TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

勤務先のOB会と「人生に折り合い」をつけるとは何か?

 昨夜は台風15号が吹き荒れた。茨城県に上陸して関東を直撃した珍しい久しぶりの台風であった。折もおり半年ぶりの元勤務先の社員OB有志の会が小田急線の狛江の居酒屋で開かれて出席した。会は12時30分からであったが台風の余波が残っているので10時30分には家をでた。小田急線は始発から運休していたが9時30分頃から運転再開との情報をTVで調べてから出かけた。最寄りの小田急多摩線はるひ野駅は10分くらい待って乗ることができた。ところが、新百合ヶ丘駅に着いたらホームから乗換フロアにはエスカレータで上れたが今度は上り新宿行きホームに長蛇の列で動けない。飲み会に行くG爺などは世間様の邪魔にならないように自宅待機すべきだったのかもしれない。30分くらい待って漸く上りホームに降りられた。上りは新宿行きの急行が満杯である。狛江駅は各駅停車でないと止まらないので各停をまつこと10分くらいで乗ることができた。久しぶりに吊革に掴まって少し斜めで生田まで行った。そこで座っていた若い女性が席を譲ってくれた。「次でおりますから」と固辞したが好意は受けるべきと座らせて貰った。こんな時でも席を譲られるとは完璧な爺になったのだと認識した。

 ■自分の人生に折り合いをつけるとは?■

 今日のOB会の出席に際して、昨年からブログに書いている「私の『医人』たちの肖像」の中から4編―いずれも今日の出席の方との思いでまた関心がありそうなテーマーをプリンとして持参した。それを出席の方々にお渡しして話題提供の積もりでもあった。しかし、その場で渡すことができなかった。まだ、私の中でこれらの文章を開陳するエネルギーが湧いてこないのだ。「こんなことをあのバカが書いて・・・」と思われるのが怖いのだろうか?それもある。さらに、自身の中で自らの過ぎ越しことの折り合いが未だつかないのだ。もっと書いて書き続けていくしかない。突き抜けるまで書いていくことが必要なのだ。本日のOB会で、出席者の一人のIさんから、2枚の書き物を貰った。「帰宅してから読んでくれ!」とのことだった。そして、分かったことは彼も自分の人生に」折り合いをつけようとしているのだった。「俺の一生は何だったのだろう?」と問いかけながら人は去っていくのだろう。