TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 「典座」ってなんだ! ~「食べ方とは生き方である」って道元が言ったんだって・・・

 伊豆高原荘の最終日に日経新聞の記事で、「典座」という道元禅師の言葉を知った。日々が修行である。

 宿泊した中央区伊豆高原荘に日経新聞が置いてあったので読んだ。日経新聞は勤務の現役時代にはときどき読んだ。が、最近は日経を目にすることはあまりない。

<小説家の立松和平さんとラジオ番組に出演した思い出がある。「守るべきこと」「守りたいこと」をテーマに対談を行った。立松さんは、農業人口の長期減少と輸入農産物の増加によって、厳しい状況におかれた日本の農業を「守るべきこと」だと語り、「守りたいこと」は、足りたる生活を知り、日々感謝する生き方だとかった。>

 この記事は、松浦弥太郎さんという人が、「半歩遅れの読書術」というコラムに書いていたのだ。松浦さんの肩書は、エッセイストとなっていた。調べてみると、すぐれた編集者の経歴の人だ。

 <僕はインターネット時代における人と人のコミュニケーションの大切さを「守るべきこと」だと語った。・・・・「守りたいこと」に、料理、選択、掃除といった誰にも褒められることがない日々の家事に、学びと楽しみを見つけて、きちんと向き合いたいと語った。それを聞いた立松さんは,道元禅師の教えを引いて典座(てんざ)という言葉を教えてくれた。>

 立松和平さんは、早稲田を出て、出身地の宇都宮市役所に公務員として勤めながら小説を書いていた。宇都宮で農業をしている青年を描いた「遠雷」とかいう小説を読んだことがある。たぶん、三十歳にならないくらいに芥川賞をとってプロの書き手になった。(と思っていたら、『遠雷』が野間文芸新人賞をとったが、「村雨」「閉じる家」が芥川賞の候補にはなったが受賞はしていない。)旅も好んだ人で紀行文も書いていた。また、独特の栃木弁で語る語り口でラジオ番組にも出ていたのが好ましかった。私よりも少し若いこの作家は惜しむらくは六十ニ歳という若さで急逝された。

 <典座の教えとは、道元禅師が、調理や食事作法を修行の域にまで高めようとしたものである。台所仕事は下働きに思われがちだが、実はもっとも尊い営みであり、手仕事のあたたかさと真心、工夫する心持ち、ひとつの生き方として説いたものだ。>

 よいことがあるので、全文引用したいくらいだ。退職して家に毎日いるので三度の食事が仕事である。食事の用意にかんしていえば、同伴者のYさんに感謝以外の言葉がない。さいきんは、トイレ掃除、階段掃除が私の仕事である。食事についても、朝の野菜サラダの準備は私の担当である。キャベツを刻むにしても。大根を刻むにしても祈るような気持ち包丁を握る。

 <また、「法食一等」という仏語(ぶつご)があり、それは日々の食事は人にとって厳しい修行と同じくらい大事なこと。「食をないがしろにしたら、そこに正しい暮らしはありえません。食材は人の目と思ってやさしく洗う。そういった典座の精神を学ぶのです」と立松さんは僕に言った。>

 立松さんは、仏教にもぞ造詣が深い人だった。たしか、法然ではない一編かな(あとで調べる。調べたら、立松さんは、『道元』という本を書いていた。)をモデルとして小説も書いている。こんな私から見ると悟りに達したような立松さんは志半ばともいえる若さで亡くなってしまったのだろう。

<別れ際、立松さんは一冊の本を渡してくれた。道元禅師によって綴られた食と生き方の倫理書である『典座教訓・赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』(中村王へん章八ほか全訳注、講談社学術文庫)だ。
 その後、僕は「暮らしの手帖」の編集長に就き、この一冊をお守りのように手にして、暮らしのあり方と向き合った。道元いわく、食べ方とは生き方である。この言葉は僕の人生を変えてくれた。>

 「食べ方とは生き方である」。すごい言葉にであった。私などは、ただがつがつ食べるだけで、恥ずかしくなってしまう。

 『典座教訓・赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』(講談社学術文庫)を図書館で借りて読んでみたい。毎日の、食事の用意は祈るように丁寧に行う。食事はゆっくりと味わって噛みしめて食べる。作ってくれた同伴者にも、外食の際にはお店の方に感謝して食べることを心がけよう。これが人格の陶冶になるだろう。