江戸末期と思えた。

<吉原随一の花魁・桜雅役は乃木坂46のメンバーとして活躍している女優の久保史緒里、若き小説家・霧野一郎役に、ゆうたろうである。大店の旦那・西条宗次郎役に、榎木孝明である。>

 あらすじも書こうとしたが、やめた。コロナ禍であるので、客席はところどころに空席をもうけていたが、600近い席はほぼ満席であった。ちなみに、1万2000円くらいのチケットは朝日新聞の招待に応募して当選したので、ただで鑑賞できた。幸せなひと時であった。これもひとえに、連れ合いのYさんお手柄であった。万歳。

汚れちまった悲しみに・・・・「さよなら、ニッポン」を読み継いでいる

 汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる

 中原中也のこの詩の句を愛おしく多くのもと文学少年が思うだろう。
 汚れきってくたびれてきた75歳の爺にもそんな少年の日があった。

 今日は合気道の木曜日の稽古に参加してきた。心も身体も疲れていた。合気道で全身を働かせたが快復はあまりなかった。稽古に行くときに師範のSさんに苦瓜を3個土産に持って行った。稽古のあとで苦瓜を渡すと、なんとS師範も畑で採れた馬鈴薯を一袋持参してくれていた。期せずして物を介して心の交流ができた。

 帰宅して、『死という最後の未来』という本を少し読んだ。この本は、先頃亡くなった石原慎太郎さんと曽野綾子さんの対談本である。読まなくとも大体は内容が分かるような気がする。でも読んだら感想を書きたい。この本は序だけ読んで、読みかけの高橋源一郎さんの『さよなら、ニッポンーニッポンの小説2」にとりかかった。

 この本の<11 吹きくる風に文句をいう男>の章を読んだ。この文句をいう男は大江健三郎さんである。高橋さんに見倣って全文引用をしてみる。

 フランス文学を学ぶ学生だった大江さんの周りの人たちは、中原中也が好きだった。そして、中也の詩を(たとえば、酔っぱらった時なんかに)暗誦したのだった。だが、その中に、大江さんが我慢できなかった詩があったのである。
 引用しよう。中也が好きなひとなら、誰でも知っている、名高い作品だ。

「 帰郷

 柱も庭も乾いている
 今日は好い天気だ
    樽木の下では蜘蛛の巣が
    心細さうに揺れてゐる
    

 山では枯木も息を吐く
 あゝ今日は好い天気だ
    路傍の草影が
    あどけない愁みをする

 これが私の故里だ
 さやかに風も吹いている
    心置なく泣かれよと
    年増婦の低い声もする

 あゝ おまへはなにをして来たのだたと・・・・
 吹き来る風が私に云ふ」

 この詩で有名なのは、「あゝおまへは」で始まる最後のパートだ。

 大江さんは、「吹き来る風」なんかに「おまへはなにをして来たのだ」といわれる  筋合いはない、と怒った。そして(大江さんによれば)、それ以来、大江さんの周りの人たちは、大江さんのことを「吹き来る風に文句をいう男」と呼ぶようになったのである。
 これは、滑稽なエピソードと呼ぶべきなのだろうか。そうかもしれない。大江さんのことを「吹き来る風に文句をいう男」と呼んだひとたちも(敬意をこめつつも)、ちょっと滑稽だよなと思っただろう。
 実は、ぼくもまた、高校生の頃、多くの中也愛好者と同じように(大江さんの周りの人たちと同じように)、この詩の、最後の部分を好んで暗誦していたのである。

 

 以上が、高橋さんの「吹き来る風に文句をいう男」からの引用である。なぜ、こんなに長く引用したかというと、高橋さんは大江健三郎の小説が好きで、全部、何回も読んでいるらしい。私がたしか高校二年生くらいの時に、大江健三郎さんが東大の学生で芥川賞を受賞したのだった。初期の大江さんの小説を私も読んだ。大江さんは松山東高校の出身で、その一学年上に、後に映画監督になって自死した伊丹十三さんがいた。伊丹さんは、初めは,伊丹一三という名前だったが、ある時から、一が十になって、十三という名前になった。最初は俳優だった思う。有名な映画監督の伊丹万作の息子だった。その、伊丹十三さんがなんで松山東高校に通っていたんだろう。伊丹十三のの妹さんが大江健三郎の奥さんである。そんなくだらんことを知っている程度に、大江健三郎の小説を私も読んできた。
 大江健三郎は、伊丹十三の妹と結婚して最初に生まれた子どもが障害者だった。そのことを、初期の小説に書いた。『個人的な体験』だろうか。

 高橋さんの「吹き来る風に文句をいう男」に、こういう件がある。

<障害を持った子どもが生まれたことを知った、大江さんの恩師の渡辺一夫さんは、大江さんを自宅にお呼びになった。渡辺さんから、どうするのか訊ねられた大江さんは、その子と生きてゆきますと答えた。すると、渡辺さんは、書斎に入り、しばらくして、一冊の本を持って現れた。中原中也訳の『ランボオ詩集』だった。>

 実は、この詩集は、息子を亡くした中也が、渡辺さんのところに置いていった詩集だった。その2カ月後に中也はこの世をさった。
 大江さんの恩師の、渡辺一夫さんは、障害をもって生まれた子と生きてゆきますと答えた大江さんに、中也の悲しみを托したのであろう。その障害をもっと子どもさんが、大江 光さんであることを、私たちは知っている。

 ともあれ、上記の高橋さんの「吹き来る風に文句をいう男」の章は、高橋さんの珍しく大江健三郎への畏敬の言葉が連ねられている。高橋さんが書評の中で、「顰蹙」ということばを使って、大江さんから顰蹙をかった過去は水に流されたと言えそうだ。

 

 

 

ページ設定は便利と君がいったから今日はパソコン記念日

 9月4日(日曜日)は、新百合ヶ丘のやまゆり主催のPC楽(学)会で、パソコンのWordnのページ設定、書式設定を練習してきた。まさに目から鱗の感じを味わった。これらの技術を修得すれば、パソコンでの文章作成が格段に便利にかつ進歩する。インデントの使い方もならったので、目次の作成がきれいで速くできそうだ。
 まさに、本日はパソコン記念日なので記憶と記録のために書いておく。

酒毒を避けて生きられるか―酒をのむと身体が重い(今日の反省)

 8月20日(土曜日)の合気道の稽古のあとで、久しぶりに痛飲した。翌、21日(日)は、何故か身体と心の調子が悪かった。それから、夏バテの症状も出て来た。気力が湧いてこないのである。やはり、酒毒ってあるような気がする。適量を超えたアルコール摂取は、やはり毒を飲んでいるようなものだとしった。ここ数カ月、焼酎の2リットルパックを飲んでいた。一日に、200㏄くらいを飲むと、2リットルが10日でなくなる。それを繰り返すと、1カ月に6リットルを飲むことになる。これを習慣とするならば1年間に72リットルをのむことになる。こうなるとアルコールの風呂にはいるようなものだろう。考えるだけでそら恐ろしい感じがしてきた。
 ということで、8月30日ころから焼酎の家飲みをやめてみた。1週間を経過して、ようやく身体と心が落ち着いてきた。それで、このブログをかくことができた、町田 康さんの本を再度読んでみたい。
 残された人生を素面で生きるために。

稲盛和夫さんと五木寛之さんの対談本のこと、そして福島章さんのこと

 稲盛和夫さんと五木寛之さんの対談本を読んだことがある。タイトルはわすれたが、このブログで既に紹介した。

 稲盛和夫さんが、8月24日(2022年)に亡くなった。老衰で90歳で死去とのことだ。90歳くらいで「老衰」で死去との報道を散見する。「老衰」とは、癌とか腎臓病とか、はっきりした死亡の原因が特定されないで、いわば自然死として亡くなったということなのだろう。稲盛さんの書かれたもの(対談本が多いかな)を読んで、そのお人柄に惹かれて来た。実業家だから、利益をだすことが本筋なのだろうが、稲盛さんの場合は単なるお金儲け主義ではなかったようだ。この際に、履歴を調べてみた。
 1932(昭和7年)、鹿児島市で7人兄弟で次男として生まれた。1950年に鹿児島玉龍高等学校を卒業して、大阪大学医学部を受験して失敗。当時は新設の鹿児島県立大(現鹿児島大学)の工学部・応用化学化で有機化学を専攻した。1955年年に卒業して、有機化学の教授の紹介で、松風工業に入社した。1958年、退社する。1959年、業績の悪化した松風工業の社員8人を引き連れて京都セラミック(現・京セラ)を京都で創業する。
 その後の、京セラの発展は、稲盛さんの本に書いていある。読んだこともある。たしか、電気の絶縁端子の販売の業績が成功して、会社が大きくなったのではなかったろうか。稲盛さんは、のちに、第二電電KDDI)を作ったり、経営の神様として日本航空の立て直しににも尽力された。

 稲盛さんは、私よりもたった15歳年長でしかないのだと気が付いた。稲盛さんは、中村天風松下幸之助から影響を受けたといっているんだという。

 稲盛さんの逝去に接して、記憶と記録のために、ここに取り上げた。

稲盛和夫さんと五木寛之さんの対談本」をまた読んでみたい。稲盛さん、お目にかかったこともないし、雲の上の人ですが・・・。ご冥福をお祈りします。

 この8月には、精神医学の福島章さん(86歳)が、亡くなっていた。福島章さんは犯罪心理学の専門家だ。医師であるが上智大学文学部の教授をしていた。その関係で福島さんの死亡は、8月23日に、上智大学より告示された。福島さんには直接お目にかかったことはない。大久保清事件(1971年)、新宿西口バス放火事件(1980年)、等々で犯人の精神鑑定を行っている。福島さんの本は、なにか読んだことがあるかもしれない。犯罪心理学を題材にした小説も執筆している。

 

 

興味深い座談会『運動腫瘍学の可能性を探る』のこと―やはり毎日少しでも歩こう

 「大抵の病気は歩けば治ってしまう」というような趣旨を言っている人がいた。長尾和宏さん(関西方面の医師で、本をたくさん出している方)の本の広告でみたのだろうか。まさに、その通りであると思う。もちろん、足部や脚部に障害がある時に無理をして歩くのは百害あって一利なしだろう。ただ、昔から人類が狩猟生活で生きているときには、走って狩りをするのが日常であったろう。稲作文化の時代になって定住したとしても、耕作は重労働であり運動でもあったろう。古来の人類にとって、日の出と共に活動して、日に入りと共に休息して眠るのが自然であったはずだ。電気の発見により、日没のあとも働くの現代人の不健康の原因であることは自明だろう。

 さて、今回紹介する座談会『運動腫瘍学の可能性を探る』には、「”Exercise Oncology”生涯にわたっる運動の実践へ」という副題がついている。この座談会は、医学界新聞の最新号(第3484号、2022年9月5日)に掲載されていた。興味を惹かれたので、記憶と記録のためにまとておく。

<運動によるがんの予防、がん治療中の副作用の軽減、がん治療後のQOL向上などを目的とした学問で、米国ではがん患者が治療をうけた帰りにスポーツジムに寄り、汗を流すことも珍しくない光景だ。>
 上のようにイントロに書いてあった。出席者は、司会の高野利実さん(がん研有明病院・乳腺内科)、越智英輔さん(法政大学生命科学部・大学院スポーツ健康学)、がんのリハビリテーションの研究で著名な辻哲也さん(慶応義塾大学。・リハビリテーション医学)、がん患者の循環器診療を行っている志賀太郎さん(がん研有明病院・腫瘍循環器・循環器内科)の4名だ。
 司会の高野さんが、運動腫瘍学の概念を次のようにまとめている。
<ひとはがんを発症する前の「がん予防」の段階からCancer Journey( がんとの共生)が始まっており、「がん治療」「がんケア」「緩和ケア」「がんサバイバーシップケア」の全てに運動腫瘍がかかわっている。>

 日本では、上記のような運動腫瘍学の取り組みはこれからのようだ。だから、タイトルに「可能性を探る」と明記してあるのだろう。ところが、歩ければ、歩いていれば、あるいは歩けるように快復してくれば、もっと生き延びることができると言うのは自明であるだろう。
 

今日も朝日歌壇と朝日俳壇を読んだ―「自分とは何か分からず老いの秋」この俳句はいいねー

 毎週、朝日歌壇を読んでいると、常連の当選者の歌が目についてくる。やはり上手いんだろう。それと、戦争の歌が世相を切り取る形で入選している。

塹壕(ざんごう)に洗濯ものを干してある兵士の靴下ウクライナ軍(横浜市 徳元てつお)>⇒佐佐木幸綱選:
 こういう歌って何なのだろう。もちろん、ロシアのウクライナ侵攻は許しがたいことだ。この歌の風景を、作者はテレビの映像でみたのだろうか?

<人間ものせたらいいのかもしれないきけん有毒生物図かん(奈良市 山添聡介)>⇒高野公彦、永田和宏、馬場あき子共選:
 奈良市の山添聡介君は、たぶん、まだ小学生のはずだ。使ったりえている漢字も限られている。お母さんも、お姉さんの山添葵さんも、時々入選しているかただ。小学生に、こんな歌を詠ませる現実は何なんだろうと思う。聡介君、三人の選者から選ばれている。すごいな。

<半世紀岩波ホールを支えたる座席の一人でありよわれも(松戸市 遠山絢子)>⇒永田和宏選:
 遠山さんの歌は私の経験でもある。こんな素敵な歌が詠めるんだ。

<先輩に同行お得意先回り犬の名前もちゃんとメモする(富山市 松田梨子)>⇒永田和宏、馬場あき子共選:
 松田さんは、今年の春から、社会人となって働いている。なんの仕事に就いたんだろう。

 歌を作るのはほんとうに難しいね。でも、素直に自分のみたもの、感じたことを、57577におさめればいいんだろうが、、、。出来ないんだな。

インパールで死んだ息子の年金を私の学資の足しにした祖母(東京都 松本秀男)>⇒永田和宏、馬場あき子共選:
 作者の松本さんの、父はインパールで亡くなっている、ということなんだろう。

次に、俳壇を読んでみる。

<自分とは何か分からず老いの秋(横浜市 橋本直樹)>⇒高山れおな選:

ひぐらしのいっせいにかなしみの鈴(富士宮市 高橋政光)>⇒長谷川櫂

 上の句は、良くわかるね。ひぐらしの鳴くのは淋しい。次の句もいいね。

<どことなく礼儀正しき水羊羹(本庄市 篠原伸允)>⇒長谷川櫂選: