TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

池澤夏樹 個人編集「日本文学全集」が面白そうだぞ

 池澤夏樹 個人編集「日本文学全集」が面白そうだ。河出書房新社から、出ているのは知っていたが中身は全く知らなかった。高橋源一郎さんの「日本文学盛衰史」を読んでいて、樋口一葉の「たけくらべ」の新訳が村上春樹と中の良い若い女性作家の新訳で出ているのを知った。それで、稲城図書館で借りてきた。全三十巻なのだが、古典といわれるものは全て新訳として現代の日本語になっている。第7巻を本日、こんどは麻生図書館で借りてきた。枕草子酒井順子訳)、方丈記高橋源一郎訳)、徒然草内田樹訳)となっている。これはとても面白そうだ。これだけではなくて、口語万葉集折口信夫)なんというのもある。全巻読破に向けてめが持つうちには挑戦したいと74歳のわたしは思いを新たにした。

「iPS心筋を移植ー心不全治療治験へ」ー興味あるニュース

iPS細胞の臨床応用が現実味を帯びてきている。
 「iPS心筋を移植ー心不全治療治験へ」という記事が朝日新聞朝刊(2021年4月5日)に載っていた。記憶と記録のために纏めておく。
 iPS細胞から、心臓の筋肉の細胞をつくって、重症の心不全患者10人に移植する治験を、慶応大学発の医療ベンチャーであるハートシード(新宿区)が始めるという。
 移植は、iPS細胞から変化させた心筋細胞を、1千個ずつのかたまりにした「心筋球」を、冠動脈バイパス手術と同時に心臓に注射する。移植後に1年かけて安全性や有効性をみる。既に、昨年8月に厚労省の部会で了承され、移植の準備を進めている。
 (市野塊、後藤一也さんの署名記事より)

 iPS細胞の臨床応用については、このブログで、随時触れている。眼科、神経等での臨床応用についても関連記事として供覧できると思う。

「がんサバイバーたちが短歌集」の記事を読んで短歌の力を感じた

「がんサバイバーたちが短歌集」という見出しの記事が目に飛び込んできた。朝日新聞(2021年4月5日)朝刊だ。記憶と記録のために概要を紹介しておく。
 尾崎祐子さん(38歳)は、子宮頸がんの手術から生還した。一変した生活の支えになったんが、インスタグラムに開設した「闘病アカウント」だった。同世代の仲間とつながり、互いに経験を語り、励まし合った。その記録もアカウントを閉鎖したら消えてしまう。そんな折、「食器と食パンとペン」という短歌の本と出会った。こんな変なタイトルの本があるんだ。わたしも読んでみたい。尾崎さんが一番気に入ったのが、歌人の岡野大嗣さんの作品だ。

 「ハムレタスサンドは床に落ちパンとレタスとハムとパンに分かれた」

<「これだ」短歌って、こんなに自由でいいんだ。語り過ぎず、余白がある分、読んだ人が、自分の経験に重ねて解釈することもできる。>
 尾崎さんは、こう思ったんだと言う。このように、思うことが尾崎さんの非凡な点だ。

 <インスタグラムでつながったがんサバイバー仲間に「短歌で本をつくろう」と呼びかけると、10代~50代までの25人んが集まった。ダメ元で、岡野さんに講師を依頼すると、「素敵な企画ですね」と快諾してくれたんだと言う。
 <プロジェクト名は「あの日の風を記憶するわたしの31字」にした。>
 こうして、岡野さんから3回のオンライン指導をうけて、素人の仲間たちが歌を作った。26人の約300首の歌が集まったんだと言う。
<短歌は、放っておくと忘れそうなことを言葉に残し、後から心の動きをよみがえらすことができる「将来の自分に宛てた手紙だ」と、岡野さんは話す。>

 上記の記事は、「朝日新聞アピタㇽ編集長・岡崎明子さんの記事だ。
 上記の歌集と講師の尾崎さんの「食器と食パンとペン」という本も見てみたい。やはり、短歌はひとの生きる力になるようだ。多分、上手に作ろうとしない方が良いのではないだろうか。

「こころ」(漱石)を読んだ

「こころ」は漱石の有名な小説だ。いちどは読んだことがあると思っていた。高橋源一郎さんの「日本文学盛衰史」に刺激されて読んでみた。なんて、重苦しい小説なんだろう。これが、朝日新聞の連載小説だなんて信じられない。こんな憂鬱な物語を、みんな必死によんだのだろうか。「先生と遺書」のなかの話を読むと逝き苦しくなってしまう。読んでみて、「こころ」は明治の文学ではなくて、いまにも通ずるのである。

一日遅れて「朝日歌壇」を読む

 昨日は、被災し鰤に房総の勝浦に孫たちと遊んだ。新型コロナウイルス感染拡大が収束しないなかでの久しぶりの一泊の旅だった。近隣のスーパーで刺身や地酒を手に入れて腰古井という地酒を義息子と楽しんだ。孫たちと温泉も楽しんだ。先日の、箱根仙石原に続いて孫たちとの何気ないひと時が至福のときであった。

 「お爺ちゃんと箱根に来れた楽しいな一緒に食べた海苔弁は美味しい!」
 孫に代わって、うえのような歌もどきを創った。さて、今日も「朝日歌壇」の歌読んだ。「朝日歌壇」は社会詠が多いように思う。毎週読んでいると世相がわかる。

<守るべき縄張りのまだ無き雲雀空を自在に広々と飛ぶ(東かがわ市 桑島正樹)⇒ 馬場あき子選:<コメント> 馬場さんの選評はこうだ。「縄張りとは第一首では雲雀の生活圏。人間の世界では個人から国家までその限定があり、自在な雲雀の空への憧れがある。」雲雀って、「縄張り」を持っているんだろうか?

<コンビニもファミレスも無いこの島の自給自足の「不便」を楽しむ(長崎県 中山憲雄)⇒佐佐木幸綱選: <コメント> 宮古島久米島も行ったが、ファミレスもコンビニもあった。この長崎県の島の名前は?

<孫の字の「生きぬく力」書初めが二年も我に寄り添いてある(大和高田市 森村貴和子)⇒ 高野公彦選:<コメント> この風景はよくわかる。かつて、私たちの子どもが小学生のときに書いた書初めの墨書が居間にながいこと掲げてあった。

<水平に銃を構えて民を撃つミャンマー兵を「国軍」と呼ぶ(観音寺市 篠原俊則)⇒
 永田和宏選: <コメント> ミャンマー軍による民衆の弾圧を詠うひとが多い。社会詠の典型だと思う。
<公証人は我が遺言を読み上げて「よろしいですね」と2度念を押す(埼玉県 島村久夫)⇒ 永田和宏選: <コメント> 社会詠ではなくて、こいう個人詠もやっぱりありなんだ。

<コーラスの一員我は若きらの間にありて姿勢を正す(岡山県 若林とし子)⇒ 馬場あき子、佐佐木幸綱さん共選: <コメント>作者の若林さんは九十歳だという。歌が心をつよくしているのだろう。

<福島で生きる覚悟の音生(あ)るる子が開きたるギター教室(大和市 澤田睦子)⇒
 馬場あき子、佐佐木幸綱さんの共選: <コメント> 福島を詠う歌が多い。

<「じいちゃんとジグソーパズルしたもんね」五歳の中に夫は生きおり(一宮市 園部洋子)⇒ 高野公彦、永田和宏共選だ。<コメント> こいうほのぼのとした歌が好きだ。

以上から、今週の私の秀歌は以下に決めた。

孫の字の「生きぬく力」書初めが二年も我に寄り添いてある大和高田市 森村貴和子)

「墓仕舞い」ってなんだろう?

 人は死んだら何処へいくのだろう。死んだら骨が残る。死後の世界があるのだろうか?あの世があるのだろうか。無信心の私はあの世があるとは思えない。もしあの世があるとすれば先に逝った両親や友人たちに会えるのだろうか。共に働いた上司の複数人も同僚たちも一人二人と幽冥境をことにするようになった。
 ところで、私の生まれ育った家はなぜか「丸山教」という日本神道に属していた。父や母や甥が亡くなったときにも神道の神主さんが祝詞をあげて神事を行った。神道では人は死ぬと神になるというので、葬式はドライな感じであった。線香の代わりに松葉を燃やして祝詞をあげて祭りごとを行いお別れをしたのだった。
 さて、最近はお葬式の形も変化してきた。なるたけ簡略かしてかつ質素に行うのが流行りとなっているようだ。「葬式無用戒名不要」と言い残して逝った有名な人もいたと聞いたことがある。たしか、この近くの鶴川に晩年を過ごした白洲次郎だったろう。かくいう私は縁あってニ人姉妹の長女を妻として婿養子となったのでT家を継ぐことになった。授かった子どもたちは全員が女の子で既に結婚して姓が変わってしまった。昨今、夫婦別姓とか同性婚とかが喧伝される世の中になった。48年前の私のケースは何だったのだろう。旧姓から新姓に改めることに抵抗もこだわりもなかった。私が二男であったことと、その頃に長男である兄と父親の関係がよくなかった。二男のわたしは大学入学と同時に家をでていたが、名実共に家を離れた方がよいのではないかと愚考したこともあった。思えば、思わなくとも、わたしは淋しい人である。折角、新姓なったのに家名を守ることができなかった。それもあまり拘らなくてもよいのではないかと思う。結婚したお陰で、三人の男の孫と三人の女の子の孫に恵まれた。幸いにも元気に大きくなっている。私の遺伝子がすこしであるが生き続けている。彼や彼女たちは生まれてきたことを恨んではいないようだ。食べて歩いて走って歌っている。彼れらが世の中のために何事かなすかどうかもわからない。馬齢を(馬さん御免なさい)重ねながらも人生で無様な馬脚を現す(なんで馬脚なんだろう)こともあ余り無かったとすれば、わたしの一生は良かったとするか。「ただ生きることが貴いか?」平穏でなくとも、無事此れ名馬と言えるだろう。昭和22年以降に日本には大きな戦争が無かった。大きな地震津波もあったが、今日まで生き延びてきたことに感謝のみがある。
 さて、義理の両親から残された墓地が多磨霊園にあった。この墓地は義母の伯父のものであるが、承継者のいない伯父から姪っ子の義母が引き継いだ。それを養子の私が承継した。上述のようにこの墓地を守ることができずに、昨秋に東京都に返還した。つまり、墓仕舞いを行った。その代わりに、同じ東京都の小平霊園「合葬式墓地」に「骨壺」の移転を行った。ついでに、多磨霊園の使用者であった私と家内は優先的にこの合同墓地の予約ができた。この墓地は永代供養をしてくれる。あの世への入り口の予約もできてしまったのだ。有難いことである。記憶と記録のために、「小平霊園」の概要を記述しておきたい。
  ■小平霊園とは
 東京都東村山市萩山町1-16-1
 西部新宿線小平駅北口下車 徒歩5分に位置する。新宿から西へ23キロメートル、西武新宿線新青梅街道に挟まれた住宅地に建設された公園墓地である。