本日の合気道の土曜日稽古は遠藤征四郎師範の指導であった。片手取りからの技の稽古をした。あたりと結び捻りからの技の稽古であった。久しぶりの師範の指導であったが師範の姿がなんだか小さく見えた。師範は1942(昭和16)年のお生れなので私よりも5歳年長である。稽古のあとで蕎麦屋で打ち上げの懇親会を行った。一緒に飲んでいる時に師範の腕首ををみると丸太のように太かった二の腕の筋肉が落ちているようにみえた。師範にも老いが訪れているのだと知った。同時にもっともっと師範の稽古の意味するところを感じるべく稽古に励むべきと思った。そこで佐久道場20周年記念で頂戴した御著『響きと結びー私の求める合気道―』のことを思い出して書棚から抜き出した。
<私たちはもっと自由になるために合気道をしているのです。今この瞬間、相手から響いてくる状況を味わい、周囲の状況すべてに対して自らの感覚を開き、働きを生み出しいけるようになっていかなければいけません。
今、今、今というこの瞬間の響きと結び合いを大切にして、稽古を続けていきたいものです。>
本日の稽古もうえの言葉そのものの指導をしていただいた。遠藤師範の合気道は、結び、当たり、響きと間の合気道である。鈴木師範の合気道は、当てて抜くの合気道である。間の大切さの大事なのはどちらも同じである。
帰宅してひと休みしてから「念に生きる」という坂村真民の詩集を読んだ。気に入った詩を引用しておく。
かなしみはいつも
かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話てはならない
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
<コメント>
わかりやすい言葉がこころに響く。