TomyDaddyのブログ

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 『戦争と平和』(トルストイ、工藤精一郎訳)を読み継ぐー第一巻7~9まで読んだ

戦争と平和』(トルストイ、工藤精一郎訳)を読み継ぐー第一巻7~9まで読んできた。未だ、導入部なのでこれからどうなっていくのか全く分からない。先日来、同時に最終巻(第四巻)の最後に載っている訳者の工藤精一郎さんの解説を読んだ。これを読んだので『戦争と平和』というこの大作がどのようなものなのかが分かる。邪道ではあるが、この解説を先にメモしながらまとめておきたい。なにしろ、この小説には539人とかの人が出てくるというのである。トルストイは貴族の家に生まれたので無理して兵士にならないでも済んだはずなのに志願して出兵している。

 <1853年11月、トルコに対する宣戦が布告されると、彼は熱烈な愛国的感情に燃えてクリミア軍への配属を志願し、1854年11月にセワストーポリに到着した。彼は勇敢に任務を遂行し、特に翌年の四月から五月にかけて最も危険な第四稜ほうに進んで服務し、多くの将兵たちの死を目撃し、自分も死と直面した。こうした最中にあって、彼は過去を回想し、『青年時代』を書いていた。どこにその精神の余裕があったのか、まさに驚くほかはない。しかし激化する戦況は否応なく彼の観察を現実に向けさせ、彼は『青年時代』の執筆を中止し、澄んだ明てつな目で、しに直面した将兵の姿や、その心のなかに隠されているものを透視し、戦争というものの真実を、一切の感傷を捨て去って、直截に、客観的に記録した。三部作『セワストーポリ』である。これは、1855年年に『現代人』に発表され、トルストイの文名を高めた。>

 トルストイは、一兵卒としてクリミア戦争に参加しているのであった。若い頃の戦争体験が『戦争と平和』の執筆に影響を与えているのは当然であろう。日本の作家でも、大岡昇平の『レイテ戦記』がるが、これはどういう作品なのだろうか?読んでみたい。

 この工藤精一郎さんの解説の冒頭にこう書いてある。
 <トルストイは稀に見る自伝的な作家である。その作品のほとんどが自伝的性格を備え、芸術と生活が密接に結合している。そして、彼の複雑な魂の音楽の基調をなすものは、その稀に見る真摯さであある。・・・・ 彼の生涯をざっと見わたすとき、その長い生涯が初めから終わりまでいかに同じであったかということに、驚かされるのである。・・・・・・彼の闘いは書くことであった。彼は自分を、祖先を、家族を、ロシア人を、ロシアを、ロシアの魂を、生きる道を、社会の不正を、人類の苦悩を書き続けつづけた。そして、作家として、求道者として、人類の精神に、輝かしい膨大な遺産を残したのである。>

 こういう解説を先に読んでみると、『戦争と平和』への入口が見えてくる。この長い小説は、当然ながら彼自身、および彼の家族、一族の生きてきた姿が反映されているのである。こいう解説があった。

 続く

 

<コメント>
 今日一日は恥ずかしい日であった。酒なんか飲んでいる場合ではないことが分かった。如何にしても自己肯定ができない。私が生きてきた道はやはり恥ずかしい虫けらのようなものだった。恥ずべき人間だ。ほんとうは酒なんか飲んで自分を胡麻化している時間はもう無いのだろう。読んで書いていくしかない。