TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

2019年買ってよかったものは―離島への旅を買う!

 今週のお題は「2019年買ってよかったもの」である。中身は品物ではなくて「経験」というような抽象的なものでもよいという。かなり大きな自由度の高いお題なのでこのテーマで今日は書くことにした。

 先週の水曜日(12月11日)~今週の日曜日(12月15日)まで沖縄の久米島に4泊5日で旅してきた。「旅は道ずれ世は情け」ではないが、家内のYことその妹M子の3人旅だった。「義理のお兄さんと一緒でよく三人一部屋で行くわね」と妹は友人からあきれられたという。一人部屋を別にとると2万円ほど高くなるのが理由だ。オリオンというツアー会社の企画なので一人4万500円という安さである。しかもレンタカー(トヨタの小型車)付きである。行ってからレンターカーの保険を追加で付与したので8,500円の費用が追加となった。それにしても一日1万円でリーフビーチに近い久米島アイランドホテルに泊まれたので格安の部類に入るだろう。

 これまでの離島への旅は沢山してきた。これもそれも全てが家内のYさんの企画立案である。私の連れ合いのYさんは私のパーソナルコンダクター(旅仕掛人)である。今から47年くらい前に結婚した折の新婚旅行は沖縄の与論島であった。当時は鹿児島から船で沖縄本島に一昼夜かけて渡った。そこから更に別の船で与論島に数時間かけて行った。しかも大きな船は島に接岸できないので沖合で停泊した。そこから小舟に乗り換えて与論島に漸くたどり着くことができた。当時の島にはレンタカーなどというものはなくて歩いて民宿に辿りついた。帰りは隣の沖永良部島に船で2時間位かけて渡った。当時から沖永良部島には小さいながら空港があった。空港周辺の空き地にはフリージャの黄色い花が可憐かつ華やかに咲き乱れていた。沖永良部空港から鹿児島空港まで飛行機でとんだ。羽田への飛行機便は翌日となる。空港から近い全日空ホテルに飛び込みで行った。「空き室がない」という。仕方がないので空港にロビーに戻り色々ホテルや旅館を調べたが適当なやどはない。ダメもとで先ほどのホテルに電話で空き室を打診した。「ある」という。かくして一泊の宿を確保できた。先ほど直接ホテルの窓口では汚れたリュックサックを背負った(バックパッカー)の私たちの姿を怪しんだのだろう。当時は潜伏した過激派の若者たちも多かった。こういう理不尽なことが平気で起きたのだった。

 その後も折あるごとに離島を訪れた。与論島にはもう一回行った。石垣島西表島竹富島等の八重山群島にも二回行った。いちどは小学生から中学生までの子ども三人を連れて石垣島を訪れた。この折には石垣島水道公社の宿泊所に格安で泊まった。公の宿舎を空いているときに一般解放してくれたのだ。竹富島には結婚する前に家内のYさんが長期滞在して馴染みになっていた「いずみやさん」という「民宿」があり、そこに親子5人でお世話になった。その頃は部屋にエアコンも十分ではなく暑くて大変だった。島の道を散歩していて次女が発熱した。今なら熱中症寸前で困ったことがる。通りがかりの民宿のおばさんに頼んで3時間くらい昼寝をして、冷たい水をいただいて飲んで事なきを得た。そのあとも50歳台の終わり頃には屋久島に家内のYさんといった。一日目は縄文杉、2日目には宮之浦岳に登った。どちらも朝は五時頃に起きて出発し一日に8~10時間くらい歩いた。若くて無謀であった。離島にはそのくらいの魅力がある。時代はくだって60歳台には礼文島に行った。ここは稚内まで羽田から飛んで一泊した。翌日に稚内港から船でれ礼文島にわたった。この折には香港からの若者(日本語が話せた)と知り合いになり島歩きをいっしょに楽しんだ。

 さらに進んで2012年にはイタリアのシシリー島に8泊10日くらいの旅をした。シシリーはマフィアの出身地との話を聞いて緊張して行ったが長閑な島であった。パレルモという町はまるで廃墟のようだった。宿泊したホテルは半分が廃墟で、残りの半分だけをホテルに改造してあった。外見とは違い入ってみると近代的なホテルであった。ただ夜中に野良猫の「夜の恋の叫び」の声に悩まされて眠れなかった。シシリーを最後に離島への旅から遠ざかったしまった。理由は家作り、義母の介護と看取り、そして連れ合いYさんの病気発症と三ヶ月の入院とリハビリの日々であた。

 ここにきて漸く2017年1月に宮古島、2018年1月に八丈島、そして今回久米島をを訪れることができた。離島の楽しみは生きることの原初にもどることができることだろう。離島ではみんな素朴に生きている。シシリーでは犬が暇そうに教会の前に寝ころんでいた。今回の久米島の畳岩では三毛猫が歓迎して目のまえで寝転んだ。離島はわたしたちに安寧を与えてくれる。ただ最近は韓国や中国から沢山のひとが訪れて離島バブルの恐れがあるようだ。開発という名の破壊をさけたい。久米島奥武島ではウミガメ館を訪れた。そこで死んで流れ着いた海亀リサさんの話をビデオでみた。海亀さんのお腹からはプラッスチック塵が出てきた。人が海を汚している。プラッスチックゴミと地球温暖化は表裏一体だ。離島の自然を守るには離島に行かないことだなんてなったらさみしい。