TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『老いたるかん袋』富永正元 詩集を読む!

  令和元年の十月一日だ。今日は、正元さんの詩集「老いたるかん袋」を読んだ。

 家内のこの叔父さんは既に二十年近くまえに亡くなった。元美術教師で退職後は市井の絵描きだった。伊豆修善寺の牧野郷に棲んでいた。そこで母親と暮らし見送った後は一人暮らしだった。家内と私たちは二度くらい訪ねて行ったことがある。市井の画家だが若い頃には川端龍子に師事したと聞いたが真偽のほどは知らない。私と家内が昭和48年に結婚したときお祝いに仏像の絵を絵がいてくれた。何かの折に上野の東京都美術館の展覧会の会場で伊豆からきた叔父さんと待ち合わせてその絵を頂いた。どこかのお寺の仁王像を描いたものだ。魔除けとしてい居間の欄間にかけてある。叔父さんの絵は仏像の他は自画像めいた南方の青年の絵が沢山あった。しかも目玉の中に猫の頭が描かれ見る人を睨んでいたりしているシュールの絵だった。叔父さんがなくなったとき生涯独身だったので甥や姪が総勢7人くらい押しかけていって遺産物を頂いたり整理した。物置から叔父さんの絵を10枚くらい車に積んで頂戴してきた。爾来、20年近いあいだ家の駐車場の壁面に収納して保存しておいた。5年前に旧居を整理したときに骨董屋に持ち込んだがタダで引き取って頂いた。絵心のない私にはその価値が判らなかった。今もどこかで壁面に飾られているだろうか。件の詩集「老いたるかん袋」(1984年11月1日発行)も叔父さんの書棚か物置から私が頂戴してきた。もしかしたら沢山あった中から私が2冊のみピック・アップしてきたのだと思う。この詩集のほか俳句の原稿も封筒にいれてあったのを頂いてきた。詩集は非売品となっていたので叔父さんが自費で刊行したものだろう。叔父さんは画家で詩人で俳人だったのだ。たしか伊豆を訪ねてお目にかかったとき牧野郷の駅から車で自宅に案内してくれた。その当時たぶん80歳くらいだった叔父さんの運転は自由自在で余り一時停止とかはしなっかった。仙人のように思えた。今回はじめて詩集を読了した。勝手に詩集をもってきたこと赦してくれるだろう。私も老いてきて「老いたるかん袋」なんだから・・。 一つだけ引用する。

 

  かん袋

田舎の埃っぽい間道の雑貨屋で

リンゴを買った

婆様が新聞紙のかん袋にいれてくれた

 

今時めずらしいこのかん袋から

私は郷愁に似た思いで

リンゴを一つずつとり出した

かん袋はからっぽになったが

しわくちゃのまま

からっぽを包んで膨らんでいる

 

私の内からも

このような赤い赤いリンゴのごときものが

一つずつとり出されてきていて

何時の間にかからっぽになっている

そして脂けのないくすんだ黄色い

皺だらけとなった肌が

からっぽになった私を虚しく包んでいるのだ

 

ああ、老いたるかん袋よ

 

(以上、引用)