TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「私のC型肝炎物語」第1章:非A非B型肝炎ウイルス(NANB)からⅭ型肝炎ウイルス(HCV))へ―(3)エイズ訴訟と輸血血液にHCV検査導入:1989年

(3) 「私のC型肝炎物語」第1章:非A非B型肝炎ウイルス(NANB)からC型肝炎ウイルス(HCV))へ― 医原病としてのエイズと輸血血液にHCV検査薬導入

 

 非A非B型肝炎ウイルスの研究が進展するなかで、エイズの動向の方が社会的には大きな注目を集めていた。

 ■医原病としてのエイズ

  • 1989年10月27日:

 「エイズ禍、16億円償え―血友病患者遺族ら21人―国や製薬会社提訴―会見に原告の姿見えず・・・・―上の記事が、1989年(平成元年)10月27日付の朝日新聞に掲載された。いわゆる「エイズ訴訟」が、この時から始まった。その後の展開は歴史が示している。
 輸入血液製剤に関する厚生省資料が、菅直人さんが厚生大臣時代に、開示され、国(厚生省)はその医療過誤責任を認めた。その10年後の2010年、菅直人さんは当時の民主党内閣で総理大臣となった。
 男性同性愛者に特異的な病と当初は目されたエイズが、米国から輸入した血液製剤により感染が拡大した医原病の一つである事実が明らかになった。一方、同じくRNAウイルスである「非A非B型肝炎ウイルス」に関しても、輸入血液製剤による媒介を防止する対策が喫緊の課題となった。

 ■初の生体肝移植■

  • 1989年11月22日:

 「脳死論議抜きに波紋―島根医大の肝移植―倫理委通すのがスジ―手術内容公開は評価―感染症との闘い続く」という見出しの下で、わが国で初の生体肝移植の記事が、1989年(平成元年)11月22日、朝日新聞に掲載されていた。

現在(2018年10月)安倍晋三内閣の外務大臣河野太郎氏が、C型肝炎ウイルスからの肝硬変で苦しんでいた父親の河野洋平氏に自らの肝の一部分を提供して、信州大学病院において生体肝移植手術を行ったことが知られている。この移植手術の実施が、生体肝移植におけるレシピエントの年齢制限を60歳台に押上げたとも聞く。
 生体肝移植が侵襲の大きな大手術であることには今も変わりはない。

 ■全国血液センターで診断薬導入

  • 1989年11月26日:

 「輸血用のウイルス検査薬―日赤、実用化始める―非A非B型肝炎」の見出し付で、1989年(平成元年)11月26日、次のような記事が朝日新聞に掲載された。

日本赤十字社は二十五日までに、米国の生命科学会社カイロンが開発した非A非B型(C型)肝炎診断検査薬について、全国七十七の血液センターへの導入を完了、輸血用血液すべてについてのスクリーニングを始めた(後略)。」

 ■西岡氏に聞く―C型肝炎ウイルス対策■

  • 1990年1月24日:

 日本赤十字社C型肝炎対策の動向を探るために、西岡久壽彌氏に、私は取材を申し込んだ。広尾の日本赤十字社医療センターで西岡久壽弥さんに輸血用血液対策について聞いた。1990年1月24日(水曜日)、夕方17時~18時30分くらいまでだった。この折には、記憶では上司のMMさんと同僚のMN君も同行した。

 「急ピッチで進むC型肝炎対策(西岡久壽弥)」のタイトルで、インタビュー内容をs週刊医学界新聞・第1886号(1990年3月6日付)に掲載した。数年前までは、「非A非B型肝炎」と称されていた血液を媒介とした肝炎が、「C型肝炎」と名称変更され、全貌が明らかになった時期だ。

 (2018.10.1)

(「私のC型肝炎物語」 第1章: 非A非B型肝炎ウイルス(NANB)からC型肝炎ウイルス(HCV))へ―〔3〕 医原病としてのエイズと輸血血液にHCV検査導入)