TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

大腸内視鏡検査体験記です(参考までに)!

 大腸内視鏡検査を本日の午後に受ける。初めて受けたのは2005(平成17)年だ。契機は、毎年6月頃に実施の定期検診で便潜血反応を指摘され、大腸内視鏡検査を勧められたからだ。その時から2~3年毎に検査を受けている。今回は昨年の8月と連続だ。便潜血反応は痔疾あるいは大腸内にポリープがあり擦過により便に血液が付着することによる場合が多い。5月末定期検診、7月に便潜血結果、8月に予診で今回10月2日の検査を予約。大腸内視鏡検査は負担が大きい。上部消化管(食道と胃)のバリュウム検査も簡単でない。検査台の上で右回り左回りと回転したり両腕で把手を掴み逆さ状態になる。これは造影剤のバリウムの撹拌のためだろうが身体の虚弱な高齢者は耐えられない。ERCP(英語で開くとどうなる?)という十二指腸と膵管造影検査を40数年前に受けたこともある。若くなくては耐え難い検査であった。
 ともあれ今日は最新の大腸内視鏡検査を実体験を記録する。検査前(10月1日)の食事は以下のようだ。朝食:ポタージュスープ、ヨーグルト、リンゴ。昼食:素うどん・リンゴ半分・バナナ。夕食:蒸し鮭(骨と皮を除)・ご飯い1杯・味噌汁(具なし)・リンゴ半分。何れも腸内に残滓が残りにくい食材だ。前夜(21時)に大腸内視鏡前処置薬「ピコスルファートナトリウム内用液(0.75%、1本10mL)をコップ一杯の水に混ぜて服用(遅効性の下剤らしい)。検査日の朝(10月2日)7時にガスコン錠5錠を少量の水で服用。その直後から経口腸管洗浄剤モビプレップを2時間半かけて1.25Lと呑んだ。最初の0.5Lはコップ1杯あたり10~15分かけてゆっくり飲む。水は適宜飲む。更に約L服用ごとに水を0.5L飲む。1L服用後あたりから便意を催す。その後も排泄液が透明になるまで残りの0.25Lをゆっくりと呑む。今回の場合は3時間後の10時には排泄液が透明に近づいた。外出の準備をして10時40分頃に家を出た。小田急多摩線はるひ野駅を10時45分発に出発。新百合ヶ丘小田急)・町田(JR)・中山(横浜線)・センター南(横浜地下鉄)と乗り継いで昭和大学横浜北部病院へは12時5分前に着いた。直ぐに総合受付でカードを通し内科受付で保険証確認を済ませて内視鏡センターへ行く。血圧を計り(121・81・65)所定書類を提出して受診カードとロッカーの鍵を受領。約1時間の13時30分に検査室受付で看護師の説明と排便液確認。排便液は透明度を一度でクリアした。これはトイレで排便したあと流さずに看護師さんに見て貰うのだ。再び外部の待機用ソファーで待つこと1時間。検査室内に入り検査着に着替えて待つこと30分。若い医師が点滴をとりに来た(点滴針を左腕に刺すことを「とる」と表現するようだ。さらに待つこと約1時間。検査着1枚だけなので肌寒い。看護師さんに赦しをえてTシャツを上に来ていたのでよかった。下ばきは後ろに穴の開いた検査用の紙のデカパンツが用意されており付けている。16時30分頃になり教授が見えたので検査室1に移動しますと看護師さんが呼びに来た。あわててトイレに行きますと言うと、急いできて下さいと若い看護師さんは先に検査室へ行ってしまった。点滴液をぶら下げたポールを引きながらトイレに寄って検査室の廊下に行く。ところが検査室は「6番」くらいまであるが「1番」がない。「1番検査室はどこですか?」と叫ぶと一番奥の見えないところだった。急いでベッドに左側を下にして横になり右腕を上にする。右腕に血圧帯を巻いて左手の中指に酸素計を挟みこんだ。看護師の三谷さんが「お名前と生年月日をおしえてください」という。1月7日と応えると、「あら私と同じだ、初めてだわ!」と言う。次いで若い医師が検査の補助をする鈴木ですと言う。医療の現場では医師も看護婦も必ず自己紹介をされる。それから2~3分しないうちに工藤進英教授が来られて内視鏡を肛門から挿し込み始めた。そこから記憶がない。点滴液に即効性の麻酔薬が注入されたからだ。10数年前に初めて検査をした時には無麻酔で行ったので自分で検査の様子をモニターTVで見ることができた。内視鏡が腸内を進むたびにお腹を異物で掻きまわされるような違和感と痛みを感じた。今回は検査の間(20分位?)の記憶は一切ない。目覚めたのは18時頃で待機部屋のベッドの上だった。「一度立ち上がって足踏みをしてくだい」と看護師さんが言う。立ち上がるとよろめいた。さらに30分ほどして足もともしっかりした。看護師さんが「ポリープをとったようです」と言う。検査中に大腸内壁を際立たせるために青い液(なんとかブルー?)を吹きかけるらしい。そのため、検査後の排便や排尿が青くなることを経験している。18時30分過ぎに検査室を出ると既に病院の会計機器は閉じていた。唯一開いている地下1階の救急外来の精算機で支払いを済ませて帰路についた。帰路は往路の逆方向に交通機関を利用して19時50分頃に帰宅した。12時間に及び検査日録。ヤレヤレ!体力がないと病院通いは大変だ。