TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「墓仕舞い」ってなんだろう?

 人は死んだら何処へいくのだろう。死んだら骨が残る。死後の世界があるのだろうか?あの世があるのだろうか。無信心の私はあの世があるとは思えない。もしあの世があるとすれば先に逝った両親や友人たちに会えるのだろうか。共に働いた上司の複数人も同僚たちも一人二人と幽冥境をことにするようになった。
 ところで、私の生まれ育った家はなぜか「丸山教」という日本神道に属していた。父や母や甥が亡くなったときにも神道の神主さんが祝詞をあげて神事を行った。神道では人は死ぬと神になるというので、葬式はドライな感じであった。線香の代わりに松葉を燃やして祝詞をあげて祭りごとを行いお別れをしたのだった。
 さて、最近はお葬式の形も変化してきた。なるたけ簡略かしてかつ質素に行うのが流行りとなっているようだ。「葬式無用戒名不要」と言い残して逝った有名な人もいたと聞いたことがある。たしか、この近くの鶴川に晩年を過ごした白洲次郎だったろう。かくいう私は縁あってニ人姉妹の長女を妻として婿養子となったのでT家を継ぐことになった。授かった子どもたちは全員が女の子で既に結婚して姓が変わってしまった。昨今、夫婦別姓とか同性婚とかが喧伝される世の中になった。48年前の私のケースは何だったのだろう。旧姓から新姓に改めることに抵抗もこだわりもなかった。私が二男であったことと、その頃に長男である兄と父親の関係がよくなかった。二男のわたしは大学入学と同時に家をでていたが、名実共に家を離れた方がよいのではないかと愚考したこともあった。思えば、思わなくとも、わたしは淋しい人である。折角、新姓なったのに家名を守ることができなかった。それもあまり拘らなくてもよいのではないかと思う。結婚したお陰で、三人の男の孫と三人の女の子の孫に恵まれた。幸いにも元気に大きくなっている。私の遺伝子がすこしであるが生き続けている。彼や彼女たちは生まれてきたことを恨んではいないようだ。食べて歩いて走って歌っている。彼れらが世の中のために何事かなすかどうかもわからない。馬齢を(馬さん御免なさい)重ねながらも人生で無様な馬脚を現す(なんで馬脚なんだろう)こともあ余り無かったとすれば、わたしの一生は良かったとするか。「ただ生きることが貴いか?」平穏でなくとも、無事此れ名馬と言えるだろう。昭和22年以降に日本には大きな戦争が無かった。大きな地震津波もあったが、今日まで生き延びてきたことに感謝のみがある。
 さて、義理の両親から残された墓地が多磨霊園にあった。この墓地は義母の伯父のものであるが、承継者のいない伯父から姪っ子の義母が引き継いだ。それを養子の私が承継した。上述のようにこの墓地を守ることができずに、昨秋に東京都に返還した。つまり、墓仕舞いを行った。その代わりに、同じ東京都の小平霊園「合葬式墓地」に「骨壺」の移転を行った。ついでに、多磨霊園の使用者であった私と家内は優先的にこの合同墓地の予約ができた。この墓地は永代供養をしてくれる。あの世への入り口の予約もできてしまったのだ。有難いことである。記憶と記録のために、「小平霊園」の概要を記述しておきたい。
  ■小平霊園とは
 東京都東村山市萩山町1-16-1
 西部新宿線小平駅北口下車 徒歩5分に位置する。新宿から西へ23キロメートル、西武新宿線新青梅街道に挟まれた住宅地に建設された公園墓地である。