TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

音のでない稽古ができただろうか?

 六日間をおいて合気道の稽古をした。やはり、3日に一度は稽古をしたい。少しでも身体を動かさないと身体が駄目になる。人間も動物、動く物なのだと実感がする。
 ところで、本日のテーマの「音のでない稽古」とはなんだろうか? 合気道は自己と他者の結び響きによって成立する武道の一つである。一撃必殺のではない。稽古は相対稽古であるがぶつかりあいは基本的ない。相対稽古は、打ち技、掴み技の二つがある。まず、相手が打ってきたとき、受けて(取りと言う)は相手の攻撃(エネルギー)を受けとめるのではなくて吸収する、あるいは流がすことにより、自分のものにする。その直後か同時に吸収したものを相手の行きたい方向に行かせてあげるのである。「吸収する」も「流がす」も静かな動きであるので音はほとんどでない。音がするようではだめなのである。自らの身体の動きについても同様であり、すり足であるが刷るおとはしないで静かにしなやかに移動しなくてはならない。つまり、重心を自然のままに下に落とし、しかも上下動をほとんどしないで移動する。能や歌舞伎の役者の動きも同様であると思う。歌舞伎俳優が見えを切る時に大股で大きく音を立て踏み込むとしたらそれは一過性のものであろう。「音のでない稽古」は、あらゆる力を内にとどめて内筋を利用するので消費するエネルギー大きい。
 本日は、「音の出ない稽古」(合気道)について考えてみた。

『人は何で生きるか(トルストイ 米川正夫訳)』を読んだ

ウクライナ人道支援「チャリティーコンサート」が、昨日(2022年5月5日)、川崎市麻生市民館大ホールで開かれた。折よく、孫のJ&L(S家)が久しぶりに来るので、インターネットと往復はがきで応募した。定員800名であった。インターネットで応募した私は当選したが、往復はがきで応募した家内のY子は落選した。相談の結果、Y子と孫息子のJ君の二人が参加した。プログラムは以下のようであった。
ウクライナ人道支援チャリティーコンサート■
〈第一部〉
 美内すずえ作曲『紅天女より」 目覚めよ目覚めよ紅千年の
 ほか

〈第2部〉
 ウクライナへの祈り(ステパニック・オクサーナ) パンドゥラ演奏と共

 ほか

(更新予定)

 折角、当選したコンサート券を家内に譲ったので、私は隣の麻生図書館で本を読みながら休んでいた。ふと、左の書棚をみるとロシア文学コーナーであった。私は先日からトルストイの『復活』を読み始めている。かつ小島信夫さんの『私の作家遍歴Ⅲ』を読んだ影響でトルストイに興味が向いている。なんと、『民話集(トルストイ)人は何で生きるか』(米川正夫訳)角川文庫が偶然に目に入り、借りて来て読んでしまった。
 「人は何で生きるか」は、トルストイが書いたエッセーかと思っていたら、最初に書いた「民話」なんだという。ロシア語の原語では何というのだろうか、と調べてみた。

 「チェム リューディ ジヴィ」というロシア語なので、「何故人々は生きるか?」という文字通りの原題である。
 話の概要は以下のようだ。
<一人の貧しい靴屋が礼拝堂の壁にもたれた素っ裸の男を拾った。その男、ミハイルを、靴屋は家に連れてきた。ミハイルは靴屋の家で弟子になり、寡黙に仕事をこなして5年たっても笑い顔を2度見せただけだった。・・・・・・あらすじはもういいだろう。ミハイルは、天使であったのだ。神に与えられた「人間の中にあるものは何か、人間に与えられていないものは何か、人間は何で生きるか」という三つの命題の回答を得られた旨、天使である自分が神の罰を受けた経緯を話してミハイルは天に昇る。>

 わかったようで、分からないロシアの民話にもとづくお話だ。これが、トルストイのかいたものなのだ。
 原語で読んでみたい。もしかしたら、原書(ロシア語)持っているかもしれない。

<鳥取の「野の花診療所」院長 徳永進さん>という記事を読んだ

 「死を目前にしたとき何思う」という大きなタイトルの記事が、朝日新聞朝刊(2022年5月5日)の生活欄に載っていた。<鳥取の「野の花診療所」院長 徳永進さん>を取材して、木元健ニさんという記者が構成した記事だ。「患者の手を握る徳永 院長」というキャプションのついた、徳永さんの写真も載っていた。みると、徳永さんは、禿げあがった爺さんではないか。徳永さん、74歳なんだ。なんだ、私より一歳若いだけだった。シリーズ・ブログ<私の「医人」たちの肖像での一つで、菊地博さんと「大和臨床懇話会」を取り上げた時に、同会で講演された徳永進さんを紹介した。大和臨床懇話会が開かれたのは、1993年1月10日(日)の午後だった。徳永さんは、この時には鳥取赤十字病院・内科部長だった。今から三十年もことだった。この時のテーマは、「人間の生と死を考える」というものだった。

 <山陰・鳥取の「野の花診療所」。末期がんといった治癒の見込みがなくなった患者が暮し。2,3日に一度、他界する。院長は、鳥取赤十字病院の内科医だった徳永進(74)。今も男性の夏の訪問が忘れられない。>

 ここで、紹介する木元さんの記事の冒頭を引用した。なんと、男性が訪れてきたのは、末期がんで夫から逃れて入院している女性で、「離婚することが希望」ということだった。「あいつの心が安らぐなら、離婚届けを出してやりましょう」と言って、その男性は、「離婚届けに署名した。」んだという。

野の花診療所には、いくつもの工夫が凝らされている。バーカウンターがあり、お酒もたしなめる。寝そべっては入れる風呂もあり、冬場はゆず湯も。めい想室もある。ポストもある。患者が旅たちを前に、残された人に向けてしたためる「未来便」を納めるのだ。・・・・>

 「野の花診療所」は、既に20年の歴史があるんだという。私が、徳永さんの講演を聞いた1993年の10年後くらいに、「野の花診療所」を開いて、徳永さんはズーっと人の死に付き合ってきた。そのような医師の道を選んで進んできたのだ。
 <寄り添う。徳永は、終末期医療でよく聞かれる、この言葉が好きになれないという。>
 <「死ぬのってつらいだろうな、そのときにそばにいる仕事がしたい、という、根っからの気持ちですね」>

 徳永さんは、京都大学の医学部生時代に、同志社大学の友人に紛れ込んで鶴見俊輔さんの講義に触れた。
 <「家族は親しい他人」
 あるとき鶴見さんが、こういったんだと言う。家族も他人で、親しいけれど、全然違う人格がある、と。>

 鶴見さんの言葉から、どうして徳永さんが、死にゆく人の傍にいる仕事に進んだのか、もう一つ分からないが、大きなキッカケとなったのだろう。
 <『終わっていく力』が人には備わっている。生き方と同じように、それぞれに死に方がある」

 徳永さんは、「”右往左往量”、日本一のジイサン臨床医を目指してきました」だという。

 徳永さん、すごい臨床医として生きて来たんだと再認識した。

ヒトゲノム残り8%も完全解読の記事を読んでの感想

 「ヒトゲノム残り8%も完全解読」
えー、こんな大きなニュースが何で文化面の下に載っているんだよ。この記事が載っていたのは、朝日新聞朝刊(2022年5月3日)だ。野口憲太さんという記者の署名記事だ。ゲノム「完全解読」が表紙を飾った米国の科学雑誌サイエンスを解説した記事のようだ。医科学の専門家がコメントしてもいいような問題ではないのか。記事には「完了宣言」から20年、米研究所などが報告、との副題もついている。結局は、ヒトゲノムの解読ができても、「人間とはなにか」が解明されたわけではないのだ。「約30億塩基対の人間のゲノム」が解明されたとは言って、人間の病気とかが解明されたわけではないのだ。考えてみれば全てが遺伝子ゲノムでわかってしまうのならば、それはれでつまらんかもしれない。ともあれこの記事は等閑視できない。概要を引用してまとめておきたい。

<人間のゲノムを解読する「ヒトゲノムプロジェクト」は1990年に立ち上がり、2003年に「解読完了」が宣言された。>
 ここまではブログでもフォローして記述してきた。
 <プロジェクトでは、長大なDNAを短い配列に切り刻んで配列を読んだ。しかし、ゲノムには、同じ配列が何十、何百と繰り返されている部分があり、当時の手法ではこの部分が読めない「空白」になった。>
 ところが今回、次のような進展があったのだという。
 <今回、米国立ヒトゲノム研究所などのチームは、一度に最大100万塩基読めて多少精度の落ちる機器と、2万塩基程読めて制度が非常に高い機器を組み合わせてて使った。最後は手作業で修正して、8%を含む全DNA配列を読むことに成功した。>
遺伝子候補2千個 病気や進化を探る
 <「完全解読」で、新たに何が分かったのか。チームの分析では、遺伝子の候補が新たに約2千個みつかり、その99個はたんぱく質をつくるものと予測された。今まで知られていなかった生命活動を担っている可能性がある。>

 ⇒<コメント>上記の記事を読んでも、隔靴掻痒の感じがする。ヒトの全遺伝子画」解読されたと言っても、たして「人間とはなにか」は分かっていないのだと知った。「そう簡単にわかってたまるかの」の気もする。野口さんの記事ではもの足りない。もう少し、詳しい解説論文んがを読みたい。福岡伸一さんの出番ですよ。

 

「ロシアよ、兄弟を殺すとは」の記事を読んで

 ロシアのウクライナ侵攻は、東京の人が秋田に侵攻したよなものなんだと思う。ロシア語とウクライナ語の違いはどのくらいなのかもしらないが、東京の言葉と秋田弁は随分違うから、そんなもんではないのか。
 実はロシアのウクライナ侵攻が始まってから、かつてロシア文学科で学んだ私は少し複雑な思いを持っていている。ここ数カ月、小島信夫さんの本を読みながら、ゴンチャロフツルゲーネフドストエフスキートルストイのことなど、ロシア文学のことを思い、ついに昨日から、『復活』を読みだした。少し前に、中村健之介さんが1990年だいの最後に書いた「(ソ連に対する)69年間に及ぶ国民劣化」というエッセイを読んだりした。今回のロシアによるウクライナ侵攻を、ロシア文学の専門家はどのようにとらえているのだろうかと思っていた。そのりに本日(2022年5月3日)の朝日新聞朝刊に、亀山郁夫さん(ロシア文学者)が「ロシアよ、兄弟を殺すとはー非暴力の願い死への想像力を研ぎすまして」という寄稿文を書いていた。
 以下に引用しながら読んでみたい。冒頭にこうある。

 <2021年11月11日、モスクワ市内にあるドストエフスキー博物館で開かれた生誕200年式典に出席したロシア大統領プーチンは、メッセージノートにこう書ききした。
 「ドストエフキーは、ロシアの天才的な思想家にして愛国者
 ロシア軍のウクライナ侵攻に先立つおよそ三カ月半前のことである。>

 <最晩年のドストエフスキーはたしかに、プーチンの考えに通じるスラブ民族の一体化という愛国的世界観を表明していた。・・・・・1877年の露土戦勃発の際も、オスマン帝のもとで独立を勝ちとろうとするスラブ系諸民族との連帯を訴え、国内に続々と生まれる義勇兵たちへの称賛を口にした。そして、それを正当化するかのように、最後の小説『カラマーゾフの兄弟』では、ブルガリア人に対するオスマン軍民の蛮行を、言葉の限り暴き立てて見せたのだった。>

露土戦争。そして『カラマーゾフの兄弟』の刊行から約百五十年。同じ黒海に臨むウクライナで起こった「戦争」は、抑圧的な異民族との戦いではなく、同じスラブ民族同士の血で血を洗う兄弟殺しと化した。発端は、独裁者の脳裏にこびりついた恐怖と復讐心、そして過てる宗教的使命感である。>

 日本の明治維新は1868年だから、1877年の露土戦争明治維新の9年後、明治9年のこだった。

<1877年の露土戦争当時、ドストエフスキーの「好戦性」とは対照的に、頑として非戦論を唱え続けた作家がいる。『戦争と平和』の作者レフ・トルストイ。若い時代、クリミヤ戦争での従軍体験をもつ彼は、福音書の教えにならって説いた。
「暴力によって悪に抗せず」
 ウクライナ侵攻当初、私が一縷の望みを託したのがこの言葉だった。>
 亀山さんは、次のように結んでいる。ロシア文学を読んできた同時代人の言葉として書きとめておきたい。
<・・・・独裁者(プーチン)から使い捨てにされ、良識ある市民からも見放された兵士たちは、何のために、だれに向かって銃を放てばいいというのか。国民の「熱狂」が支えだというのか。
 私たちは今、そんな彼らを地獄から救いだすすべを何ひとつ手にしていない。できることは、ただ、死への想像力を研ぎ澄まし、勇気と誠意をもって「真実」と怒りの言葉を発しつづけることだけである。>

 ⇒<コメント> 今回の、亀山さんの寄稿はロシア文学者しての叫びであり正鵠をついていると思う。先日、 
<火柱のロシアの戦車に溜飲が下がるそこにも人がいるのに(観音寺市 篠原俊則)>
 という短歌を朝日歌壇で読んだ。もしかしたら、ロシア軍の兵士の多くが、もの言えぬ民であるのだと思う。

『復活』(トルストイ)を読み始めてしまった—ウクライナ戦争からロシア文学へ

 何十万という人間が一つの小さな場所へ集まり、そこで互いにせり合って、その土地どんなに石を敷きつめたところで、また萌え出てくる草を一本のこらずたんねんに取りつくしたところで、また石炭や石油でどんなにいぶしたところで、またどんなに木を刈りこんだり、鳥や獣を追っぱらったりしたところで、――春はやっぱり春であった、都会の中にあってさえも。太陽が暖めると、草はよみがえって、根こそぎにされなかったところならどこでも、並木街の芝生の上ばかりでなく、しき石のあいだからさえ萌えだして、いたるところに青い色を見せてくるし、白樺や、白楊や、みざくらなども、ねばりのある香りたかい若葉を開き、菩提樹ははぜた新芽をふくらましてくるし、鴉や、雀や、鳩なども、春の喜びにみちて、はやくも巣の支度をはじめ、日あたりのいい壁には、蠅がぶんぶんうなっていた。こうして、植物も鳥類も、昆虫も子供も、みな嬉々として楽しんでいた。が、人々は—―一人前のおとなでけは—―自分で自分をだましたり苦しめたり、互いにだまし合ったり苦しめ合ったりすることをやめないのだった。いったい人間の考えでは、神聖で貴重なものは、こうした春の朝でもなければ、またあらゆる生物の幸福のため与えられたこうした神の世界の美――平和と、一致と、愛にみちびく美でもなくて、彼らが互いに他を支配し合うために自分勝手に考えだした事柄なのであった。

トルストイ『復活』 中村白葉訳、より)

<戦争をしない生きもの春の野に雲雀と燕がこぼすさえずり(観音寺市 篠原俊則)>
「日々、ウクライナの情報が伝えられる。第一首の「戦争をしない生きもの」はそれに触発さあれてのものか」と選者の馬場あきこさんが、コメントしている。じつは、春に「雲雀と燕」が一緒に囀る風景は、四国の観音寺市にもないのではないか。雲雀は空高く飛んで囀るが、燕は人家の屋根や橋げたの下に巣をつくるのに追われてさえずりは少ないはずだ。まあ、それはどうでもよいのだが、春の野というものがどういうものであるかを確認するために、引用してみた。

 トルストイの「復活」の冒頭の書き出しが、こんな素晴らしい春の描写から始まることを初め知った。トルストイの晩年の作品である『復活』は、遠藤周作の『私が棄てた女』の原形なのではないかと、穿って考えている。この本も、小島信夫さんの『私の作家遍歴Ⅱ』からの影響である。『復活』を読み始めた。

朝日俳壇と歌壇を読んで考える

 <芽吹きたる樹も焼かれおりウクライナ西尾市 水野啓子)>小林貴子選:

<武蔵野の朧月夜のごと老いぬ(三郷市 岡崎正宏)>長谷川櫂選⇒「朧月夜のごと」ってどういう比喩だろう。ぼんやり霞んで光の薄い春の月を朧月というんだという。

<散る覚悟なんていらない桜散る(厚木市 奈良 握)>大串 章選:

<植物の魔法の如く伸びて春(山梨県市川三郷町 笠井 彰)高山れおな選⇒「素朴だが実感のある比喩が愉快」と高山さんがコメントしている。

 俳句の切りとりは、はっきりとクッキリとして気持ちがいい言葉の芸だと思う。

 次に、歌壇に移る。

<火柱のロシアの戦車に溜飲が下がるそこにも人がいるのに(観音寺市 篠原俊則)>永田和宏選: 「一方的にロシア軍、その兵士らを悪と決めつけてはその本質はみえてこない。」と選者の永田さん。「溜飲が下がる」とは、気持ちがスッキリする、ロシア軍よいい気味だとおもってしまうが、ロシア軍の兵士も同じ人間という意味だろう。実は、戦争に「善」はないはずだ。

ウクライナ攻撃止まずわが郷は罪の如くに春深まる(亀岡市 俣野右内)>馬場あき子選⇒ 

<動物がおびえていいると園長は戦火の中に留まるという(前橋市 萩原葉月)>佐佐木幸綱選:

<攻められて焦土広がるウクライナいま人びとはムンク「叫び」横須賀市 矢田紀子)>
<美しき草色萌ゆるライ麦はいつか黄金の波になりゆけ(国分寺市 小山佐和子)>⇒高野公彦選:〔戦争が終わって農作物が順調に育ち、豊かに稔ることを願う歌。各区の頭に、「う・く・ら・い・な」を置いた折句。〕と、選者の高野さんのコメントを読むまで気が付かなかった。

<新しいスーツパンプス定期入れ通学が通勤になる春(富山市 松田梨子)>馬場あき子、高野公彦共選: 松田さん、もう社会人なんだね。

 今週の歌壇も、ウクライナの戦争を詠んだのが多かった。

 攻められて焦土広がるウクライナいま人びとはムンク「叫び」
 
この歌を一押しにす辛さ。