TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

音のでない稽古ができただろうか?

 六日間をおいて合気道の稽古をした。やはり、3日に一度は稽古をしたい。少しでも身体を動かさないと身体が駄目になる。人間も動物、動く物なのだと実感がする。
 ところで、本日のテーマの「音のでない稽古」とはなんだろうか? 合気道は自己と他者の結び響きによって成立する武道の一つである。一撃必殺のではない。稽古は相対稽古であるがぶつかりあいは基本的ない。相対稽古は、打ち技、掴み技の二つがある。まず、相手が打ってきたとき、受けて(取りと言う)は相手の攻撃(エネルギー)を受けとめるのではなくて吸収する、あるいは流がすことにより、自分のものにする。その直後か同時に吸収したものを相手の行きたい方向に行かせてあげるのである。「吸収する」も「流がす」も静かな動きであるので音はほとんどでない。音がするようではだめなのである。自らの身体の動きについても同様であり、すり足であるが刷るおとはしないで静かにしなやかに移動しなくてはならない。つまり、重心を自然のままに下に落とし、しかも上下動をほとんどしないで移動する。能や歌舞伎の役者の動きも同様であると思う。歌舞伎俳優が見えを切る時に大股で大きく音を立て踏み込むとしたらそれは一過性のものであろう。「音のでない稽古」は、あらゆる力を内にとどめて内筋を利用するので消費するエネルギー大きい。
 本日は、「音の出ない稽古」(合気道)について考えてみた。