TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『一人称単数』を読み終えた

 『一人称単数』は、8篇の短編小説を一冊にした村上春樹の新作である。最後の『一人称単数」だけが書きおろしで、他は何も雑誌「文学界」に2018年と2019年に掲載されたものである。本日は、後半の4点を読んだ。「ヤクルトスワローズ詩集」「謝肉祭」「品川猿の告白」「一人称単数」である。この4編の底流を流れるのは、生きていくことの孤独感のようなものである。短編だからだろうか、村上春樹という作家の孤独感がにじみ出ている。村上さんは、神戸あたりどちらかというと経財的に比較的に恵まれた家庭のひとり息子のようだ。父親との折り合いは長い事良くなかったらしい。「ヤクルトスワローズ詩集」はたわいのない話しである。幼い頃には家が甲子園の近くだったので、父親とタイガース戦を見に行ったことがる。東京に出てきてからは敢えて神宮球場の近くに住んヤクルトスワローズのファンになって観に行った。温いビールを飲んだりしていた。この小説は、2019年8月号の文学会に掲載された。ほんの2年前の作品である。この時には、たくさんかいてきたので村上春樹にとっては晩年である。こんな想いで話のようなものを何故書いたのだろうか。この本の帯広告にこうある。
 「一人称単数」とは世界の一欠片を切り取る「単眼」のことだ。しかしその切り口が増えていけばいくほど、「単眼」は切なく絡み合った「複眼」となる。」

 他の三作品は、どれもこれも荒唐無稽なお話しである。「品川猿の告白」は日本語を話す猿のお話である。「謝肉祭」には超ブスの女性が出てくる。この女性と主人公の僕が、シューマンの「謝肉祭」のコンサートやレコードを一緒に聴く。この女性は、超ハンサムの若いご主人と一緒に詐欺で逮捕される。「一人称単数」は都会の中の孤独のお話しである。村上春樹さんは、やはりノーベル賞をもらうというような作家ではないと思う。